窓に描く絵

※当ページの転載・複製は,一切お断り致します。
(C) 1998 Snowy Yuki. All rights reserved.


 ここ数年、冬の寒い日、窓ガラスが、暖まった部屋の水蒸気で真っ白に曇る風景をあまり見ていないような気がします。単に、私の毎日が忙しく、幼少の頃のように、そんな風景に注意を払っている余裕がなくなっているせいなのかもしれません。けれど、エアコンやホットカーペットの普及で、暖房器具から水蒸気が出なくなったことにも原因があるのでしょう。その分、窓には住宅の密閉性が良くなったことに起因する結露が見られるようになりましたが、それは、石油ストーブで暖まった昔の木造住宅の窓の露とは、少しばかり趣が異なっているような気がするのです。
 私が育った1960年代の木造住宅の窓の露。それは、細かくて、窓全体が真っ白になるような、優しい暖かさの感じられる露でした。そう、思わず手で触れてみたくなるような。

幼い頃,窓に描いていた絵

 そうして思わず触れてみたのが、多分、幼稚園に入った頃。居間の窓際にあったソファーの腕によじ登り、窓に手が届くようになった年頃だったと思います。
 その当時の私の家の居間のガラスは、下半分が模様の入った装飾ガラス、上半分が透明の普通のガラスになっていました。下の装飾ガラスは、露がついても目立たなかったし、特にさわってみたくなるほどの魅力ある対象にはなりませんでした。で、多分、透明ガラスに手が届くようになった時、思わず触ってみたのだと思います。
 触った部分の露が落ち、そこから外が見えるようになることが、私には単純にすごく面白いことでした。最初は、ただ真っ直ぐな線を引いてみたり、露の画用紙に、ぐるぐると丸い穴を開けてみたりしていたものです。
 それからしばらくして、絵を描くことを思いつきました。
 そして、よく描いたのが、ロケットの絵。
 アポロ計画が進行していた1960年代の終わり頃。幼稚園児だった私の耳にもその名は度々聞こえてきていました。小さくても、人間が月へ行くということに夢を描き、それを楽しみにする気持ちは大人と同じだったと思います。よく父が聞いていたラジオのニュースを、私も楽しみにして聞いていました。「何号が月に行くの?」「いつ行くの?」そんな質問を、両親に繰り返したものでした。

 宇宙ロケット。それは、幼稚園児だった私のあこがれの象徴。
 まだ未来を想像するということも知らなかった私に、宇宙ロケットという存在は、未知なるものを想像し、それを知ることの楽しさを教えてくれたのでした。

 真っ白に曇った窓ガラスにロケットの絵を描きます。そして、それを少し離れたところから見上げるのです。すると、私のロケットは、まるで空を飛んでいるかの如く、宙に浮いて見えるのでした。
 それが楽しくて、しばらく私は窓ガラスへの落書きを繰り返しました。幸いにして、窓ガラスの絵は露が消えるのと同時に消えてしまいますから、落書きが悪いことだと知っていた私も、これなら悪くないだろうと安心していたこともありました。
 しかし、ある日、私は母に窓ガラスの落書き禁止令を出されてしまいます。「消えるのに、どうして?」私の疑問は、母の指した窓ガラスを見るなり解決したものです。乾いた窓ガラスには、私が指で落書きした絵や模様がくっきりと痕になって残っていたのでした。「汚いでしょ!」。母に言われ、私のその魅力的な遊びは終止符を打ちました。

 それからしばらく、私は白く曇った窓を見上げては、ロケットを描きたい欲求を抑えて過ごし、しかし、やがてはそんなことも忘れ、二度と落書きをすることもなくなったのでした。
 寒い日、白く曇った窓ガラスは、私に、そうやって宇宙ロケットにあこがれていた、幼児だった頃の自分の存在を思い出させてくれます。今となっては、それはただ、冬の日窓ガラスを見上げたときのふとした刹那、記憶の中に甦る懐かしいひとこま。けれどそれは、幼い頃の私が今も自分の中に生きていることを感じる瞬間でもあるのです。

(1998-08-30)


Home   星空余滴   星愁