※当ページの転載・複製は,一切お断り致します。 |
熊本天文研究会という会は、もう存在しません。代わりにあるのは熊本県民天文台。“県民天文台”といっても、公共の施設ではなく、募金で作られたアマチュアの天文台です。
熊本天文研究会は、1982年5月に拠点となる天文台を完成し、その時、募金をしてくれた一般の人たちへの感謝の気持ちをこめて、同好会の名前を熊本県民天文台へ改称しました。
現在の天文台は、開所当時の場所から塚原古墳公園の中へ移転し、一般公開活動を続けています。
私が、熊本県民天文台の前身である熊本天文研究会の戸を叩いたのは、1980年夏、高校二年生の時のこと。夏休みのある日、高校の地学部の後輩の女子部員3人を引き連れて、私は熊本天文研究会の事務所があった熊本博物館を訪れたのだった。
そこを訪れる決心をするまでには、高校の地学部で数々のドラマがあった。端的に言うと、それは、女子部員にはなかなか星を見る機会が与えられないという不満から来る、様々な衝突の連続のことだ。
私が地学部に入部した時、3年生7人2年生11人の先輩がいたが、そのうち女性は3年生の一人だけ。しかも彼女は掛け持ちしていた放送部の方に活動の重きを置いていたため、実質上、女性の先輩はいないに等しい状況だった。その頃は、私のいたクラブ以外の場所を見ても、今以上に星を見る女性は少なかったように思う。とにかくそういう事情もあってのことだと思うが、地学部へ星を見るために入部したというのに、女子部員にその機会が与えられるのは、年に1度か2度の学校で顧問の先生がつきそう夜間観測と、夏休みの合宿の時だけだった。男子部員の方は、もっとたびたび学校近くの田圃などで夜間観測をしていたし、夏休みにはキャンプにも行っていた。そして、天体写真の撮影などの楽しそうなことは、ほとんどすべて、そんな女子部員が参加できない観測で行われていたのだった。
星を見たいという心ならきっと誰にも負けない。そう思っていた私にとって、それはいたく不幸な現実で、一緒に地学部に入部した、やはり星のことばかり考えているような友人ユウコさんと一緒に悔しがったものだった。高校二年生にあがるとき、ユウコさんが転校し三年生の女性の先輩も卒業し、私はしばらくただ一人の女子部員となった。しかし、そこへ四人の元気な女子新入部員が入部した。
彼女たちを、星を見る機会が与えられないことで失望させたくない!
切ないばかりのそういう気持ちが、内向的だった私に勇気を与えた。顧問の先生へ直談判に行き、同輩の男子部員と口論し、何とか女子部員の星を見る道を開こうと努力した。私にとって幸いだったのは、後輩の女子部員たちがみんな元気で、いつもそうやって私と一緒に道を模索してくれたこと。彼女たちの元気に助けられながら、やがてたどりついた結論は、星を見ることができるなら、何も地学部にこだわらなくてもいいのではないかということだった。確か、熊本天文研究会という団体があるはずだ。以前、先輩から聞いたことがあった。どうしたらそこへ入れるのかわからないけれど、そういう大人の人たちが沢山いる団体へ入れば、親だって観測に行くことを許してくれるだろうし、女子だからって来るなとは言われないだろう!
そうして、夏休みのある日、私たちは高校から自転車で暑い中40分くらいかけて熊本博物館へ出かけ、そこにある熊本天文研究会の事務局を訪れたのだった。
話を聞き、私たちはその場で入会し、研究会の会報『星屑』のバックナンバーをもらって帰った。そして、星空へのパスポートを手に入れたかのような思いで、熱心に『星屑』に読みふけった。それから熊本を離れる1982年春まで、私は熊本天文研究会へ通い続けた。毎月一回博物館で開かれていた例会には、大学入試の真っ最中だった筈の三年生の一月ですら出かけていって、「まさか今日来るとは思わなかった」なんて言われたくらいだ。
当然最初は知らない人ばかりだったけど、例会に参加するうちに友人もできた。特に、高校三年生になって地学部を引退してからは、星仲間との語らいへの飢えを潤すように、熊本天文研究会へ顔を出した。また、丁度天文台を作ろうという話が持ち上がった頃で、そんな話を聞くのもわくわくして楽しかった。
「自分たちの天文台」なんて、夢のような話だったが、その夢は、私の見ている前でどんどん形になっていった。少ないながらも私も募金をしたり、募金の手伝いをしたりして、その夢を共にした。それが熊本県民天文台だった。まさか、天文台ができた春に自分が熊本を離れることになろうとは思いもしなかった。高校を卒業した春を、私は忘れない。
それは、熊本天文研究会が熊本県民天文台へ生まれ変わろうとしていた春だった。
開所前の天文台で、入ったばかりの31cmを覗いたこと。新しい天文台で初めての観測会が行われたとき、大学進学のことで悩んでいた私に、会のみんなが親身になっていろいろアドバイスをしてくれたことも。
結局、その春、私は熊本を離れて1000kmも離れた街の大学へ進学することにした。初めての一人暮らしにホームシックにかかることもなかったし、ゴールデンウィークの帰省もしなかったが、5月16日の熊本県民天文台の開所式の日には、熊本へとんで帰ったことが、今も懐かしい。最近は、年に一度の新年会に数年に一度くらいの間隔で参加して、あとは会報『星屑』を受け取るだけの会員になってしまったが、今も当時の記憶は鮮やかだ。
私が躊躇無く熊本を離れ遠くの大学へ進学したことも、今、京都にいることも、すべては熊本天文研究会が始まりだったのだと思う。学校とは違ったいろんな立場を持つ星好き人の集まり。高校生の時に、そういう場所で星仲間との交わりのひとときを持ったことで、私はどこの街に行ってもきっと星が好きな人たちがいて、その中で自分は生きて行けるだろうという確信と勇気をもらい、旅立ったのだ。(1998-09-01)