“星を見よう会 in 多賀“に参加して

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S大学地学研究会OB会誌『OBINET』1991年冬号掲載

 「星の広場」と称す彗星屋さんの会があり,毎夏,各地持ち回りで“星を見よう会”という集会をしていますが,今夏の会は,滋賀県多賀町にあるダイニック・アストロパーク天究館で,8月9日〜11日にかけて行われました。
 私自身は彗星にそれほど関心がなく,「星の広場」の人たちの話も難しすぎてわからないものの,今回は,主催者が顔見知りであったこと,開催地のダイニック・アストロパーク天究館に興味があったこと,参加者の中に久しく会っていない友人の名があったこと,などの理由が重なり,行ってみることにしたのでした。

 開催地となった「ダイニック・アストロパーク天究館」は,滋賀県の資材メーカー,ダイニック株式会社が,教育・社会事業の一環として収益を社会に還元するために,1987年に設立した天文施設です。時折,近畿地方のトピックスとしてテレビでも紹介されていたため,私も設立当初から,その存在だけは知っていました。
 60cmの反射望遠鏡をはじめ,各種の充実した設備を持ち,それらを地域の人々に開放。天文教室なども随時行い,また,車に望遠鏡を積んで,出張観望会などもやっているそうです。
 名神彦根インターから,車で10分ほどの所にありました。

 私は,60cmが見せてもらえる,ということを楽しみに出かけたのですが,天気が悪く,結局,星を見ることはできませんでした。
 けれども,久しぶりに星の話を聞き,少し刺激になりました。10日の朝から,津村光則氏による彗星の写真撮影の話と小林寿郎氏による彗星スケッチの話(この二人の名は,天文年鑑をパラパラやっていただければ,すぐに見つかります)。それから,流星の藪保男氏による「流星と彗星はどんな関係にあるのかな」という話の後,お昼をはさみ,午後からは,彗星関係の著書を多数出されている長谷川一郎氏の講演。夜には「星の広場」の会員の方による,流星塵の研究発表もありました。
 彗星という共通の話題を持って,熱心に語り合う「星の広場」の人達の姿を見るにつけ,なんだか羨ましく,私も太陽の話をあんなふうに話せたらな,と思ってしまいました。


 そう,この会に参加したことにより,太陽に関してひとつ忘れられないエピソードがありました。

 7年前の1984年夏。“星を見よう会”が阿蘇で開かれた時,前出の小林寿郎氏に受付を頼まれ,暇つぶしに参加したことがありましたが,その時,一人の太陽観測者と出会いました。
 彼は若い会社員でしたが,毎朝出勤前に太陽観測をし,泊まりの出張等が入ると望遠鏡持参で出かけて観測を欠かさないのだと言い,北海道から沖縄まで持ち歩いたという望遠鏡で,太陽を見せてくれました。当時,卒業したら当分太陽とお別れだと思っていた大学3年生の私は,自分がいかにエセ観測者であったかを思い知らされたのでした。

 その後,就職してから,よく彼のことを思い出して,自分にはそれほどの熱意と気力はないのだろうかと自問を繰り返していましたが,何と,今回の“星を見よう会”で,彼と再会してしまったのです。しかも,彼は,私のことを覚えていてくれました。
 それなのに,今の私には,彼と語るべき太陽の話は何もなく,とても残念な思いでした。またいつか,彼と会うことがあったら,その時には,太陽の話ができるようになっていたいものです。

 −−今朝,大学のドームで太陽観測をする夢を見て目を覚ましました。
 夢の中の私は,久しぶりの観測に勝手を忘れ,モータードライブを入れ忘れたまま観測を始めようとして,あせっておりました。今の私の姿かもしれません。

1991年10月1日  7331


追記。

 その“彼”とは,1993年3月,パソコン通信でさらなる再会をしたのでした。
 パソコン通信を始め,NIFTY-Serveのスペースフォーラムで自己紹介をした時,メッセージの中の“太陽”“熊本”の単語に私のことを思い出し,私のプロフィールを読んで,「やはりあなたでしたか」とレスポンスをつけてくれたのでした。彼のハンドルネームは“山猫”さん。仕事を変わられ,四国の公共天文台で働いていらっしゃるとのこと。
 いつの日か,今度は私も観測者になって,彼と再度の再会を果たすことができるでしょうか。


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