太陽徒然なるままに

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S大学地学研究会OB会誌『OBINET』1990年春号掲載

 最近、阪神地区拠点の小さな天文サークルに入りました。会員数約10名のほんとに小さな会ですが、まぁ天文屋さんの例に漏れず個性的な人の多いこと。勝手わからず若干不安を感じつつ、しかしできるだけ通うようにしています。
 そのサークルで会報を作ることになり、「土山さんは天文歴も長いことだし、天文講座を担当して下さい」とか言われ、安易に引き受けてしまった私は、昨年末は年賀状を書いている暇すらなく、原稿に苦しむはめになりました。
 そう、よく考えてみれば、高校も大学もドームつきの恵まれた学校で過ごし、常に星仲間に囲まれて生きてきた私ですが、実はただ漫然と星を眺めていただけで、「講座」を書ける程の知識は何も持ち合わせていなかったのでした。唯一、普通の天文ファンよりは秀でた知識を持っているかもしれない、と希望が持てそうなのは太陽だけ。
 太陽。これは、いくら頑張って原稿を書いてもきっと受けないだろうな、実際私の天文友達にも星は好きだけど太陽はちょっと…という人は多かったし。
 とはいえ他にどうしようもなく、私は題名を太陽黒点と定め、その後、約一ヶ月間、久々に太陽の文献に埋もれて暮らしたのでした。


 思えば小学四年の秋、念願の天体望遠鏡を手に入れ、それで最初に見たのが太陽黒点。何か、因縁めいたものを感じます。
 正直に告白しますと、実は私は黒点なんて見たくもなかった。しかし、望遠鏡を組み立ててくれた父が、わざわざ投影してくれたため、自称天文少女の私としては、熱心なふりをして見ないわけにはゆかなかったのでした。当然ながらというべきか、黒点は美しくもないただの黒い模様にすぎず、十歳の私の心を捕らえるにはちょっと役不足でありました。私は自分が太陽黒点を好きになれないことを確信し、マイ・テレスコープの使い初めを終えたのでした。
 それから時は流れて六年後、サイクル21(第21太陽活動周期;1755年に始まるサイクルをサイクル1とし、以後、極小〜極小を単位サイクルとし、順に番号をつけて呼ぶ)が極大を迎えつつあった1979年秋のこと。高校一年になった私は、地学部の黒点観測のため、晴れた昼休みはドームへ通うことになりました。
 最初は黒点観測をしたくて、というよりも、昼休みのドームの日だまりの中で、地学部の仲間たちとひととき過ごせることが嬉しくて、私は一年生の中でも一番熱心にドームへ通っておりました。けれどそのうち、黒点観測は日課となり、さらに誰もやろうとせず放ってあった集計に手を出すうち、私はすっかり黒点に魅せられてしまったのです。やがて三年生になり、黒点観測を後輩に引き渡さねばならなくなって、どんなにつらかったことか。― 昼休みの太陽が欲しい ―空を見上げてそう嘆きながら、私は高校三年の一年間を送ったのでした。


 1982年4月13日午後、ガイダンス終了と同時に私は地学研究会の部室をめざしました。前年6月号の天文ガイドで紹介されていた地学研というサークルを、一刻も早く見てみたかった。
 ドームで40p反赤の説明をしてもらった後、黒点観測のことを尋ねると、部室でスケッチや集計表を見せられました。高校の時私が独学でやっていたものに比べると、データのまとめ方も本格的に見えた。さすが大学は違う…、私はすっかり嬉しくなってそのまま部室に居ついたのでした。


 大学在学中、最も黒点に打ち込んだのは三年生の時。
 朝、始業前に観測をしてしまう。そのため、下宿生にしてはかなり早起きでしたっけ。朝曇っていたりすると悲惨で、授業を受けながらも天気が気になり、外が太陽の光で明るくなったりすると、「もし今だけが今日の晴れ間だったらどうしよう」とやきもきすることになるのです。そうして授業終了と同時に、ドームへと走りました。雨の日などは、正直な話ホッとしたものです。
 冬場、南アルプス降ろしの強風が吹き始めると、風の抵抗でドームを回す度ヒューズが飛び、その為いつもドームの回転は手動になったものですが、その時の観測は大変でした。ドームによじ登り、自分の身体をてこの棒に使い、全身の力で風に対抗してドームを回さねばなりませんでした。けれど、せっかく太陽を導入したとたんに風が吹き、ドームが回ってスリットは遥か彼方…なんてことも珍しくない。その度にドームへよじ登るわけですから、スカートを着ることはすっかりなくなりましたっけ。
 静岡にいて、そして空に晴れ間がある限り、一日欠かさず太陽をとらえよう。私の頭にあったのは、太陽と引き離された高三の一年間。私の頭にあったのは、当分引き離されざるを得ない卒業後の日々。私の頭にあったのは、太陽観測だけが、私が地学研に残せる財産だってこと。私の頭にあったのは、太陽を追いかけている限りは、高校時代地学部でみた夢の続きでいられるってこと。


 そんな私の大きな目標だったのは、地学研の記録の中でしか知らない、先輩のT氏でした。『空間』で彼女の太陽観測報告を読み、どんなに感激したことか。知識も情熱も、どうしたって彼女には遠く及ぶまい。彼女の残した素晴らしいデータをひき継いで地学研で観測できるとは、この上なく仕合わせなことだと思えました。
 その『空間』の記事の中で、特に私の興味をひいた一節。それは、長期の太陽活動、マウンダー極小期の話でした。
 マウンダー極小期という名は、多分それ以前にも聞いたことがありました。けれどその詳しい内容は『空間』で初めて知ったのです。これぞまさしく太陽の神秘。私には、これを知らずしてどうして太陽観測の本当の面白さがわかろうか、とすら思えたほどでした。
 ガリレオが、現代にも通用するほどの立派な黒点観測を行ってから、約350年。100億年もの時をかけて進化していく太陽なのに、このたった数世紀の間さえも、決して一様ではなかったのです。マウンダー極小期とは、1645年から1715年にかけての、太陽に黒点のなかった70年間のことなのでした。
 もしかしたら、今、私たちの目の前で、太陽から黒点が消え去る日が来るかもしれない―。


 はてさて、天文講座で太陽のことを書くならば、是が非でも、このマウンダー極小期のことを紹介しなければ。T氏の原稿を読んだときの感動を思い出し、私は押し入れの奥から数冊の太陽の本を引っぱり出しました。
 ところが、マウンダー極小期に関して満足のいく解説は、なかなか見つからないのです。たまにあっても、T氏の「空間」以上のことは載っていません。私は近くの市立図書館のことを思い出し、そこで文献を捜してみることにしました。
 そうして出逢ったのが『太陽黒点が語る文明史』(桜井邦朋、中公新書)。これこそ、私の希望にぴったりの本でした。マウンダー極小期とそれに類する太陽活動、及びそれらの地球環境への影響が、一冊に渡って延々切々と説き語られているのです。
 肝心の原稿のことも忘れ、しばし、私はその本に夢中になりました。


 太陽の明るさは、太陽活動の変動―要するに黒点の増減―に伴い、僅かばかり変化している。ということは、「黒点の増減は、地球が受け取る太陽エネルギーと比例関係にある」ことになります。当然、人間の生活もこの太陽黒点数で表現される太陽活動の影響を受けているといえ、特に、中でもマウンダー極小期のような長期に渡る変動は、けっこう大きな影響を与えているらしい―。
 太陽活動は8世紀頃から上昇し始め、10世紀から13世紀半ばまでは「大極大期」と呼ばれています。この期間は、通して地球の気候は温暖で、農業生産は向上し、人口も急増しています。ところが、13世紀後半、太陽活動が急激に低下してくると、時を同じくして、地球の気温も下がり始めたのです。この時期、14世紀から18世紀の終わりまでは「小氷河期」と呼ばれ、地球全体に渡って、食料生産の不振、ペストの流行などが広がっていました。日本は黒潮の影響で、それほど大きな痛手を受けなかったようですが、西ヨーロッパでは、人口が3分の2に減ったとか。中でも一番気温が低かったのは、17世紀半ばからの十数年で、マウンダー極小期とぴったり重なっているのです。


 ところで、最近、地球の温暖化が問題になっています。こちらは太陽が云々よりも人為的環境破壊が原因なわけですが、今後、太陽活動がこれに一枚かんでくる可能性もあるのでは…と、私は密かに考えているところ。
 11年周期が5サイクルひと組になって、大周期を形成している、という説がありますが、これによると、大周期の最初と最後のサイクルは極大値が低く、3番目か4番目のサイクルが、その大周期の極大となる。それなのに、私が高校・大学を通じて観測していたサイクル21は、史上二番目の高い極大値を示したにも拘らず第VI大周期の最初のサイクルでしかない。もし大周期説が正しければ、サイクル22、23と極大値は大きくなってゆき、少なくとも2010年くらいまでは、太陽活動はかなり活発であると予想できます。それを裏付けるかの如く、現在極大を迎えつつあるサイクル22は、史上最大だったサイクル19(第V大周期の極大サイクル)の極大値をも上まわりそうな勢いなのです。
 “現代極大期”と言われる、この太陽活動。地球にどんな影響を及ぼすのでしょうか。


 それにしても、世の中には色々な着眼点を持つ人がいるもので、英国の天文学者が『ネイチャー』に、インフルエンザ流行と黒点活動周期の因果関係を発表しています。曰く、「インフルエンザ・ウイルスは宇宙からやって来るもので、黒点活動が活発な時は、太陽風によって、ウイルスを含む宇宙空間の微粒子が地球に沢山送り込まれ、その結果インフルエンザが流行する」のだそうで、過去のデータで実証できるとか。
 もともと“インフルエンザ”という言葉は、ラテン語の“インフルエーレ”(流れ込む)から派生したものですが、ウイルスが星の力で“流れ込んで”いる、ということで、ちょっと占星術みたいでロマンチック…とまで言ったら、脳天気でしょうかね。
 何はともあれ黒点極大期。夜空の星を見上げる時は、せいぜい宇宙から来たウイルスを飲み込まないよう御用心を。ここまで徒然話におつきあい下さったあなた、お疲れ様でした。

1990年2月 7331


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