だが,変光星との縁は,そう簡単に盛り上がりもしなかったが,決して消えてしまいもしなかった。
何しろ,変光星好きの内藤亮介が,いつのまにか私の人生のパートナーになっていたのだ。最初に二人で入った喫茶店の卓上には,何故か変光星の光度曲線のグラフが乗っていたし,日々のメールの中でも数知れぬ変光星その他の観測の話が飛び交った。卒論で忙しい最中にカシオペア座新星が現れて,もったいないと思った話。白夜の始まりと共に見えなくなって秋の訪れと共に戻ってくる,渡り鳥みたいな北欧の変光星観測者の話。好むと好まざると,そういった亮介の変光星の話は,少しずつ私の頭の中に堆積されていくのだった。そうして,パソコンMiraが京都へやって来てから1年後の1998年3月,亮介と私はようやく新居に落ち着いた。そこへ彼と共にやって来たものは,分厚い変光星図のファイル,そして変光星図が載っているばかりに集められた山のような天文雑誌のバックナンバー。はたまた,時々机の上や床に投げ出されて?いるのは,日本変光星研究会から送られてきた会報や速報。
私はこれらを始終目にすることになる。おまけに,ベランダには亮介が名古屋にいた頃変光星観測に使っていた赤道儀が立っていた。生活に追われる中,彼はそれらのものを使いはしなかったけれど,間違いなくそれらの品々は私の気持ちを刺激した。観測は面倒そうだと思ったけれど,亮介の好きな変光星の世界を少しばかり知ってみたい。そんな好奇心が頭をもたげる。怖いもの見たさでもないけれど,私は時々その辺りに置いてある日変研の会報を手にとり,読んでみるようになっていた。
そこに書いてあることは,たいてい難しくてマニアックな話ばかりでほとんどついていけなかったが,観測なるものを少しばかりかじったことのある私にとって,時には共感できる話も書いてあった。個々の現象はともかくとしても,観測対象に向かう気持ちだけは,ごく自然に理解できることだった。
時に,会報で読んだそんな話題を亮介と話し合ったりしているうちに,また少し,私の気持ちも動いていった。
そんなに気になるのだったら,一度くらい変光星を観てみたら?