いつかコロナを…

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熊本市歯科技工士会広報誌『with-U』第2号(1991年10月15日号)掲載

 それは、高校一年も終わろうとしていた三月の、ある日の地学の授業。その年、1980年 2月にアフリカであったばかりの皆既日食のビデオを見て、私は、本当に息がつけなくなった。
 ダイヤモンド・リングのきらめきが消えたその刹那、燃え立つコロナが黒い影となった太陽を覆った。コロナの青白い光は、まるで生きもののように黒い太陽を包み込み、息づいている。よもや、これほどまでに美しく、これほどまでに神秘的な光景が、この世に存在し得ようとは。
 私は、圧倒され、茫然とし、そして決心した。
 いつか、皆既日食を見よう。ダイヤモンド・リングが、コロナに囲まれた黒い太陽に変わる瞬間を、きっと自分の目で見てみよう。


 ところで、地球上のある地点で皆既日食が見られる割合は、理論上 340年に一回だと言われる。また、もし日本に居座って、じっと皆既日食を待っているならば、2035年9月2日まで見られないことも分っている。それも、関東地方北部の、ごく狭い地域に限られて。
 私のコロナへの憧憬は、そんなに年をとるまで悠長に待っていられるほど呑気なものでもなく、おのずと海を渡って遠征する他なさそうだった。

 皆既日食と一口に言うが、その時々の太陽・月・地球の位置関係や、日食の起こる地球上での位置、太陽自身の活動の具合等で、食の時間の長さやコロナの形などの性格が、毎回異なっているものである。
 例えば、コロナの形なら、太陽黒点が増減を繰り返す11年周期に従って、円形に見えたり、平ベったく見えたりする。円形に広がる美しいコロナを見たければ、できるだけ黒点極大期近くに起こる皆既日食をねらわなくてはならない。
 また、少しでも長い間コロナを観測するためには、皆既食継続時間が長ければ長いほど良いと言えるが、これは言い換えると、少しでも長く太陽が月の後ろに隠れていることが必要ということである。そのためには、太陽が遠くにあって小さく見え、月が近くにあって大きく見えている時がよい。
 それ以外にも、当然、晴天率の高い場所が望まれるし、個人的には、軍資金や休暇の如何が問題となってくる。私にとって、これらすべての条件が満たされたのが、今回のハワイ島の皆既日食であった。


ワイコロア・ゴルフ場の風景写真

 1991年7月12日の皆既日食は、ハワイ島、カリフォルニア半島南端、メキシコ市などで見られたが、皆既時間の最大がメキシコ市の 6分58秒。これは、今世紀中第四位の長さである。今年は、7月7日に太陽が最遠で、 7月11日には月が最近だった上、夏至に近い日の北回帰線付近という、地球上でも最も太陽に近い場所に月の影が落ちたことが重なって、皆既時間が長かったのだ。ハワイ島でも 4分12秒の皆既食となった。
 コロナの形状に関しても、'89年から'90年にかけて黒点極大期を迎えた太陽は、'91年現在も活発に活動しており、この7月は、まだ十分に美しい円形のコロナが期待できた。その上、メキシコもハワイも、晴天率の高さでも申し分ない条件と言え、私は、約四年前からこの日食に焦点をあて、お金と有給休暇をためながら、海外遠征の決意をかためていた。


 日食の条件は、ハワイよりメキシコの方が良かった。皆既時間が長く、晴天率も高い。だが、メキシコ行きは、お金も休暇もかかりすぎる。結局私は、近くて治安も良いハワイを選び、大学時代の星仲間を中心に九名のグループで、天文雑誌が主催した日食ツアーに参加した。


 皆既帯が通るハワイ島は、四国の約半分の面積を持つ。その中央には4000m を越える山がそびえ、島の気候を東西に完全に分断している。山の東側は雨が多く、年間降水量4000mmで植物が生い茂っているのに対し、西側は降水量 300mmの乾燥地帯。当然ながら、日食の観測地には晴れの日の多い島の西側が選ばれた。
 そうして早朝に起こる日食に備えて、私たちが観測のために借り切ってあったゴルフ場へ移動したのは、深夜だった。
 ところが、年間降水量 300mmしかない筈の地面に雨の跡がある。空には一面の雲。すでに雨は上がっていて、ところどころ、雲の切れ間からは星が見え隠れしているものの、一面の雲。日食が始まるまであと6時間ほどしかないのに、一面の雲。たった4分間、黒い太陽とコロナを見るためだけに、仕事を休み、通常時の三倍ものお金をつぎこんでまで、今、この地にやって来た一同の心を不安がよぎった。
 救いは、風があり、雲が動いていることだ。せめて皆既の時だけでいい、晴れてほしい。皆、祈るような気持ちで、翌朝太陽が昇る筈の位置を見定めながら、各々に望遠鏡やカメラのセットを始めた。


雲間から見えた太陽の写真

 朝になっても、空は厚い雲に覆われたままだった。雲の向こうでは、すでに太陽が欠け始めているというのに。太陽があるべき筈の東の空の雲を、虚しく見つめる以外、私たちには、なすすべもないのだった。
 だが、皆既食の約20分前、少しだけ雲が薄くなり、雲を通して欠け始めた太陽が顔を出した。それすら見られないと思っていただけに、少し救われた思いで、私は雲をフィルターにして、欠けゆく太陽の写真を撮り始めた。部分日食は日本で何度も見ているが、ここまで細く細く欠けた太陽を見たことはなかった。


 結局、ダイヤモンド・リングとコロナは見られなかった。雲が厚すぎて、とても光が届かなかったのだ。ただ、辺りが暗くなったので、私たちにも皆既食に入ったことがわかった。
 皆既中の暗い風景は、確かに、それだけで、私たちの心を十分に捕えてしまう何かがあった。なまじ、太陽が見えなかっただけに、地上の風景を観察するだけの余裕ができてしまったのだ。それはそれなりに、大きな収穫だったと思う。
 街灯がともり、雲の間からは星も見え、辺りは不気味に静まりかえっていた。何も知らぬ古代の人々は、この異様な空気に、どんなにおびえたことだろう。
 やがて、 4分12秒が過ぎ、あっという間に明るくなった。鳥のさえずり声が再開し、街灯は消え、大きくなって明るさを増してきた太陽が、雲を通して見え始めた。


 後に残ったものは、皆既中の空気を肌で感じた興奮と、そして、長い間楽しみにしていたコロナが結局見られなかったのだという、大きな大きな虚脱感。
 けれど、がっかりして肩を落とすことだけは、決してしたくなかった。私の、コロナを見る夢はまだ生きている。雲なんかにめげていては、天文ファンは務まらないのだ。
 また行こう、どこかへ。コロナと、皆既中の不思議な世界を見るために。
 私の心は、すでに94年南米の皆既日食を目指して飛んでいる。


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