アルバの風の想い出

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『Bon Bini アルバ島皆既日食報告 1998.2.26』掲載

 黒い雲が空を走る。空を覆う。アルバの風に運ばれて。
 雨。50日ぶり?
 食の始まりは,もうすぐそこに迫っている。
 脳裏をよぎるは7年前のハワイ島。曇天の下感じた皆既の暗さ。
 私は自分の服の袖を抱きしめる。
 今日,私はその時と同じ服を着てここへ来た。
 大丈夫。今日こそこの服にコロナを見せる。
 脳裏をよぎるは3年前のペルー・モケグア。薄雲の下祈った晴れ間の到来。
 大丈夫。あの時よりマシな気がする。
 ハワイやペルーでの修行の成果でもないけれど,私は落ち込まなかった。
 快晴だった2年前のインド・ロバートガンジを思い出す。今回もきっと晴れる。
 遠くカリブ海の向こうまで覆う黒雲を見ても,何故か心配無用と勘が言う。
 雨を受けつつ,ヴィア・マルタ・レストランで昼食。
 そして再びフィールドへ。
 果てしも知れぬアルバの風が,いつしか雲を連れ去ってゆく。
 サボテン大地に陽光戻る。もう大丈夫。
 やがて最初のひとかけ。
 まるで視界を絞り込んでいくように,少しずつ辺りは暗くなる。
 夕闇や黄昏とは違う,辺りの色が優しくなるような不思議な暗さ。
 私はサングラスを外し,帽子を脱いだ。
 もう,南国の日差しも日焼けも気にしなくてよいだろう。
 ハワイで曇天の空を見上げたあの日から,私を魅了するのは皆既中の大気の鼓動。
 晴れたクリアな大気に広がる異様な暗さ。
 刻一刻とそれがやってくるのを肌で感じる。
 10分前。視野の確認。
 17mmのレンズの中で,大きく伸びたサボテン。
 太陽の位置は,画面上方4分の1。
 これでよし。私が夢見たサボテン荒野の日蝕風景だ。
 サボテン背後のディビディビ・トゥリーが,アルバらしさを引き立ててくれる。
 あとはコマンドテープを聞きながらシャッターを切るだけ。
 ペルーの砂漠で初めて薄雲を通してコロナを見て以来,
 目に焼き付いているのは第2接触直前の,
 そう,異世界のような薄暗いあるいは薄明るい数分間。
 大自然の営みに感謝しつつ空を見上げ,全身目となり耳となる。
 日蝕のせいか,アルバ到着以来一番の穏やかな風が抜けていく。
 太陽の脇に木星。等身大の太陽系だ。
 コマンドテープに従って,皆既2分前から撮影開始。
 太陽の最後の光は,やがて薄青色の深い空に溶け込むように,
 ゆっくりと,あまりにも自然に,そしてあまりにも幻想的に,
 ダイヤモンドの閃光を放ち始める。
 空の色が明るい。
 95年のインド日蝕と比べ,空の色が明るい気がした。
 その分だけ,ダイヤモンドの輝きが空に自然に溶け込み優しく思える。
 その分だけ,ダイヤモンドがコロナの息吹に変わる刹那が滑らかな気がした。
 気がつくと,ダイヤモンドは消え去って,水星と木星を従えた真っ黒な月の影。
 そして月の影を彩る長く伸びた極小期のコロナ。
 コマンドテープに耳を傾けシャッターを切りながら,
 茜色の低い空や,遠くで上がる打ち上げ花火の風景を眼に焼き付ける。
 地上の風景の美しさと太陽を囲む惑星達の美しさとが,痛いほど調和している。
 このカリブの島の日蝕は,最高に贅沢な日蝕かもしれない。
 しかも,3分28秒の何と長いことよ。
 撮影計画無しに手動で露出を変えながら一通りシャッターを切り終わり,
 残った時間で双眼鏡を覗いたり,肉眼で周囲を観察する暇さえ作れるのだ。
 それでも皆既中は無我夢中で,毎度ながら細かい記憶は残っていない。
 コマンドテープが時を告げ,
 私は,世界が第3接触前に漏れるピンク色の光に包まれる瞬間を待つ。
 この光が最高に好き。
 ペルー・モケグア日蝕の後,私に1時間も感涙を抑える苦労を強いたのは,
 このピンクの光だった。
 インドではあまり分からなかったけれど,また見られるだろうか。
 来た時と同様に,去りゆく影は深い薄青色の空に自然に溶けていく。
 ゆっくりと,私が切望した光が月の向こうからこぼれ落ちる。
 あぁ。
 去りゆく蝕への惜別を込めて,再びコマンドテープに合わせてシャッターを切る。
 そして2分。無計画だった割には丁度の予定でフィルムを撮りきった。
 アルバの日蝕は去ってしまった。
 そう思って立ち上がると,連れ合いに本影錐が見えていると教えられる。
 振り返ると,背後の空に暗い部分が残っているのを認めた。
 さようなら,月の影。
 急速に増光していく太陽の下に佇み,私たちは日蝕の影を見送った。
 またサングラスをかけ帽子をかぶる。
 影が消えると,あちらこちらで挙がっていた喜びの声が突然耳に入ってきた。
 よかったなぁ,と改めて思う。
 一緒に来ていた友人達や偶然会った友人達の顔を見に行き,喜びを分かち合う。
 同じ場所で同じ瞬間に同じ天文現象を見ていた。
 ただそれだけの事実がこんなに嬉しいのは,日蝕ならではのことだと思う。
 すっかり光を取り戻した太陽を見上げ,私は再び自分の服の袖を抱きしめた。
 あれが,ハワイで見るはずだった皆既日蝕なんだよ。
 お気に入りの観測服にコロナの思い出を染み込ませ,過去を清算。
 アルバの風は心に新たな風を送り込み,次の日蝕へと発たせてくれたのだった。

アルバの皆既日食の風景写真

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