13.星図嫌いにしばしの別れ

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Illustrated by Yukiko Tsuchiyama and Mitsue Sakaguchi.

 最初は,観測は肉眼でも双眼鏡もよい,という言葉にひかれてミラキャンペーンに参加しようと思ったのだったが,ここに来て,さすがにいくら面倒くさがりの私でも,もう星図を頼りにミラを探してみるしかない,という気になっていた。
 望遠鏡でひっくり返った星像と星図を比べることは難しそうに思えたが,実の所,星図の方もひっくり返しさえすれば同じように見える。ただ,星図の字が逆さまになって,ちょっと読みにくくなるだけだ。少なくとも,ちょっと考えられる頭さえあれば,何とかならないってほど難しいことはないだろう。

PC-Mira

 天気の悪い日々が続く10月だったが,あのジャコビニ流星群の夜から2週間,ミラキャンペーンの『ミラ観測ガイドブック』を受け取った日から1週間が過ぎた土曜日,ついに晴れた空が広がった。
 久しぶりの晴れ間に加えて週末の夜ということも重なって,亮介と私は明るいうちからわくわくしていた。
 まずは,双眼鏡持参で夕方の買い物に出かける。勿論,よしや帰宅が遅くなろうとも,どこからででも,たて座Rを観測できるようにだ。たて座Rは,その頃までにはすっかり私の馴染みの星になっていて,星の位置も比較星の光度も完全に頭の中にインプットされていた。しかし,シーズン終わりに近づいていて,夏の空を彩るたて座は,日没後だいぶ早くに沈むようになっていた。

 案の定,買い物を終えて空を見上げるとアルタイルが南西の空低く,たて座が没するのは時間の問題と思われた。
 私たちは近くに公園を探し当て,双眼鏡を出して観測を始める。そろそろ極小を迎え,だいぶ暗くなっていると予想していたたて座Rは,意外と明るい。
 私たちは,たて座Rが予想通りに変光しなかったこと,買い物帰りに観測するという非日常をやってしまったこと,これで空を気にせず残りの買い物ができるということにすっかり満足し,高揚していた。
 そして,今夜はミラを見るのだ。今夜,私は自分の手で,初めて星図を頼りにミラを入れる。空は,問題なく晴れていた。

 深夜を過ぎて,くじら座がそろそろ見頃の時刻がやってきても,この日の空は曇らなかった。外へ出ると,オリオン群とおぼしき流星が,ときたま空を駆け抜ける。
 私は夕刻から冷やしてあった望遠鏡を赤道儀に乗せると,双眼鏡でくじら座の星々を探し始めた。
 この秋の南天には,南のひとつ星の名をフォーマルハウトから奪い取ったかの如く,土星が明々と輝いており,水瓶座だのうお座だのくじら座だの,暗い星々で構成される秋の星座の配置に弱い,しかも明るい星しか見えない環境で星を見る私にとって,『ミラ観測ハンドブック』の土星付きの星図は,実に役立った。

 くじらの頭に相当する2等星と3等星が,ほどなく見つかる。もちろん,ミラは見えない。しかし,ここからたどればミラは見つかるはずだった。いよいよ望遠鏡でミラを入れる時がやってきたのだ。
 星図を片手に双眼鏡を首に,私はファインダーの星と星図とを見比べる。目標の目印星は,すぐにファインダーの視野に入った。
 「それが入れば,後はもう簡単だよ。」
 亮介が言う。
 私は星図を頼りに微動を使い,望遠鏡を動かした。やがて,ほとんど何の苦労もないうちに,ミラはアイピースの視野の中央へとやってきた。
 「入った。」
 ただ一言だけを亮介に告げ,私は感慨をもってミラを見つめた。2度目の逢瀬。2カ月ぶりの再会だったが,今度はまるで違う星であるかのように,ミラは私に優しい気がした。

ワインで乾杯

 ミラは,隣の 9.2等星より確かに明るく,素人の私の目にも,2カ月前よりずっと明るくなっていることは明らかだった。勿論,この日の目的はミラの観賞ではなく観測だ。私は亮介に助けられながら,星図を頼りに比較星の検討に入る。
 見つめていると,そのうちミラがすごく赤い星なのだということがよくわかってきた。あぁ本当に,ミラは遠くの赤色巨星なんだなぁ,と私はまた感慨にふける。2カ月前に初めてミラを見たときは,ミラがどんな星かも知らなかったし考えもしなかった。そして,ミラが赤いということにすら気づかなかった。本当に,ミラは赤い。私は、その低温や縮む様子を想像し,ミラを想った。
 だが,やがて,感慨にふけってばかりいられないことに気がついた。赤いミラは,何故か明るく見える気がしてきたのだ。赤いシリウスの伝説の話を,私は突然思い出す。それは,古代の人は“明るい”と“赤い”を同じ言葉で表現したから,“明るいシリウス”が“赤いシリウス”として伝わったのではないかという話だった。今,そう表現した古代の人たちの言語感覚が,すごく理解できる気がした。赤いミラは,明るく見える!

 亮介に,ミラが赤くて明るく見えてしまう気がすると訴えてみると,確かにそういう現象は,変光星観測者の間でも話題になっているという。
 その話を聞いて,ともすれば 8.0等の比較星より明るく見えてしまいそうになるのを何とか頭の中で修正し,私は比較星と同じ 8.0等という目測を出した。視野の狭いアイピースで,視野の端と端に比較星とミラがあるという悪条件で,何とか決めた光度だった。

 だが,ともかく私はミラを自分の力で導入し,観測を終えたのだ。
 その夜,酒好きの私たちが,ミラに乾杯しミラを肴に飲み明かしたことは言うまでもない。今や我が家のサーバに昇格していたパソコンMiraも心なしか嬉しそう。Miraはミラの光度曲線作成に役を得,無言ながらも私達の観測談義に参加した。
 観測できて嬉しかったから,キャンペーン開始までにはまだ1週間あったけど,私は早速観測報告のメールを書いた。


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