15.バラツキの怪

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Illustrated by Mitsue Sakaguchi.

 1998年11月。5センチの双眼鏡でも確認可能となったミラは,ミラ・キャンペーンの開始と共に,順調に明るくなっていった。もう苦労して倒立ファインダーと格闘する必要もなく,星図片手に双眼鏡で楽々導入できる。しかも,5等代,6等代の明るさになると,ミラの周囲は適当な比較星でいっぱいだ。南中時刻が早くなったことも重なって,観測は随分と気楽なものとなっていた。
誤差を決めよう!  私は3日から5日おきに晴れた夜を見つけては,ミラの観測を続けていった。会社から帰ると,まずは部屋に灯りをともさないまま双眼鏡を持ち出しベランダへ直行。なかなか晴れなかった夏のたて座Rに比して,ミラのデータは面白いようにたまっていく。比較星が少ない上に変光も今ひとつ不規則で常に挙動不審なたて座Rに比べ,ミラは素直に増光することも重なりデータのバラツキが少ない。亮介と二人分のデータを入力しているパソコンの光度曲線は,作ったように美しくカーブを描いていた。あまりに美しいカーブを描いているため,「思い込みで観測したのでは?」という自分への疑いが,増光時の観測における一番の悩みになっていた。

 だが一見嘘っぽく見えてしまう観測データも,観測報告をするたびに送られてくるミラ・キャンペーン係からの葉書のグラフを見ると,他の観測者のデータとそんなにひどく離れていないことがわかって安心できた。ニフティ・サーブの変光星会議室でもミラ・キャンペーンは盛り上がり,多くの人の観測データが報告されて,私は観測情報に事欠くことはなかった。
 何の観測にしてもそうだけど,いざ自分で観測を始めて見ると,自分のデータに自信が無いせいなのか何なのか,とにかく他人の観測結果が気になってしまうのだった。

 そう,とかく自分の観測に自信を持つのは難しい。
 亮介と私,二人だけの観測を見ても,観測データにはけっこうなバラツキがある。個人による癖があるのかもしれない。データの傾向を見てみると,例外もあるが,大半は私の方が明るく目測しているようだ。亮介より私の方が赤に対する感度が高いことは日常生活の経験からほぼ確実なので,赤いミラは,私の方が明るく見てしまうのだろうか。太陽黒点観測者だった私は,思わずデータを集めて個人補正係数でも算出したい衝動にかられてしまう。赤い星だと私の方が明るく見るならば,青い星ではどうなるだろう。それなら比較星が赤い場合は?青い場合は? 個人差を生み出すものが何なのか,気になって仕方がない。
 いろんな光度の比較星がたっぷり用意されているにもかかわらず,亮介と私の観測結果が0.2等も0.3等も違っていることは珍しくなく,そんな時「亮介には,ミラがこの比較星よりも暗く見えるの?!」と思うと,いても立ってもいられない不安に陥った。
 私の目は微妙な光度差を見分ける能力がないのか? 私は客観性に欠けていて変光星観測に適さないのでは?
 あらぬ心配が次々と脳裏をかすめ,私は必死にそれらを打ち消す。「観測データの正解など,誰にもわからない。だからみんなで観測するのだ!」

ミラキャンペーンの葉書

 こんな不安を抱える初心者にとって,ミラキャンペーン係が送ってくれるキャンペーン参加者全員のデータが載ったグラフは,確かに素晴らしい安心材料だったと言えるだろう。
 キャンペーンの観測者には,今回のキャンペーンで初めて変光星を観た人もベテランも雑多に含まれているはずだったが,その観測データのバラツキは,当然ながら,亮介と私,二人のバラツキ以上にずっと大きなものだったのだ。
 多人数になればバラツキが広がるなんて,ほとんど言うまでもない話だが,亮介の観測データは許されるバラツキ範囲内で,私のデータはそれからずっと外れているかもしれないという,非常に非論理的かつ原始的な不安が常に私を支配していた。ところが,多くの人のデータの集積をグラフという形で目の当たりにすると,頭の中で理解していた観測データの不確かさを,感情の方でも受け入れられるようになるのだった。
 初心者だからって,データの不確かさがそれほど大きくなるわけではない。観測方法と比較星さえしっかりしていれば。

 だが,そう思って改めてデータを眺めてみると不思議なことに気がついた。
 個人差や空の条件,観測機材などで観測結果がばらつくにしても,それにしてもこのバラツキは大きすぎないか?
 確かにせいぜい 0.5等程度のばらつきなのだが,0.5等といえば随分違う。変光星を一度も観たことがなかった時は 0.5等に差があるなんて思ってもみなかったが,真剣に比較星を見比べたとき 0.5が如何に大きな光度差となるか,すでに私は知っていた。誰か一人か二人がポツンと離れたデータを出していて 0.5等のバラツキがあるのであれば,疑問に思わなかったかも知れない。しかし,データはバラツキの範囲内に満遍なく分布していた。
 比較星はかなり小刻みに存在していて選り取り見取りだというのに,真剣に慎重に比較星と見比べて目測しているデータがこんなに違うというのは,私には単純に不思議に思われた。明るさの比較をする変光星観測では,太陽黒点や惑星の模様を観るよりは,ずっと機材の影響を受けにくいだろうし,だったらいったい何故,何がこの差の原因となっているのか?


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