ジャコビニ流星群

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 1972年のジャコビニ流星群の話はあまりにも有名で、天文ファンなら、多分その頃生まれていなかった世代の人も、何度も流星が飛ばなかった話を耳にしていることだろう。
 まさに一世を風靡した、星好き以外の人々までを巻き込み、“光害”なんて言葉まで世に生み出した流星群、そして、星は流れないまでも、去った後に沢山の天文ファンを残していった流星群。ジャコビニ流星群の群流星を実際には一度だって見たこと無いくせに、私はこの名を聞く度に、軽い郷愁を覚えてしまう。それは、ジャコビニ流星群を待った幼い自分への郷愁であり、星に憧れ始めた1972年という朧気ながら記憶に残る時代への郷愁であり,同じ空を見上げて星に魅せられていった数々の物語への郷愁である。

 ジャコビニ流星群。竜の頭付近に輻射点(最近は“放射点”と言うらしい)を持ち、別名“りゅう座流星群”とも言う。母彗星は、ジャコビニ・ヂンナー彗星(21P/Giacobini-Zinner)で、“ジャコビニ・チンナー彗星”とか“ジャコビニ・ジンナー彗星”“ジャコビニ・ツィンナー彗星”とか随分いろいろ表記はあるようだが、私はいつも、最初に覚えた表記“ジャコビニ・ヂンナー彗星”を使う。これも郷愁の成せる技かもしれない。
 この彗星は 6.61年の公転周期を持ち、毎年10月8日〜9日の夜に地球はその軌道付近を通過する。しかし13年に一度だけ、ジャコビニ・ヂンナー彗星は、地球が10月8日の夜を迎える頃、その近くを通りかかるのだ。13年に一度の地球とジャコビニ・ヂンナー彗星のランデブー。それがジャコビニ流星群の年となる。ジャコビニ流星群は生誕100年ほどの若い流星群だから、まだ軌道上の流星物質は母彗星の周辺にちらばっているだけで、ランデブーの年以外にはほとんど流星が見られることはない。故に、それは13年に一度の貴重な機会として観測者の夢と期待をあおることになる。

 そう、今世紀中3回起こった大流星群のうち2回までがこのジャコビニ群だったのだ。1933年と1946年、いずれもHR10000とも20000とも言われる大出現だったと聞く。あの1972年の13年後に静かに迎えた1985年も、HR100個ほどの活発な活動を見せている。運がよければ空を埋め尽くすような流れ星が見られるのだから、まったく天文ファン冥利に尽きるというものだ。今、またその13年目の10月を迎えようとしているが、満月を過ぎたばかりという最悪の条件の中、空を見上げる熱心な人たちがきっと沢山いるのだろう。

 ジャコビニ流星群は、まだ生まれたばかり。ジャコビニ・ヂンナー彗星が、100年ほど前に木星近くを通過した時、木星の影響を受けて軌道を大きく変えられてしまい、その結果、現在の軌道になってこの流星群が誕生したのだ。それ以前の彗星の軌道は、地球の外側だったという。まだまだこの先この群は、私たちに話題と期待を与え続けてくれることだろう。
 星の時間は人間よりもずっとゆっくり流れているのに、見ている間にも、こうして一つの流星群が生まれたりするのだから、なかなか刺激的な話だと思う。

 1998年10月9日の午前6時。最大予報時刻は1ヶ月後に迫っている。
 今頃、地球とジャコビニ・ヂンナー彗星は、「やぁ」と手を挙げ、13年ぶりの挨拶を交わしているに違いない。

(1998-09-09)


●参考資料: 吉田誠一のホームページ(流星群カタログ)


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