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1989年,私は大阪府民だった。だから,この年,大阪市立電気科学館のカール・ツァイスのプラネタリウムが52年間の現役生活を終えたことを,よく覚えている。
何故このプラネタリウムを引退させなければならないのか…多くの人が別れを惜しんでいた。大阪に来たばかりの私だったが,本当に愛されているプラネタリウムだということは,よくわかった。しかし,一度見に行かねばと思っているうちに時がすぎ,願いは叶わぬままに電気科学館は閉館。機会は永久に断たれたのだった。
そのプラネタリウムの華やかなりし現役時代の勇姿を,最近になって父のアルバムの中に発見し,驚いた。
昭和29年(1954年),修学旅行で行ったときに撮った写真ということだ。本当に,よくぞ撮っていてくれた! さっそく父にスキャンを頼んだ。
1937年2月に,日本はもちろん東洋最初のプラネタリウムとしてオープンした大阪電気科学館のプラネタリウム(カール・ツァイス社製プラネタリウムII型第25号機)は,1938年開館の東京有楽町駅前のツァイスII型が戦災で消えた後,1954年当時も日本で唯一のプラネタリウムだった。
日本のプラネタリウムの草分けとなった各施設の開館は,これより数年後のことなのだ。
1954年,大阪のプラネタリウムが修学旅行生の見学すべき貴重な文化資産だった所以である。
全部で27機生産されたカール・ツァイス社II型プラネタリウムだが,現存するのはたった3機。このプラネタリウムは,その中の貴重な1機として大阪市指定文化財に登録され,現在は電気科学館の後継施設である大阪市立科学館に展示されている。
人間の星空への夢が叶った,遙かな時代の証人として。
(2004年9月24日)
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なお,大阪のカール・ツァイスII型について詳しく知りたい方は,大阪市立科学館のウェブサイト内にあるプラネタリウム資料室をご覧ください。
また,プラネタリウムの歴史については,旧 日本プラネタリウム協会の機関誌『Twilight』のページに詳しく書かれています。
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2007-07-01 追記
名古屋市科学館のツァイスも,2010年には引退し,新しくなることが決まった。老朽化が進んだ理工館・天文館の改築に伴い,今度は直径35mのドームの世界最大のプラネタリウムに動画を投影し,本物のような宇宙空間を演出するとのことだ。
2007-02-26 追記
明石市天文科学館のカール・ツァイスのプラネタリウムは,阪神・淡路大震災の時も同館で唯一被害を免れ活躍してきたが,部品の入手が難しくなり,とうとう廃止の決定が下された。2007年度中に新たな投影機を選定,2009年度末までに一時休館して投影機の更新工事,開館50周年を迎える2010年度には新しいプラネタリウム投影機での第一歩が始まるということだ。
2008-06-15 追記
明石天文科学館へプラネタリウムを見に行き,職員の方と話をすることができた。何と,明石のカール・ツァイス廃止は無くなったとのこと! 今後も頑張ってメンテしていくとのことだ。何と嬉しいことだろうか。七夕飾りに彩られたプラネタリウムは,とてもとても誇らしげに見えた。