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学生時代。私の所属していたサークルでは,大学備品の40cm反射望遠鏡を駆使して写真を撮ることが活動の大きな流れだった。1980年代初頭の40cmといえば,若いアマチュア天文ファンにとって夢のような口径だったのだ。主たる被写体は,銀河や球状星団,惑星などなど。月まわりのよい晴れた夜は,いつも望遠鏡予約ノートの争奪戦が繰り広げられていたものだ。天文雑誌の読者の天体写真コーナーには毎月のように誰かの名前が載って,入選経験者は皆の尊敬を勝ち得るのだった。
そんな環境にあったおかげで,私の興味は皆が振り向かない星の和名へと流れていった。そう,私は筋金入りの天の邪鬼なのだ。
今でもそうかもしれないが,当時,星の和名の詳しい本はそうそう見つかるものではなく,何度書店巡りをしても,入手できたのは野尻抱影さんの『星の方言集 日本の星』一冊だけ。語学力のない私に野尻氏の文体は難しかったが,その本にはそれでも読み進みたくなるだけの魅力があった。
何しろ,星を好きになって最初に知る星や星座の名前といえば,ほとんど外国のものばかり。日本人なのに,日本の名前は,自分でその気にならない限り耳に入ることすら稀なのだ。せいぜい枕草子に出てくる“すばる”“ゆふづつ”“ひこぼし”あたりが関の山? おまけに,どこで聞いたものだか定かでないが,「日本人は古来星に興味がなかった。記録もあまり残っていない。」という裏覚えの知識が私に偏見を植え付けていた。『星の方言集 日本の星』は,そんな偏見を見事に覆し,空に別の世界を描いて見せてくれたのだった。私が日本人だからかどうかは知らないが,日本の星名は,実にたやすく星のイメージを重ねられるものが多い。
プレアデス星団を“ごちゃごちゃ星”と言ったら何の説明もいらないって感じだし,シリウスの“大星”や,カシオペア座の“山形星”“いかり星”,ヒアデス星団の“釣り鐘星”も,文句無く納得できる。アンタレスと左右の星を合わせて“親孝行星”というのには「なるほど!」と感心したものだ。星空は,あっという間に単純な点と線で描いた図画集に早変わりする。こんな数々の和名の中で私が特に気に入ったのは,いるか座の“杼星”(ひぼし)だった。
“杼”とは,百科事典で調べてみると,機織りの時に横糸を通すために使う舟形の付属具だという。機織りとは縁のない時代に育った私は,勿論?“杼星”の名を聞くまで“杼”という物の存在も名前も知らなかったが,なるほど,確かにいるか座の菱形に似ている。
これだけなら杼星も数ある和名の一つに終わったところだったが,ついてきたエピソードが群を抜いていた。機織りといって誰しも思い出すのは七夕の織り姫だと思うが,杼星も,その七夕伝説の支流に出た名前。この名を生んだ熊本県天草地方や鹿児島県あたりの説話によると,杼星は,遊んでばかりいる怠け者の彦星に腹を立てた織り姫が,彦星に向かって投げつけた杼の姿だという。
うーん,何と庶民的なお話だろう? 天帝の娘だった織り姫が,何だか一気に身近な人になったみたい。
それにしても織り姫様,随分コントロールが悪いねぇ。私と同じ運動音痴なのかしらん? それとも怒りで手元が狂ったかな? あ,彦星の逃げ足が速かったのかも!
ベガとアルタイル,そして いるか座の位置関係を眺めながら,思わずにやにやしてしまう。それを知って以来,いるか座は,私には織り姫が投げた杼にしか見えなくなった。
(photo by Ham)