祇園祭の概要

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歴史

 京都に夏を告げる祇園祭の始まりは,疫病が流行した869年6月7日,災厄除去を祈るために行われた祇園御霊会(ごりょうえ)だ。その後11世紀になって鉾が登場し,さらに応仁の乱の後, 1500年に祭が再興され,現在のような様式へと定着していった。
 祇園祭は町衆自身が自らの自治組織により作り上げた祭であり,京都市民の精神の歴史とも言える。

 


宵山

 7月13日〜16日の宵山では,各山鉾の駒形提灯に灯がともり,鉾からは祇園ばやしが奏でられ,各山鉾町の町会所では,山鉾を飾る豪華なご神体・胴懸などの貴重な秘蔵の品々を展示する。また,そこでは各々の山鉾ゆかりの粽やお守りの他,手ぬぐい,Tシャツ,ミニチュアや土鈴などの販売も行われ,これらを買うと,鉾に上らせてもらえることもある。
 各山鉾には山鉾の姿などを象った御朱印が置いてあるので,訪問しながら帳面に個性的な御朱印を集めるのも楽しいだろう。

3基の神輿

 路地には沢山の出店が並び,歩行者天国になった四条通り,烏丸通り,室町通り,新町通りなどを中心に祭りを楽しむ人が溢れかえる。祇園祭を楽しむならば,祭気分が最も盛り上がる宵山は外せない。
 山鉾巡行を明日に控えた16日の夕刻は,早めに山鉾巡りを済ませて八坂神社へ移動し,鷺舞や神楽の奉納を見学するのも一興だろう。ここには,山鉾巡行の後の神幸祭で,八坂神社に住むの素戔嗚尊(スサノヲノミコト),櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト),八柱神子神(ヤハシラノミコガミ)の3人の神が四条御旅所へ移動する時に乗るための,金の神輿が飾られている。

 また,宵山の夜が更けると,翌日の山鉾巡行の晴天を願って長刀鉾町日和神楽巡行が行われる。22時30分頃に長刀鉾町を出発し,囃子を奏でながら八坂神社へ向かい囃子を奉納する。
 同じ頃,他の山鉾町の人たちも,囃子を奏でながら町内と四条御旅所の間を往復する。月鉾が,船鉾が,函谷鉾が,お囃子を奏でながら次々と御旅所へ向かって四条通りを行く姿を見送ると,明日の巡行へ向けて観光客の気持ちも盛り上がっていく。

 


函谷鉾の辻まわし

山鉾巡行

 17日朝から行われる山鉾巡行では,宵山で展示されていた品々を豪奢にまとった山鉾が,長刀鉾を先頭に,くじで決まった順番に並び,優雅にゆっくりと京都の町中を行列する。
 午前9時,長刀鉾の稚児がしめ縄を切り,四条烏丸を東に向かって出発。各々の山鉾は,くじ改めを行った後,四条通り→河原町通り→御池通り→新町通りと巡行し,新町通りで解散する。中でも四条烏丸交差点は,雄大な鉾が敷き詰めた竹の上で方向を変える“鉾まわし”を見物するための観光客でいっぱいになる。

 例年,御池通りは有料観覧席。ここではくじ順に並んでいた山鉾が,町内へ帰るために順番を入れ替わる場面を見ることができる。
 新町御池の交差点では,先に行った鉾が立ち止まり,くじ順を解いて後に続く山を先に通す。狭い新町通へ曲がると,山鉾たちは各々の町内へ向かって散り散りになっていく。まっすぐ新町を下る山鉾あり,室町通へ,烏丸通へと曲がっていく山鉾あり。路地脇の町屋の2階からは,地元の人たちが手を叩いて帰ってきた山鉾を迎え,歓声があがる。

 新町の南観音山と北観音山が最後の辻回しを終えて新町通へ入ると,山鉾巡行も終わり。特に最後の北観音山は,多くの人に見送られて町内へ帰り,町内の人も観光客も一緒になって“祝い締め”を行う。そして,山を飾った柳の枝が配られ,片づけに入る。

 巡行後,あんなに堂々と美しかった山鉾たちがあっというまに片づけられる潔さも,山鉾巡行の魅力の一つであろう。京の街に疫病をもたらす悪霊たちは,こうして飾りたてた山鉾に呼び集められ,山鉾の解体と共に消え去っていく。
 何事もなかったかのように日常の往来が街に戻る頃,山鉾たちは,来年の山建て鉾建ての日のために,町会所の倉庫で一年の眠りにつくのだ。

 山鉾巡行は,もともと神幸祭及び還幸祭前の露払いとして17日の“さきの祭り”と24日の“あとの祭り”に分かれて行われていたが,1966年(昭和41年)より合同で行われるようになり,24日は山鉾巡行に代わって花傘巡行が始まった。現在の山鉾巡行では,長刀鉾を先頭に23基の“さきの祭り”の山鉾が巡行を行ったあと,北観音山を先頭に“あとの祭り”の9基が続く。
 くじ取らずは,1.長刀鉾,5.函谷鉾,21.放下鉾,22.岩戸山,23.船鉾,24.北観音山,25.橋弁慶山,32.南観音山。

 


ちまき

祇園囃子 (ぎおんばやし)

 “コンチキチン”の祇園囃子は,鉾により一部共通する場合もあるものの,各鉾独特の囃子である。
 成立は室町時代の末期。能楽の影響を強く受けている。今のような囃子になったのは江戸時代で,楽器は鉦(かね)・太鼓・笛の3つで,普通少年期から鉦方として稽古を始め,成人になって太鼓方や笛方になる。
 鉾によって異なるが,だいたい鉦方8名,笛方8名,太鼓方2名。囃子の曲目は,各鉾で30曲くらい持っている。

 


ちまきと護符

 宵山の時に山鉾をまわると,各々の山鉾のちまきを売っていて,だいたい一つ400円〜1000円くらい。
 このちまきは食べるものではなく,疫病災難除けのお守りとして,翌年の祇園祭で新しいものと交換するまで家の門につるしておく。山鉾によって各々御利益が異なっているので,買うときに聞いてみるとよい。
 また,護符を授与する山鉾も多い。

 


神幸祭 (しんこうさい)

 山鉾巡行の日の夕刻から,八坂神社の3人の神が金の神輿に乗って神社を出発し,鴨川を渡り,京都市内を練り歩いたあと,四条通りの四条御旅所(おたびしょ)へやってくる。そして御旅所に1週間滞在し,京都の街から災厄を祓う。

 これらの神輿には,10日の神輿洗と15日の宵宮祭を経て神霊が移されている。

 また,神幸祭から還幸祭までの七日七夜,無言で神輿の前に詣でると願いが叶えられると言われる。

 


還幸祭

花傘巡行 (はながさじゅんこう)

 還幸祭(かんこうさい)が行われる24日,午前10時から花を飾った山花傘をかぶった女性鷺を装った男性など,華やかに飾った面々が八坂神社から京都市役所の間を巡行する。
 巡行経路の最後になる四条通では,山鉾巡行の時と同じように,くじ改めを見ることができる。

 主催は祇園祭花傘連合会。

 


還幸祭 (かんこうさい)

 花傘巡行の日の夕刻5時頃から,四条御旅所に滞在していた3人の神が,1週間の滞在を終え,八坂神社へ還っていく。
 3人の神は,少しずつ時間をずらせて四条御旅所を出発し,京都の氏子区内を巡る。三条御供社では,神輿に灯をともし,久世稚児の参拝の後,祭典が行われる。
 八坂神社への還幸は,午後10時頃。


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