7331のおさかな日記 2

モアの章 :2000年2月〜2000年5月

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2000年02月27日(日)

 15時頃から,マンション横の公園にモスの埋葬に行く。家のベランダから見下ろした真下にあるベンチの後ろ。穴を掘って水と一緒に遺骸を流し込むと,モスの身体はすぐに土に埋もれて見えなくなった。尾鰭が少しだけ見えてきたところで「ばいばい」って言って土をかぶせた。小さな魚達だけど,別れは寂しく悲しい。彗星のように優雅に泳ぐモスの姿をもう見ることができないと思うと心が沈んでならない。
 その後,水換えをして,モアの水槽にいたコマキ6匹を60cm水槽に移した。何と,緑色になっていた石があっという間に真っ白。石巻貝の威力の凄さがよくわかった。綺麗にしておくれ。モアの水槽は,モアとユリとマキちゃんだけで,すごく寂しくなってしまったけれど,モアとユリの面白さは,魚の数を埋めても有り余るくらいだと思う。

2000年02月28日(月)

 今日も信じられないくらい寒い。モアとユリは元気で安心。コマキたちは,沢山石を綺麗にしてくれている。

2000年02月29日(火)

お魚達はみんな元気。ユリは,水槽に移した当時のモアと同じくらいの大きさになったと思う。モアの縞模様が,いつの間にかみえにくくなったことに気がついた。確か,今のユリと同じくらいの縞模様があった筈だったのに。大人になると縞模様は薄くなっていくのかな? ユリもモアみたいになるのかな?
 モスを埋めた公園の横を毎晩帰りながら,「モス,寒い?」と聞いてしまう。彗星のようなモスがいなくなってしまったのは寂しいな。

2000年03月03日(金)

 モアがどうやら白点病であることが判明。鰓のあたりの鱗が白く逆立っている。点ではないが,モリーの時の初期症状によく似ているから。今のところ,モスのように食欲減退していないことが幸いだけど。
 先週モスのために買ってきた薬があったので,これを添加することにした。

2000年03月04日(土)

 水槽の水換えをし,白点病対策でモアの水槽の温度を上げるために,温度調節機能がついている60cm水槽のヒーターとモアの水槽のヒーターを入れ替える。

2000年03月05日(日)

 ラミの尻尾が,ほぼ元のハート型に戻った。尻尾って生えてくるのかな?

2000年03月06日(月)

 モアの白点病は,悪くはならないけれど良くもならない。

2000年03月07日(火)

 突然寒くなってきた。モアは,よくもならず悪くもならず。
 コマキがひっくり返っていて,救ったけど動かない。触覚を動かしていたような気はしたんだけどな。

2000年03月11日(土)

 ユリを60cm水槽に移し,モアの水槽にはポトスを入れた。モアはポトスが気に入ったようで,ずっと葉っぱの下でヒラヒラしている。しかし,モアが暮らしやすくなったと思って喜んでいたら,モアの水槽のフィルタのモーターが壊れてしまって動かない。おかげで水の対流がなくなって上部と下部の温度差がひどくなり悲しい。

2000年03月12日(日)

 午後からモアに薬を入れながら食事をする。モアの水槽のフィルタのモーターは,亮介が分解すると砂粒がはさまっており,それを取り除くと無事動くようになっり助かった。

2000年03月14日(火)

 60cm水槽に移したユリは,気が向くと喧嘩を吹っかけてまわるミニギャングみたいな存在になっている。特に気にくわないのがモリーらしく,遠くから眺めていて突然つつきに行く。そして反撃されてにげている。またモアの水槽にいたときは気に掛けていなかったラミのことも気にくわないらしく,近くにいると追い払う。モリーでさえラミのことだけは苛めないというのに! そこいらにいるランプアイたちも,次々に蹴散らしながら泳いでいる。まったく,凶暴ユリと呼んであげよう。でも,凶暴ユリも,ドラのことはどうでもいいらしい。目の前にいても追い払わないようだ。不思議だよね。
 モアの方は,一人になって優雅に泳いでいる。一人の方がいいんだね。何だか見ている私も優雅なモアを見ている方が安心だ。白点病?は治る気配がないが,とても元気。白点病じゃないのかな??

2000年03月19日(日)

 2日間留守をして家に帰ると,モアはすっかり元気になっていたがドラちゃん(コリドラス)が1匹死んでいて,すごく悲しかった。可愛くて気に入っていたのに。。。2匹で並んで泳ぐ姿はほんとにかわいらしかった。多分,死んでしまったのは最初に買った子の方だと思う。
 荷物を片づけ,モアの水槽の水換え。何と,スネールの子どもがいっぱいいたのにショックを受けて,退治することにした。

2000年03月20日(月)

 夕方から水槽の水換え。亮介がアマゾンソードプラントを植え替えしていたら,ユリが植え替えを見物しにやって来たので,亮介は面白がっていたく喜んでいた。ユリは,亮介の手ではなくて,ピンセットと植物の行方をじっと眺めている。植え替えの後もやってきて,今植えた植物を観察していて面白かった。ユリの好奇心はモア以上かな。

2000年03月22日(水)

 お風呂に入る前にモアの水槽を見ると,スネールの小さいのが2匹出ていた。よく見ると,もっとゴロゴロいる。これ以上増えても仕方がないのでピンセットでつまみ出す。スネールは,結局12匹も見つかった。もっといるんだろうなぁ。亮介はスネールが大嫌いで,見るのも嫌らしい。

2000年04月01日(土)

 夕食後,モアの水槽を大々的に大掃除。さすがのモアも怖がっていたが,水槽は綺麗になった。先日ひっくり返っていたコマキちゃんは,とうとう死んでしまったもよう。これで2回目に買ってきた5匹のコマキ全員が死んでしまったことになり残念だ。

2000年04月05日(水)

 ベタのホームページの掲示板を見ていたら,ベタのメスの成熟について書いてあったが,お腹の下に見える白い管が産卵管なのだそうだ。確かにモアにはあってユリにはない。「糞にしてはいつもついているな」と思っていたけど産卵管だったとは。亮介も同じように思っていたらしく「モアに悪いことをした」と言っていた。

2000年04月12日(水)

 夕食後,やっと座ったと思ったが,モアの水槽がかび臭くなっていたのを思い出し,水換えをすることにした。水換え後,ポトスを切って入れてあげると,モアはポトスのそばによりそっていた。植物がある方がいいんだねぇ。植物がなくなってから浄化作用がなくなって,糞が分解されず,カビも増殖したのかも。水草のないモアの水槽の水は,1週間が限界なのかなぁ? フィルタが汚いのかもしれない。最初の頃よりよく汚れるようになった。

2000年04月15日(土)

 エバーグリーンへ植木鉢とモアのフィルタを買いに行く。

2000年04月16日(日)

 朝食後,水槽の水換えをやった。モアの水槽が相変わらずかび臭かったので,水を換えないで底砂を洗う,半年に1回の作業をやった。砂がきれいになるとかび臭さはなくなった。
 大掃除中,モアはビーカーに入れて60cm水槽へ浮かべられていたが,その間はつまらなそうにじっとしていた。掃除が終わったので,温度ならしのためビーカーに入れたモアをモアの水槽の方へ移して水槽に浮かべると,モアは急に暴れだし,そのうち自分で飛び上がって水槽の方へ移ってしまってびっくり。モアは,「すっきりした!」という顔をして,スイスイ泳いでいる。自分の水槽はわかるのだろうか? 明らかに,この水槽で閉じこめられているのは我慢ならないという感じだった。

2000年04月27日(木)

 朝寝坊して7時に起きて焦っていたというのに,マキがひっくり返っていた。全く何やってるのよ? 連休で出かけている間にひっくりかえらないでよね!
 モアは元気でかわいい。最近,モアは夜さっさと寝るようになったけど,体調が悪いのだろうか? それとも大人になったから? 小さいときの方が落ち着きがなかったし,やんちゃだったとも思う。魚も子どもの方が遊びたがるの? 知らなかった。

2000年05月06日(土)

 1週間の留守宅へ帰宅。モアもマキちゃんも,60cm水槽のみんなも植物達も元気で一安心。

2000年05月07日(日)

 とりあえず,水槽2つの水換え。

2000年05月08日(月)

 モアは最近寝てばっかり。魚も大人になると動き回らなくなるの?  ユリは相変わらずで,みんなが寄ってたかるコリドラスの餌をくわえて逃げ回っている。

2000年05月11日(木)

 帰宅すると,モリコが1匹死んだとの報告。昼過ぎ,ボロボロになって浮いていたのだそうだ。昨日までは元気だったのに? 以前,ネオンテトラが1匹死んだときと同じみたい。家で生まれた子なので,さすがにちょっと可哀想かな? でもブラックモーリーが3匹になっても困ったのだけど。。。他の子はみんな元気。モアも寝てばかりだけど餌はしっかり食べるし,跳ねるし,元気だ。

2000年05月13日(土)

 朝,亮介が苔対策のため,モリコをモアの水槽へ派遣していた。モアは鰓を膨らませてモリコを追いかける。モリコはモアに非常に怯えて動こうともしない。
 夜になって帰宅して水槽を見ると,モリコは相変わらず怯えていて,何故かモアの右目の眼球表面に真っ白の線が入っていた。行動は元気だし,餌も食べるのだが,目が白点病になったみたい。モアの目は青く透き通っていてとても美しいのに,見る影もない。病気なのか? 何で?今朝まで何ともなかったのに,何があったの? わからないままとにかくできる対処をということで,薬を処方することにした。聞いたこともない症状だし,どうしていいかもわからない。熱帯魚には医者はいない。こんなときどうしたらいいのか。

2000年05月14日(日)

 モアはぜんぜんよくなっておらず,左目にも同じ白い点が現れた。もう病気だと断言するほかないだろう。。。食欲があるのが救い。モアのストレスを解消するためにモリコを60cm水槽に返した。モリコは怯えてじっとしていたのに,60cm水槽ではスイスイ泳いでツンツン餌を食べる。よほどモアが恐かったらしい。

2000年05月16日(火)

 モアは眼が変だけど,変わりなく元気。餌をあげようと餌の入った瓶の蓋を取っていると,相変わらずそわそわと寄ってきて,手を伸ばすと,餌を落とす窓の下へやって来て,ぴょんと跳ねて指に飛びつく。モアの眼,どうなっているの??

2000年05月21日(日)

 朝起きるてまずモアに餌をあげに行くと,1粒目はいつも通り飛びついたのだが,二つ目は吐き出しながらようやく食べて,3粒目は食べようともしない。いよいよ食欲減退の日が近づいたのか? 何で? ショックを受けて亮介に報告に行く。モアの死を覚悟しなくてはならない時がやってきたのか。
 ブランチの後,まずモアの水槽の水換え。水面に泡がいっぱい浮いていて状態が悪そうだったので,少し徹底的に掃除をした。モアは水換えの後は,少しよく動くようになって気分がよさそう。ごめんね。水が悪かったの? 最近水質が悪くて2週間もたなくなってきていたのかな? その後60cm水槽の水換え。こちらは何の匂いもせず,状態がよいらしいことがわかる。但し水草だけはダメで,アマゾンソードプラントの子どもを,ついに諦めて引っこ抜いた,葉は溶けているのに根だけは元気で不思議だった。

2000年05月22日(月)

 朝からモアに餌を3粒あげるのが日課だが,今朝のモアは,一粒目から,吐き出しながら苦労して食べた。2粒目と3粒目は時間をおいて与えると,何とか食べた。いよいよ調子が悪くなってきたようだ。どうしたらよいのだろう。それでも一生懸命食べようとするモアは,食べられなくなるときは死ぬときだとわかっているかのようで痛々しい。モア,何とか回復してくれるといいのに。。。
 夜帰宅してすぐに亮介に聞くと,昼間のモアは,時間をかけてようやく3粒食べたとのこと。夜も,一粒,二粒と,ゆっくりゆっくり何とか3粒。でも3粒目になると,モアはあまり餌に興味がなさそうで,見つけても最初は寄ってこなかった。浮いてまわっている餌を見つけて時々興味を示しておいかけるが,食べることにトライするのには時間がかかり,最後にようやく食べたという感じ。その後は,餌を与える窓から指を入れてみても,それを見ているのに何時ものように上に昇って来なくなり,明らかに食欲もなく,ポンプの上でじっとして体調が悪そうにしていた。それでもたまに泳ぎ回って,皿の下に入ったりポトスの葉の間に入ったりしていた。モスの最期の時よりはまだ元気なのだけど,もう覚悟しなければならないのかもしれない。餌も9粒食べてくれたし,自然治癒の力で何とか回復してくれないかと,一縷の望みを捨てきれずにいるのだけど。。。

2000年05月23日(火)

 とうとうモアは,朝の餌を欲しなかった。私がいつものように餌の瓶を開けても,そわそわと見に来ないことは勿論,餌窓から指を出しても,そのすぐ下にいるにもかかわらず,チラッと見ることもしなければ当然浮かび上がってくることもしない。餌は虚しく水面をくるくる浮遊し,モアは,時々見つけては近くまで寄ってみるが,食べることにトライしようともしない。少しだけ動き回れることだけが今の救いか? まだ自分の意志で動いて,お皿の下に入ったり,ポトスの葉っぱの間に挟まってみたりする。お気に入りの作り物プラントの下には,水換え以来一度も入ったところを見ていない。

 モア。もうだめなのだろうか? モアがいなくちゃ寂しいよ。モア。頑張って。。。いつも楽しそうだったモアの仕草が見られないのがとてもつらい。
 毎日会社から帰ると,まずモアの前に行き「モア,かわいいねー」と話しかけるのが日課だった。私たちが水槽の近くに行くと,いつも見に来ていたモア。楽しそうで笑っているように見えた。光ったお鍋水槽の横に置くと,寄ってきて鍋に写っている自分の姿に鰓を膨らませて怒っていたモアも,もう見ることはできないのだろうか。モアに鏡を見せる勇気がない。鏡を見て膨れなくなったら,それはモスの時のように死が近いことを暗示していると思えるから。

 今日も会社から帰宅すると,まず亮介にモアのことを聞いた。やっぱり1日中お皿の下かポンプの上にいて,餌も食べなかったらしい。私が指を差し出すと,ちょっとだけ上を見たので餌を一粒入れてみたが,それには反応しなかった。夜の早い時間帯には,ポンプの上に行ったりお皿の下に行ったり,ポトスの葉の間に行ったりしていたが,電気が消えるとポンプの上でじっとして,ヒラヒラヒレを動かすこともせずに,ただ鰓だけを苦しそうに動かしていた。モア,体調悪いんだね。しんどい? ねじれた背鰭は相変わらず可愛いのに,もう見られなくなるのだろうか。明日から私が出張でいない間にモアが死んでしまうのではないかと思うと,出張がますます憂鬱になるのだが,行かないわけにもいかない。
 こうしている間も,振り返るとモアは苦しそうで,いつ死ぬかもわからないって様相だ。モア,モア,頑張ってよ。モア,死なないで。まだ早いよ。まだ,うちにきてたった8ヶ月なのに。可愛いモアとの別れが近づいていると思うと悲しくて,どうしても元気が出てこない。どうにもならないんだね,モア。別れたくないよ。まだ一緒に遊びたいよ。あさっての夕方帰ってくるまで生きいて。。。

 ユリは,モアの不幸も知らず(当たり前だが)元気に遊んでいる。流木のトンネルをくぐるのが好みの遊びらしい。

2000年05月24日(水)

 昨夜寝る前,亮介と二人でモアを見ていたが,モアは空気を吸うために水面へ昇るのもやっとという感じで,鰓をぱくぱくしていて苦しそうにしていた。二人で「おやすみ」と言って電気を消す。明日の朝には会えないかもしれないと哀しみながら。
 明け方私はモアを見ずに出張へ出てしまう夢を見て目が覚める。6時頃,目を覚まし,亮介と一緒にモアを見に行くと,モアは生きていた。底に沈んで,いつものようにエビぞりになって休んでいた。モア,また今朝も会えて嬉しいよ…。
 朝出かける前にポンプの上にいるモアに指を出してみたら見てくれたので,餌を一粒落としたけれど,食べることはできなかった。じっとしてはいるのだが,モアは少しずつ動く。お皿の下に行ったり,ポトスの葉の間に挟まったり,ポンプの上や下へ行ってみたり。その間に餌を見つけて寄ってみるが,流される餌を追う気力はなく,また沈んでいく。
 もう助かる見込みはないのかもしれない。昨日は一粒も餌を食べなかったので,一昨日の9粒が最後だ。今日も食べられそうにない。昨日と比べても,とてもよくなったようには見えない。昨日の朝と同じ様な感じだろうか。明日の夕方私が出張から帰るまで,どうか生きていて欲しいと祈りつつ,亮介にモアを頼んで,朝8時,私は家を出た。途中もモアのことばかり思い出して涙がでてきそうでたまらなかった。モア,まだ別れるにははやすぎる。

 夜ホテルに戻るとすぐに亮介に電話。モアは生きているとのこと。昨日と同じみたいな感じだそうだ。やっぱり今日は生きていてくれたのね。明日帰るまで生きていてと思う。

2000年05月25日(木)

 夕方帰宅すると,亮介にモアがいよいよ危ないことを聞かされる。「由紀子も今のうちに会っておいて。鱗も逆立ってきた。」と言われて水槽の前に行くと,モアは横たわってハアハア息を切らすように鰓と口をパクパクさせていた。昨日の朝まで美しかった鱗も,色つやがなくなりギザギザと逆立っている。そうして時々よろよろと空気を吸いに水面へ昇っていく。ベタは度々水面へ出て空気を吸わなくてはならないのだ。息を一口吸うと,モアは落ちていくように降りていき,底面へ激突するように着地する。空気を吸うために力を使い果たすのか,一度浮上した後は,流されるままただよったりしていて,目もうつろで何もみていない感じ。誰が見ても,モアはもう死ぬしかない状態だとわかる。こんなに苦しそうな魚を見たのは初めてだ。

 モアを見ていると,あまりの痛々しさに涙が出てきた。モア,どうしてそこまで頑張るの? 息も絶え絶えで本当に死にかかっているというのに,モアは一生懸命空気を吸って生きようとしている。見ている方がつらくなるほどの頑張りようだ。水面にあるポトスの葉っぱが邪魔らしく,せっかく空気を吸いに上がってもモアが水面を探してあまりに苦労しているので,ポトスをモアの水槽から取り出し60cm水槽へ移した。どうせ,もうポトスの葉の間に挟まって喜んでいるモアの姿を見ることもできないのだ。これで,この水槽へ酸素を供給してくれる植物はいなくなったけれど,水面を求めて力を振り絞る方がモアには大変だろう。フラフラと水面を懸命に泳ぐモアを見るのはあまりにつらすぎる。
 水面へ上がる距離を短めるために,モアをビーカーに移そうかと提案したが,亮介が「最期に閉じこめるのも可哀想。ここはモアの家だから」と言う。その通りだと思ったので,そのままにしておくことにした。そう,この水槽はモアのために買った水槽だし,モアはずっとこの水槽を家として生きてきたのだ。

 モアの頑張る姿は,本当に感動なんていう言葉が陳腐に思えるほど凄い。モアってこんなに頑張り屋さんだったんだね。だから,こんなに病状が進んでも生きていられるのかもしれない。他の魚はみんなあっというまに死んでしまったというのに,モアは,多分発病して2週間,もしかしたら1ヶ月以上たっても生きている。よく寝るようになった頃,もしかしたら,もう何らかの病気に感染していたのかも知れない。やはり異変は何かの徴候だったのだ。病気だとわかっても,その対処方法はわからなかったけれど。
 一番可愛がっていたモアは一番苦しんで死んでいくのを見て,私たちは身を切るような思いだ。何でモアは,こんなに苦しみながら死んで行かなくてはならないのだろう。「早く楽になればいいのにね」と思いつつ,一方では,そんなことを思うのは,これほどまでに懸命に最期の瞬間まで生き抜こうと努力しているモアに失礼な気がして,一秒でも長く生きて欲しいとも願う。

 こんなに意志を持った子だったから,あんなに可愛くて沢山の楽しい思い出をくれたんだと思った。たった150円で「お買い得!」なんて札をつけられて売られていたのに,この8ヶ月間モアは私たちのアイドルだった。小さかったモアも体調53mmまで成長し,大きくなったと喜んでいたのに。私はいつもいつもモアに話しかけていたし,可愛がっていたし気にしていた。どこかに出かけても,帰るなりモアの水槽の前にいき,「ただいま」と言ったものだった。そこまで可愛かったのは,モアが,最期まで見せてくれている,この根性,この強い意志だったのかもしれない。いつも面白い子だった。
 モアはそれでも結局,私たちが寝るまで死ななかった。夜になると水面へ浮上するのもつらいらしく,フラフラと何度もトライしながら空気を吸いに上がっていたのに,それでも生きようと努力し続けていた。
 私は,モアがこんなに頑張って生きたことを,こんなにすごいベタだったことを,決して決して忘れないと心に誓いながら悲しい眠りにつくほかなかった。

2000年05月26日(金)

 何度もモアの夢を見て起きた朝6時。亮介を起こして一緒にモアを見に行った。モアは,まだ生きていた。そう,何となく起きた瞬間,まだ生きているような気がした。モアは,底面で昨夜と同じように鰓と口を大きくパクパクさせて生きていた。苦しそうに。
 何という,何という頑張り屋さんなんだろう。他の魚ならば,きっと夜のうちに死んでいたにちがいない。モアは,朝私たちに会うまで生きていてくれたのだ。水槽の中の小さな魚には,何の手出しもできない。なでてあげることもさすってあげることも,抱きしめてあげることも。見ていることしかできないことが,つらくて切なくて仕方がない。
 モア,どうしてそんなに頑張るの? 死という概念を知らない魚は,諦めることも知らないのだろう。
 もう,餌を食べなくなって3日目。体力が尽きた時がモアの最期。会社に出かける寸前まで,モアを見ていた。空気を吸いに上がっていくモア。水槽の底面を苦しそうにのたうちまわって泳いでいくモア。忘れない,本当に忘れない。モア,モア,モア…。

 会社に亮介からのメールがなかったため,モアはまだ生きていると思いながら帰宅すると,モアはやはり昨日からとほぼ同じ状態で生きていた。ほとんど死にかかって,水面へ浮上するのも苦しそうで,水面へ到達する前に何度も沈みそうになりながら,それでも水面へたどりつき,空気を吸った瞬間に流されながら落下していく。見ていられない,身を切るようなつらい光景だ。モアは,あえぎながら,もがくように底面に横たわったり,動き回ったりを繰り返す。
 そう,いつも寝場所にしていたイミテーションプラントの葉っぱの下に入り込んだり,もがくあまり,カップの取っ手をくぐったり。以前,私が遊びで取っ手をくぐるモアを2回ほど見て亮介もそれを見たがっていたが,最期にこんな形で見せてくれるとは何と悲しいことだろう。

 お腹が膨らんでいるように見える。原因は,もしかしたらやっぱり,以前掲示板で見たように,産卵をさせていないベタのメスによくあらわれるという産卵管の詰まりなのだろうか。濡れたガーゼで身体を包み,お腹をキュッと押してやると,排卵させることができると書いてあった。多分こうなったらモアはどうしたって助からないのだとは思うが,もしかして,もしかして,それが原因ならば,排卵させたらモアは少しでも楽にならないだろうか?
 亮介と二人でそういう話をして,いつも見に行くベタのホームページの掲示板を見に行った。死にかかっているモアを水から出してお腹を押したりしたら,それだけで体力を消耗して死を早めるだけかもしれない。だけど,もしかしてそれで少しでもモアが楽になり,快復に向かう見込みがあるならば…。もし死を早めてしまったとしても,こんなにもがき苦しんで生きているよりいいのかもしれない。一か八か,やってみることになった。

 亮介が,水槽に手を入れてモアを捕まえようとする。モアは,死にかかっているというのにまだ逃げる。少しばかり苦労してモアを捕まえ,濡れた木綿の布にくるんでお腹を押すと,しばらくして赤黒い液体?か何かが出てきた。しかし,モアを水に戻すと明らかに処置前より弱った様子で,モアは流されるまま底面へと落下していった。産卵管の横に穴が空いていて,そこから何か白い固形物が出てきている。何だろう? 知識のない私たちにはわからない。はやり産卵管が詰まっていたのかも知れない。
 モアは,身体をくねらせて,底面で苦しんでおり,それでも一度,空気を吸いに水面まで浮上した。バクバクと大きく波打つように動かしていた鰓と口の動きが,処置前よりずっと小さくなって,モアの息が少なくなっていくのがわかる。モア,やっぱりダメだった。最期の最期に苦しめただけだった?

 私たちは,ただモアの最期を見つめていた。水面に浮上した後,イミテーションプラントの根本を枕にして,モアは静かに最期の息を繰り返していた。その間隔が,少しずつ長くなる。モアのために買ってあげた,そしてモアがいつも気に入っていたイミテーションプラントを枕に死ぬのね。そこは,モアの家の,モアのお気に入りの場所。彼女の最期の場所にふさわしい。「さようなら,モア」と,虫の息になったモアに亮介と二人で声をかける。そして,その直後,モアに永久の静寂がやってきた。22時30分頃のこと。

 モアの遺骸をそのままにしておくのは忍びなく,モアの身体を水槽から取り出して最期のお別れをしていると,私たちの目の前で水色に輝いていた鰭が黒ずんでいった。今,モアの細胞が死んでいっているのだ。やがて水色の尾にも赤黒い線が入り始める。それを見て,私たちはモアが死んでしまったことを改めて実感した。2月26日にモスが死んで,丁度3ヶ月。あのとき,モスが残した餌を欲しがってピョンピョンしていたモアを3ヶ月後に見送るとは思ってもみなかった。

 モアの水槽の中に残っていた唯一の他の生き物,石巻貝のマキちゃんを60cm水槽へ移し,ポンプとヒーターの電源を切る。主の居なくなった水槽の寂しさはこの上なく,私はそこに見えるモアの幻を,必死で見ないように努力した。マキちゃんは,不思議なことに60cm水槽へ移ると,8mmくらいあった長い触覚が3mmくらいに短くなった。

 モア,楽になったね。もう必死で空気を吸いに水面へ昇らなくてもよくなったよ。自分を慰めるために,私はそうモアに話しかける。本当に,沢山のことを教えてくれた小さな熱帯魚だった。魚にも性格があること,いろんな癖やお気に入りがあること,人を見分ける能力があること,モアと仲良しになって初めて知った。そして最期の頑張りようときたら,忘れようったって忘れられない壮絶さだった。頑張って生きていくことを,身をもって教えてくれた気がした。
 私はいつも,モアに「モア,魚みたいよ」と話しかけ,亮介に「魚だってば」と言われていたものだけど,時にモアが魚だってことが信じられないくらい心が通いあっている気がしたのだ。

 23時前,私たちはベランダへ出て,素焼きの鉢に植わっているシルバースターの根本に穴を掘り,モアを葬った。
 さようなら,モア。


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