星の停車場 (20)
ヘルクレス座

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 今月は,名医アスクレピオス(へびつかい座)や賢人ケイロン(いて座)と並ぶ夏の夜空の名士,勇者ヘラクレス(ヘルクレス座)をご紹介しましょう。星座名の“ヘルクレス”はヘラクレスの名をラテン語綴りにしたものなので,以下,星座名はヘルクレス座,神話の中の英雄の名はヘラクレスと表記してお話しします。

 天の川の西岸に位置するヘルクレス座は,プトレマイオス48星座の一つ。3等星以下の星ばかりの大きな星座で探しにくい印象ですが,胴体を作るH字型が目印です。南中時はほぼ天頂に見え,地面に頭を向けて跪いた形で星座になっています。この星座が英雄ヘラクレスと関連づけられたのは比較的後になってからで,古の時代は単に“ひざまずく者”あるいは“鋭い目をした者”“棍棒を持つ者”と呼ばれており,アラートスも『ファイノメナ』で「このひざまずく男は一体誰なのか」とうたっています。
 このためヘルクレス座は神話上の様々な人物と結びつけられてきましたが,古くは紀元前3000〜3500年頃のカルデア神話,太陽神イジュドゥバルの冒険物語が知られます。イジュドゥバルの物語は太陽の通り道である黄道12星座について語っていると考えられ,時を経て,ギリシア神話の“ヘラクレスの12功業”の物語へと変化をとげます。ヘルクレスの12功業はしばしば黄道12星座と結びつけられますが,これはもともと太陽神の冒険物語だったからなのです。

 ヘラクレスは,ペルセウスとアンドロメダの孫アルクメーネーとゼウスの間に生まれ,神と人間の血を受け継いでいましたが,ゼウスの妻ヘラの憎しみのため赤ん坊の頃から試練を受けます。ヘラは,彼の人生を邪魔するために様々なことをしましたが,ヘラクレスの名は“ヘラ女神の栄光”という意味で,やがて天にあがったとき,ヘラクレスはヘラの許しを得て永遠の幸福を得たと言われます。
 ヘラクレスの12功業は,順番が前後することもありますが次の仕事を指しています。関連星座は物語の概要から分かりにくいものもありますが,またの機会にご紹介しましょう。
 1.ネメヤの森のライオン退治。(しし座)
 2.レルナの9つ頭のヒドラ退治。(うみへび座・かに座)
 3.エリュマントス山のイノシシ捕獲。途中,ケンタウルス族とワインで宴会をするうち戦いとなり,ケイロンが事故死。(ケンタウルス座・かに座)
 4.アルテミスの聖獣,金の枝角を持つ鹿の生け捕り。(さそり座・カシオペア座)
 5.ステュンフォロスの湖に住む,青銅のかぎ爪とくちばしで人を食べる鳥の大群退治。(いて座・わし座・はくちょう座・ベガ:こと座・や座)
 6.エリスのアウゲアス王の家畜小屋の掃除。(やぎ座・エリダヌス座・みずがめ座)
 7.ポセイドンがクレタ島へ送った牛の生け捕り。(みずがめ座・おうし座)
 8.トラキア王ディオメデスの人食い馬の生け捕り。(うお座・ペガスス座)
 9.アマゾンの女王ヒポライトの帯の譲り受け。(おひつじ座・アンドロメダ座・ペガスス座・くじら座)
 10.人間と山羊と羊の3つの頭を持つ怪物ゲリュオンが飼う牛の生け捕り。(おうし座・オリオン座・おおいぬ座・こいぬ座・ぎょしゃ座・コップ座・さそり座)
 11.地獄の番犬ケルベロスの生け捕り。(ふたご座・おおいぬ座)
 12.世界の果てのヘスペリデスの園から黄金のリンゴを奪う。(かに座・りゅう座・おおぐま座・うしかい座)

 ヘルクレス座は,英雄ヘラクレスのほか,隣の おおぐま座と関連づけてカリストの変身を悲しむ父親リュカオン又は兄のカエテウスとする説,労苦に従事する姿から馬車で働くラピタイの王イクシオンと見る説,コーカサスの岩に鎖でつながれているプロメテウスと見る説などが知られています。キリスト教では,蛇と林檎と共に語られるアダム(創世記),素手でライオンを引き裂いた怪力の英雄サムソン(士師記)に例えられました。

 この星座のα星は,美しい二重星であり,2.7等〜4.0等の範囲で不規則に変光するラス・アルゲティ(Ras Algethi)。“ひざまずく者の頭”を意味するアラビア語が語源です。アラビアの遊牧民にはアル・カルブ・アル・ライ(羊飼いの犬)とも呼ばれましたが,これは現在 へびつかい座βの固有名として知られています。へびつかい座の項でお話したように,アラビアの古い星座で ヘルクレス座αと へびつかい座βは天の牧場を守る番犬とされていたのです。中国では“皇帝の椅子”と呼ばれていました。

 2.8等のβ星はコルネフォロス(Kornephoros)。“棍棒を持つもの”という意味のギリシア語をローマ字化した名前で,星座全体を表す名前がβ星の固有名となったものです。“黄金の赤”という解釈もありますが,適切ではないようです。稀にルティリクスという名を見かけ,ローマ時代の刀剣rutrumが語源とも考えられますが,詳細はわかりません。中国ではβ星を“川の中”,これに対しγ星(3.8等)を“川の間”と呼んでいました。

 κ(5.0等)のマルファク:Marfak:ひじ,λ(4.4等)のマシム:Masym:手首,ω(4.6等)のクヤム:Cujam:棍棒は,それぞれ星座の位置を示すアラビア語が語源です。
 κ星マルファクは,マルフィク(Marfic),ミルファク(Mirfak)とも書かれ,fをsと間違ったMarsicという名も見られます。κをχと見間違い,χにこの名を与える文献もあります。へびつかい座λをマルフィクといいますが,同語源の星名です。κは,中国では近くの星と共に“祖先の星”でした。マシムは,古くはοの名でしたがバイエルの星図でλの名とされています。

 3.1等のδ星をサリン(Sarin)と記す文献がありますが,意味は不明で定着した固有名ではなさそうです。

熊本県民天文台『星屑』2002年8月号掲載

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