★参考文献
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King William Walk からグリニッジ・パークへ入り,歩くこと約7分。グリニッジ・ピアから約14分。
Royal Observatory Greenwich part of the National Maritime Museum
…と書かれたレンガの壁に辿り着いた。何と感慨深いことだろう! ついに目的地のグリニッジ天文台へやってきたのだ。世界中に知られる超有名な天文台なのに,思ったよりこぢんまりとした感じである。
レンガの壁に沿って歩いていくと天文台らしいドームが見え,観光客も大勢うろついている。天文台は高台の上に建っているため,グリニッジや先ほど船から見えていたドッグランズの高層ビル群などの風景がよく見えるが,景色を見るのは後回しだ。天文台の閉館時間が迫っている!
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Royal Observatory Greenwich (1) Panasonic LUMIX DMC-FX33
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私たちは天文台の入り口を見つけると,急いで中へ入っていった。
入場は無料。観光ガイドには£3の寄付を希望と書いてあったが,閉館ギリギリで急いでいたためか,寄付を受け付ける場所は見つけられなかった(^^;。
目指すは当然ながら,まず子午線。「Meridian Line」と書いた案内板に従ってひたすら突き進んでいく。
ところが,子午線に辿り着く前に,何やら貴重そうな望遠鏡の筒?
説明書きを読んでびっくり! 何と,ハーシェルの望遠鏡の実物の残骸だった。残骸だというのに,この大きさだ。それはそれは扱いにくかったに違いない(^^;。
しかし,ここでまさかハーシェルの望遠鏡に会えるとは思っていなかったので,思わぬ感動である。
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Royal Observatory Greenwich (2) Panasonic LUMIX DMC-FX33
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望遠鏡の説明書きには,こう書いてあった。
The remains of William Herchel's 40-foot telescope tube, 1789
1781年に天王星を発見したウィリアム・ハーシェル(1738-1822)は,古代以降に惑星を発見した初めての人であり,英国の著名な天文学者であるばかりではなく,すぐれた反射望遠鏡の設計者であった。
ハーシェルの40フィート反射望遠鏡は50年の間世界で最も大きな望遠鏡だった。それを作るためにジョージ3世は£4,000の補助金を出し,1789〜1840に,それはバッキンガムシャー州(Buckinghamshire)スラウ(Slough) のハーシェルの家の観測所に置かれていた。残念なことに,望遠鏡はあまりに巨大だったため,扱うのが大変だった。彼のこの望遠鏡での実績は,土星の6番目と7番目の衛星の発見だけだった。
彼の息子サー・ジョン・ハーシェルは1840年に望遠鏡を解体し,筒をサラウの芝生の上に置いた。30年も経った後,その筒は,今ここで見られる部分を除いて全て,倒れてきた木によって壊れてしまった。この残された部分は,1960年に観測所が取り壊された時,国立海洋博物館に寄贈された。
どこだ,どこだ,どこだ?
ハーシェルの望遠鏡を後にし,サマータイムの展示などが貼り付けられた通路を抜け,経度ゼロを目指す。大した時間ではない,あっという間に抜けた通路なのだが,子午線を見るのが待ち遠しく,気持ちが逸る。
この地が東半球と西半球の境界であることが決められたのは,1884年,ワシントンで開かれた世界子午線会議でのこと。天文台のメリディアン・ビルディングには子午線0度を確定するエアリー子午環が設置され,その前から経度0度00分00秒を示すラインが天文台の敷地を走り抜ける。
ここを訪れる観光客は,勿論みんなこれが目的なので,この線の周囲は常に人だかりになっていて,遠くからそれとわかった。
経度ゼロの線に置かれたオブジェは大人気で,入れ替わり立ち替わり誰かがその前で記念撮影をしている。Meridian Line の説明の看板には,英語とドイツ語に並び日本語が記されており,日本人観光客の多さが窺えた。この日は私たち以外に一人も見掛けなかったが,夏休みやゴールデン・ウィークの最中なら大勢の日本人を見掛けたのかもしれない。
ラインの上にGPSを置いてみると,計測システムの違いにより,丁度0度にならず,西に5秒ほどずれていた。
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Royal Observatory Greenwich (3) Panasonic LUMIX DMC-FX33
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是非とも来てみたかった場所だが,線ばかり眺めていても仕方がない。
天文台の敷地には,子午線が通るメリディアン・ビルディングの他に,子午線から少し離れた静かな場所にもう一つ,特徴のある建物が建っている。一通り子午線周辺を探索すると,子午線のある広場を横切って,私たちはそちらへ移動した。
実は,「FLAMSTEED HOUSE」という札をつけたこのビルには興味深いものが満載。この中に,グリニッジに来たからには是非見ておきたい子午線以外のもう一つの目的があるのだった。
グリニッジ天文台が建てられたのは1675年。
時の国王チャールズ2世の命により,設計は,ロンドンのセント・ポール大聖堂の設計者として知られるクリストファー・レンが行った。新大陸との貿易で国が富を築くためには,航海技術を補佐する天体観測データが必要だったのだ。
しかし,王命とはいえ予算は厳しく,チャールズ2世は,古い火薬庫を売却して得た£500を建設費用としてレンに言い渡し,レンは,廃品を利用しながら最終的に£520でこの天文台を建てた。天文台に使われているレンガは,要らなくなった古い要塞から回収したものだそうだ。
クリストファー・レンは,ラテン語・解剖学・数学・工学・天文学に秀でた天才で,自身の天文学の知識をベースに天文学者にとって使いやすい建物を設計している。このため,フラムスチード・ハウスには見所がたっぷりあるのだ。
まず外観から見ていこう。
最初に目に留まるのは,風向計の塔の屋根に乗った赤い玉だろうか。
タイム・ボールと呼ばれるこの玉は,毎日12時58分に上へ上がり,13時丁度に落下する。テムズ川に係留する船舶が,これを見て時刻を正確に合わせるための仕掛けである。
端っこに飛び出た銀色のドーム型屋根をつけた部屋は,カメラ・オブスキュラ。太陽観測に使われていたカメラの原型で,中に入って見学することができる。私たちが入ったときは,残念ながらこの空模様。曇っていて何も見えなかったが(^^;。
そして,カメラ・オブスキュラの外壁に注目しなければならない。ベンチの背後にさりげなく埋め込まれている文字盤があり,何とこれは,エドモンド・ハレーの本物の墓石なのである!
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Royal Observatory Greenwich (4) Flamsteed House Panasonic LUMIX DMC-FX33
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ハレーはフラムスチードに続く2代目の王室つき天文学者で,墓石はハレーの墓が作り直された時に,ここへ運ばれてきたのだそうだ。
墓石の隣の解説には,こう書いてある。
THE FAMILY TOMBSTONE OF EDMOND HALLEY(1656-1742) 2nd Astronomer Royal, 1720-1742
The tombstone was moved here from the churchyard of St Margaret's in Lee when Halley's tomb was restored by the Load Commissioners of the Admiralty in 1854. The tomb itself is still located at St Margaret's with a replica tombstone in place.
The Latin inscription reads: Beneath this gravestone, Edmond Halley, unquestionably the most eminent of the astronomers of his age, rests peacefully with his dearest wife. So that the reader may know what kind and how great a man [Halley] was, read his varios writings in which he dignified, embellished and strengthened almost all the arts and sciences.
And, therefore, as he was a man so greatly cherished by his fellow-citizens during his lifetime, so let a grateful posterity venerate his memory. Born in the year of our Load 1656. Died 1741/2. This stone was consecrated to excellent parents by two devoted daughters in the year 1742.
…ざっと訳すと…
エドモンド・ハレー(1656-1742)は1720年から1742年まで王室天文学者であり,その墓はリーのセント・マーガレット教会の墓地にあった。しかし1854年に海軍により改修され,墓石はそのときこの地へ運ばれてきた。ハレーの墓は,今もセントマーガレット教会に,この墓石のレプリカと共にある。
墓石にラテン語で刻まれている文字は,こう語っている。
確かに彼の時代の最も優れた天文学者だったエドモンド・ハレーは,この墓石の下で,愛した妻と共に幸せに眠る。これを読む者は,彼が書いた様々な文献を読み,ハレーがどんなに偉大な人物だったかを知っているかもしれない。また,生存中の彼は,地域の人々に大変慕われていた。彼の素晴らしい思い出をこれからも大切にしよう。彼は1656年に生まれ,1742年に亡くなった。この墓石は,1742年に二人の娘たちから素晴らしい両親へ献げられた。
グリニッジ天文台について詳細に語る旅行ガイドブックなど,存在しない。故に私は,ウィリアム・ハーシェルのみならず,エドモンド・ハレーの生きた証しまでもここで見ることができようとは思ってもみなかった。静かな,だが確かな感動である。そして,恒星に番号をふったフラムスチードを含め,これらの偉大な人々を生み出したイギリスという国に,自然と敬意の念が湧き起こる。
世の中には多くの分野にそれぞれの偉人が存在するが,やはり,自分が幼い頃から興味を抱いてきた分野の偉人たちは格別なのかも知れない。
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Royal Observatory Greenwich (5) Flamsteed House Panasonic LUMIX DMC-FX33
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フラムスチード・ハウスに入ると,まずフラムスチードの胸像があった。見るからに新しく,製作は1975年と書いてある。胸像の下には「ジョン・フラムスチード(1646-1719)は最初の王室天文学者で,航海士たちが海の上で位置を確認できるよう,この観測所で太陽・月・星の正確な観測を始めた。」との説明書き。
フラムスチードと聞いて私がまず思い浮かべるのは,恒星一つ一つに振られた「フラムスチード番号(フラムスチード名)」である。α・βなどのバイエル名が無い明るい恒星は,この番号で呼ばれることが多い。だから,星を見るために星図を見たことがある人なら,フラムスチードの名を聞いたことがあるだろう。
類い希なる根気が必要と思われるこの仕事を,彼はこの天文台で成し遂げたのだ。
胸像のすぐ横の部屋には彼が使った望遠鏡も保管されており,感慨深いことこの上ない。
フラムスチードの後を継いだハレーの胸像が,その先に置かれていたが,こちらはかなり年季の入った胸像だ。
当時の調度品や研究に使った書物などが展示されたスペースを通り過ぎると,いよいよここで最も見たかったオクタゴン・ルームへ上っていく。
オクタゴンルーム。その名のとおり八角形をした天体観測所で,建物の外から見ると,タイム・ボールの下の長細い窓を巡らせた部屋である。
当時の非常に長い天体望遠鏡の筒の先を窓から出して自在に観測できるよう,縦長の大きな窓が八方に開けられ,観測のために,4mの振り子を持つ正確な時計が据え付けられている。天文学の本で,昔の観測風景としてこの部屋を描いた絵や写真を幾度見掛けたことだろう。私の個人的な意見によると,この非常に美しく機能的な部屋は,セントポール大聖堂と並ぶクリストファー・レンの傑作である。
グリニッジ天文台へ来て,この部屋を見ないという選択肢はあり得ない!
ところが,オクタゴン・ルームが近づくにつれ「The Octagon Room / No Camera」という看板がしつこいほど立っている。何故か,オクタゴン・ルームの写真は撮っちゃいけないらしい。
こんなにも楽しみにしていた美しい部屋の写真を旅行記に載せられないなんて! つくづく悲しいが,仕方がない。
代わりにはならないが,オクタゴン・ルームの写真が載っている解説板の写真を載せておこう。
私たちはオクタゴン・ルームで7分くらいの時間を過ごし,下へ下りた。おそらく,グリニッジ天文台における短い時間の中で,もっとも長くいた場所がこの部屋だっただろう。こんなにも貴重な部屋なのに,ここまでやってくる観光客は非常に少なく,私たちが部屋を眺めている間,やってきた人はほんの十人程度である。多くの人にとって,グリニッジ天文台は子午線さえ見れば満足する場所なのだろう。
オクタゴン・ルームを出て梯子のような階段を下りると,小さな展示室になっていて,フラムスチードの業績や,当時の天体観測機器などが置かれていた。ここには「No Camera」の表示はなかったが,展示品を撮っていたら撮らないでくれと言われたので,雰囲気を撮った1枚だけ。
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もともと閉館時間ぎりぎりにやってきたので,見学も駆け足。その後は大急ぎで子午線の後ろのエアリー子午環を見たが,大きすぎたせいか「No Camera」だったせいか,とにかく写真も残っていない。最後にショップで何か記念品でも買って帰りたかったのだが,ドームの中の巨大な望遠鏡を見て下りてきたら,もう売店は閉まっていた。残念だったが,ここを訪れることができたという事実が,一番のお土産になるだろう。
天文台は閉館しても,子午線の周辺だけは観光客に解放されており,門が開けられている。
私たちは子午線の横の門から天文台の外へ出て,横の広場を少し歩き,天文台のゲートの前を通って公園へと下りていった。
天文台のゲートの外側には24時間時計が取り付けられており,人だかりができている。19世紀には毎日“グリニッジ・タイム・レディ”がこれを見て時計を合わせ,ロンドン市内の時計店に正確な時刻を伝えていたという,由緒ある時計である。
世界時基準の地で見る最後の物品に相応しいというべきだろう。
外部リンク
・Greenwich Park (グリニッジ・パーク)
・Royal Observatory : Places : NMM (王立海洋博物館・グリニッジ天文台)