『天文学への招待』

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DATA : 『天文学への招待』  村山定男/藤井旭 著  河出書房新社  1969年初版発行
       初版(1969年)・新版(1975年)はB6サイズ。現在は『ヴィジュアル版 天文学への招待』1,680円

DATA : 『星座への招待』  村山定男/藤井旭 著  河出書房新社  1972年初版発行
       初版(1972年)はB6サイズ。現在は『ヴィジュアル版 星座への招待』1,680円


 『天文学への招待』。小学校四年生の夏休みにこの本を読むことになったのには、ちょっとした事情があった。
 小学校四年生の一学期。ある日学校に行くと、同じクラスのM君が、いきなり『天文学への招待』を私に差し出して、貸してくれると言ったのだった。
 M君は、その時のクラスでただ一人、私が自分よりたくさん本を読んでいるかもしれないと思っていた人物で、ちょっと感受性の強そうな、しかしユニークなところのある男の子だった。特に親しかったわけでもなく、話したこともほとんどない仲だったのだが、彼は、理科の授業などで私が星が好きだということを知り、その本を私に貸そうと思ったらしかった。
 一瞬ばかり躊躇したものの、私は彼の好意に感謝し、その、天体写真の表紙がついた、小さな、しかし重い本を借りて帰った。それが、その年の夏休み中私を楽しませ、その後何年もの間、私の天文知識の根底を支えたこの本との出逢いだった。

 多分、この本は、小学校四年生が読むには少しばかり難しいのだろう。後から私の母がM君のお母さんから聞いたところによると、本好きのM君でも、この本は最後まで読めなかったらしい。しかし、私の方は本好きに加えて星好きだったから、何とか最後まで読み通すことができたのかも知れない。ともかく、本ばかり読んでいる子だった私でさえも、この本を読破するには夏休みいっぱいかかったのだった。その年の夏休み、私はほとんど丸々秋田市にある母の実家で過ごしていたが、そこで少しずつこの本を読み進んでいった毎日を、よく覚えている。
 同時期にレイさんの『星座を見つけよう』を読んで星座を覚えた私には、この本の出現は、まさに打ってつけだったといえようか。この本には、星座のことはほとんど書いていなかったけれど、いろんな宇宙の話がまんべんなく紹介されており、しかも、星座の知識があると、それがよりいっそう分かりやすくなるのだった。

 古代人が見た宇宙を知っては感慨にふけり、パロマー山にある5mの望遠鏡のことを知っては驚愕し、銀河系の中の太陽の位置を知っては感動した。“さんかく座”とか“ケンタウルス座”なんていう名称を見るだけでドキドキしたし、20万年前の北斗七星と20万年後の北斗七星なんていう図を見ては、遙かな時の流れに思いをはせた。また、星の色や重さの話、白色矮星の存在、遠い遠い銀河団の話を知って宇宙の不思議さに探求心をあおられた。シリウスB。地球の2倍くらいの大きさなのに、太陽くらいの重さがあるの?! 私は太陽と地球の大きさが同じ縮尺で書いてある図を思い浮かべ、驚嘆したものだ。
 そうして夏休みも終わる頃、休暇を過ごした秋田市から熊本の自宅へ帰る途中、一家で東京の親戚を訪ねたのだが、そこでまた一つ、私にとって忘れられない出逢いがあったのだった。

 東京。そこは私にとって、熊本にないものが沢山ひしめいている未知の大都会だった。滅多に行くことのできない大都会で、私は前々から両親に頼んでいたことがあった。それは、プラネタリウムへ行くことだった。
 プラネタリウム。話には聞いたことがあった星を見せてくれる場所。熊本にプラネタリウムができたのは、それから5年くらいたってからのことで、その当時、熊本に住む私には、プラネタリウムを見る機会というものが無かったのだった。東京へ行けばそれが見られる。プラネタリウムへ行ける東京でのひとときを、私は旅行の間中心待ちにしていたのだった。そして、いよいよその日がやってきた。

 連れて行ってもらったのは、渋谷にある五島プラネタリウム。今でも私はその時の、“1973年8月”と書いたプラネタリウムのパンフレットを持っている。プラネタリウムの中身は詳しく覚えていないが、熊本の自宅の夜空よりずっと星が沢山見えたこと、また、覚えたばかりの星座や宇宙の話を直に聞いて嬉しかったことをよく覚えている。だが、何よりも忘れられないのは、プラネタリウムが終わった後、外の売店で、今読んでいる『天文学への招待』を見つけ、さらにその隣に並んでいる姉妹本、『星座への招待』を見つけた瞬間だった。
 私は、その本たちの前から動けなくなった。この楽しい本に、姉妹本があったのだ! その高価な本(680円だったが)を買って欲しいと頼む勇気もなかったが、しかし、どうしてもその本の前から去り難く、私はショウ・ウィンドウの前に貼り付いていた。今、ここから帰ったら、もう2度とこんな本が売ってある場所へ行くことができないかもしれない。そんな風にも思った。見かねた父が、1冊だけ本を買っていいと言った時は、本当に天にも昇る気持ちだったと思う。私は嬉しくて嬉しくて、夏休みが終わったら返すことにしていた『天文学への招待』と買ったばかりの『星座への招待』を、何度も何度も並べて、何時間も表紙に見入って喜んだのだった。

 『星座への招待』は、『星座を見つけよう』とは違って、ごく一般的な星の結びを教えてくれる本で、加えて、星の名前やその由来や神話などもわかるようになっていた。私の星座や星の名前に関する知識は、やはりそれから何年も、この本に助けられることになる。今でもどこかに1冊だけ星座の本を持っていくことになったら、私はきっとこの本を選ぶだろうと思う。星座を、実際の星の写真で説明してあり、またそれに付随して絵も入れてあるのでわかりやすい。1冊ですべての季節の星座が紹介してあるし、一つの星座についての説明はそんなに長くないが、一通りの知識が仕入れられるようになっている。星座の入門書として申し分ない本だと思う。今まで、『星座を見つけよう』より詳しく星を知りたい友人がいたら、大抵この本を進めてきた。そして、大抵喜んでもらってきた。

 こうして、小学校四年生の夏は、私の天文生活の始まりを彩った本たちとの出逢いの夏となったのだった。
 その後、夏休みが終わり、私は予定通りM君に『天文学への招待』を返した。それでも私を天文学へ誘ったこの本のことを忘れることができずに、中学校二年生のクリスマス・イブ、私は自分へのクリスマスプレゼントと称して、この本を自分で買ったのだった。残念ながら、私が買った『天文学への招待』は、M君から借りた初版ではなく、新版になっていて、表紙の雰囲気なども変わってしまっていたのだが、それでも小学校四年生の夏を思い出しながら、その本を懐かしく読んだ。
 また、このクリスマス・イブに自分への本のプレゼントを買ったことがきっかけとなって、それから就職一年目まで十年間続いた“クリスマス・イブには普段高くて買えないでいた星の本を自分にプレゼントする”という習慣ができた。
 私にいろいろなきっかけを与えてくれた『天文学への招待』だった。

 M君は、小学校五年生になるときに鹿児島の学校へ転校し、以来会ったこともないが、彼の本棚には、私が読んだ『天文学への招待』が今も並んでいるのだろうか。

(1998-08-28)


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