星の停車場 (29)
かみのけ座

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 青嵐香る美しい季節の到来です。けれども対照的に,空の方は霞んで星もぼんやりしていますね。心なしか星の数さえ少なく見えます。
 それもそのはずで,春,私たちは星が少ない銀河系の北極方面を見上げているのです。星は銀河系の銀河面に沿って多く存在していますから,銀河面を向いている夏冬は比較的にぎやかな星空に,銀極を向いている春秋は寂しい星空になっています。
 今月は,銀河系の北極を抱く かみのけ座を巡ってみましょう。

 かみのけ座は,しし座・おとめ座・うしかい座・りょうけん座・おおぐま座に囲まれた微かな星の群れで,1602年,デンマークの天文学者ティコ・ブラーエによって正式に星座として制定されました。
 天動説を立証するために非常に正確な天体観測を肉眼のみで行った最後の天文学者,ティコ・ブラーエ。彼が制定したとされる星座は,全天88星座の中で かみのけ座だけです。ティコの素晴らしい観測データは,助手ケプラーにより地動説を立証するケプラーの法則を導くという皮肉な役割を果たしましたが,古代から知られた美しい かみのけ座に確固たる地位を与えた功績は,今日も色あせることなく輝いています。ティコはデンマークとスウェーデンの海峡にあるベン島で長年観測を行いましたが,ここでは今も,復元されたティコの天文台と空を見上げるティコの銅像を見ることができます。

 かみのけ座はトレミー48星座に含まれず,故にティコの時代まで正式な星座として認識されていませんでしたが,起源は古く,紀元前3世紀のギリシアの博学者エラトステネスによって,“アリアドネの髪”とか“エジプトのベレニケ女王の髪”などとと記されています。その後も,オランダの地図製作家メルカトルが1551年に制作した天球儀ほか,いくつもの文献によって存在を示され,知られてきました。

 かみのけ座には星座に相応しい美しい伝説が伝わっていますが,これが一風変わっていてます。神話ではなく史実に基づいた実在の人物が主役なのです。
 舞台は紀元前3世紀のエジプト。当時エジプトを治めていたマケドニア王朝の王プトレマイオス3世の妻ベレニケは,美しい琥珀色の髪の持ち主で,その髪の美しさは近隣諸国にまで響き渡るほどでした。
 やがてエジプトとアッシリアの戦いが始まると,ベレニケは夫の無事を心配するあまり,愛と美の女神アフロディーテの神殿へ行き,夫が無事に戻ったら髪の毛を捧げると誓いを立てて祈りました。プトレマイオス3世が凱旋すると,ベレニケは誓い通り髪を切り落とし神殿に捧げましたが,翌朝,髪の毛は神殿から消えてしまいます。王は大変怒り,神官らをその場で処刑しようとしましたが,宮廷天文学者コノンが現れ,かみのけ座の星々(一説ではこのとき現れた彗星)を指して言いました。「ご覧下さい! 王妃の髪は一つの神殿に置いておくにはあまりに美しすぎるので,世界中の人々に愛でられるよう,神々によってあそこへ置かれたのです」
 王はこの説明にたいそう満足し,ベレニケは彼女の心がアフロディーテに届いたことを知って喜んだということです。
 ベレニケは,プトレマイオス3世の死後ベレニケ2世として即位し王位争いの最中に暗殺されましたが,彼女の美しい姿は,今もプトレマイオス3世の治世に作られた8ドラクマ金貨と10ドラクマ金貨の中に見ることができます。また,彼女のために名づけられた古代都市ベレニケは,今もリビア港町ベンガジとして残っています。

 新約聖書に出てくる12年間の長血をキリストによって癒されたエルサレムの女(マルコ5-25・マタイ9-20・ルカ8-43)ベロニカが,十字架を背負ってゴルゴタの丘へ上っていくキリストの汗を拭いた際,その布にキリストの顔が写った(外伝による;ピラト行伝・ニコデモ福音書)という伝説と かみのけ座が結びつけられることもありますが,これは,ベレニケの名をラテン語化すると“ベロニカ”になることから生じた混同のようです。

 かみのけ座は,このほか,しし座の一部として獅子の尾の先端の毛の房に,また,おとめ座の一部として乙女が持つ麦の束,あるいは糸巻棒として見られてきました。バイエルは“バラの花環”と呼びましたし,“アイビーのリース”“象牙の花輪”などと呼ばれたこともありました。
 バビロニアでは,バビロンの都を舞台にしたピュラモスとティスベの悲恋物語から,獅子の近くに落ちているベールの姿に見立てられています。

 結婚が許されなかったピュラモスとティスベは駆け落ちを決意し,桑の木の下で落ち合う約束をしましたが,ティスベがやって来たとき不意にライオンが現れ,彼女はベールを捨てて逃れます。ライオンは獲物を食べたばかりの血だらけの口でベールを引き裂いて立ち去りますが,そこへ来たピュラモスは,血まみれのベールを見て恋人が食い殺されたと勘違いし,命を絶ちます。そして戻って来たティスベも,ピュラモスの命を奪った刃で後を追い,これ以来,桑の木は恋人たちの死を悼むように暗赤色の実をつけるようになったという物語です。

 かみのけ座で固有名を持つ星はα星(4.3等)のディアデムだけ。王冠やヘアバンドを意味するラテン語 diadema が語原と考えられ,近世になってつけられた名前です。

かみのけ座の星図
熊本県民天文台『星屑』2003年5月号掲載

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