月鉾(つきほこ,つきぼこ) 四条通室町西入

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 『古事記』によると,伊弉諾尊(いざなきのみこと)が黄泉の国から戻って禊祓い(みそぎはらい)をした時,左眼を洗って天照大神(あまてらすおおかみ),右眼を洗って月読尊(つくよみのみこと),鼻を洗って素戔鳴尊(すさのおのみこと)を生んだ。
 月鉾は,夜と水徳の神であった月読尊を,真木の中ほどにある天王座(てんのうざ)に祀る。

 動く美術館とも賞される豪華な月鉾は,元治元(1864)年の大火でも失ったのは真木だけ。様々な古い装飾品が残されている。
 筆頭は古鉾頭と天王の持つ櫂で,これらには「元亀四年(1573)六月吉日大錺屋勘右衛門(おおかざりやかんうえもん)」の刻銘がある。

 鉾頭は,1981(昭和56)年以降,田辺勇蔵氏寄進の18金製。横40cm,上下24cmの金色の新月型(みかづき)が用いられているが,古鉾頭には,他に正徳四年(1714)製もある。

 屋根裏の金地彩色草花図は,天明4年(1784)円山応挙(まるやまおうきょ,1733-95)の筆。

 天井の金地著彩源氏五十四帖扇面散図は,天保6年(1835),町内の住人であった岩城九右衛門(いわきくうえもん)の筆。

 破風蟇股(はふかえるまた)の波と兎の木彫り彫刻は,左甚五郎の作と伝えられる。

 二枚貝や巻貝を象った軒桁貝尽し(のきげたかいづくし)の錺金具は松村景文(1779-1843)下絵。四本柱の錺金具,破風飾の金具なども見事に華麗な装飾が施され,月鉾を動く美術館と言わしめている。

 天水引は,天保6年(1835)円山応震(まるやまおうしん)下絵による霊獣図(れいじゅうず)刺繍。
 下水引は,文化13年(1816)西村楠亭(にしむらなんてい)下絵による蘭亭曲水宴図(らんてきょくすいえんず)に変えて,近年は皆川月華による花鳥図が用いられている。

 前懸は,2000(平成12)年に17世紀インド製メダリオン絨毯を復元。
 後懸や胴懸にもインドやトルコの絨毯を用いており,2000(平成12)年は後懸のムガール王朝製メダリオン緞通を復元。
 見送は,皆川月華による湖畔黎明図。

 真木の中ほどの天王座の下には籠製の船が真木を貫いてとり付けられ,屋根の上には太陽の象徴である三本足の烏が乗っている。

 


 

新町通の巡行


新町を下ってくる月鉾

民家の窓からも声援が飛ぶ

前懸のメダリオン絨毯は17世紀インド製
鉾の下には辻回しに使う竹
見送の湖畔黎明図

狭い新町通は車方の腕の見せ所

大きな月鉾は,従う葛籠も大きい

 


 

雨の巡行

宵山の様子 | 写真集



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