星の停車場 (16)
うみへび座

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 日没が遅く,空も霞んだ春は,星見と縁遠くなる季節です。今月ご紹介するのは4月25日20時に子午線を通過するうみへび座ですが,20時といったら未だ明るいですよね。星図では熊本の4月25日21時の空を再現してみましたが,実際は薄明が残っていて,星の数ももっと少ないと思います。この星座の星たち全てを条件良く眺めるには,2月下旬〜3月上旬の真夜中がお勧め。20時の子午線を通過する頃が旬というのは,4月の星座,特に長々と続くうみへび座には当てはまらないようです。

 長さで有名なうみへび座。東端はこいぬ座・いっかくじゅう座,西端はてんびん座に接しています。明るい星は少ないものの,角度にして100度以上,長さも面積も全天一,成立は紀元前でトレミー48星座の一つ,非常に由緒正しい星座です。
 その長く曲がりくねった姿はエジプトでナイル川に見立てられ,キリスト教文化の中ではヨルダン川と見られたこともありました。そういえば,もう一つの長い星座,エリダヌス座は川ですね。このほか,うみへび座の長々とした姿は竜に見られることもあり,イタリアでは,アルゴ船の旅の目的だったコルキスのアイエーテス王の金の羊毛を守っていた竜を,うみへび座と見ていました。うみへび座にまつわる伝説は,北天のりゅう座と混同されていることもあるようです。

 ところで,空には3匹の蛇が住んでいますね。うみへび座,へび座,南天のみずへび座。へび座はへびつかい座と共に描かれる陸棲の蛇ですが,うみへび座とみずへび座は名前から水棲の蛇とわかります。海蛇と水蛇では違いがわかりにくいので,学名を見てみると,うみへび座はHydra(女性名詞),みずへび座はHydrus(男性名詞)。ヒドラ(Hydra)は実在する海蛇や水蛇ではなく,ギリシア神話に登場する怪蛇の固有名詞です。

 ヒドラは,ヘルクレスが12の仕事の一つとして退治した9つの頭を持った水蛇で,アルゴス地方のレルネアの谷にあるアミモーネの沼地に住んでいました。
 アミモーネの沼地は人々の飲み水でしたが,ヒドラが毒水にしてしまいます。ヘルクレスは,ネメアの森に住むライオン(しし座)を退治した後,ここに遣わされました。ところがヒドラは,首を切り落としても新しい首が生えてくる怪物。1つの首跡から2つの首が生えたという説もあります。困ったヘルクレスは,甥の助言で首を切った跡をたいまつで焼いて新しい首が生えるのを防ぎ,9つの首の真ん中にある不死身の首を大岩の下に埋めて始末しました。この戦いの最中,ヘルクレスを憎む女神ヘラがヒドラの加勢をするため1匹の大蟹を遣わしましたが,蟹はヘルクレスの足に噛みつくなり踏みつぶされ,かに座となってうみへび座と共に春の夜空に輝いています。
 夜明けが早まっていく春,うみへび座が朝の光の中で少しずつ消えゆく様子はヘルクレスとの長い闘いを表しており,ヘルクレスがヒドラの首を一つ切り落とすたび,ヒドラの星が暁の光で少しずつ消えていくのだそうです。

 昔の星座絵ではヒドラの頭の前に木が描かれていることがありますが,これについても,いくつかの伝説が伝わっています。
 1つは,世界の西の果てのヘスペリデスの園にあった金のリンゴが生る木と,これを守ったラドンの姿で,ラドンがうみへび座であるというもの。リンゴの木は,大地の女神ガイアがゼウスとヘラの結婚祝いに贈った木で,ヘスペリデスの乙女たちがラドンの力を借りて守っていました。現在ラドンはりゅう座とされていますが,こうしてうみへび座として語られたこともあったのです。ちなみに西の果てに住むヘスペリデスたちは,古代ギリシア・ローマでは宵の明星の名でもありました。
 別の伝説では,ローマ詩人オウィディウスの『転身物語』,チョーサーの『善女物語』及びシェークスピアの『夏の夜の夢』などで語られる,バビロンを舞台にしたピュラモスとティスベの悲恋物語に出てくる桑の木。この木の下で駆け落ちした恋人たちは悲劇に見舞われ死んでしまい,桑の木は彼らの死を悼むために黒い実をつけるのだといいます。

 古来から,ヒドラは背に乗ったコップ座・からす座と共に語られていましたが,これらのお話はコップ座又はからす座の項へ譲ることにして,逸話が尽きない堂々たるうみへび座を形作る星たちを見てみましょう。

 まず,唯一正式な固有名を持つα星,2.0等の赤い星アルファルド。“孤独なもの”という意味で,語源は“蛇の孤独な星”という意味のアラビア語,アル・ファルド・アル・シュジャーです。文字通りポツンと孤独に輝いている姿が印象的です。
 別名コル・ヒドラエは“ヒドラの心臓”という意味のラテン語で,命名者はデンマークの天文学者ティコ・ブラーエ(1546-1601)。ケプラーの師だったティコは,超新星ティコの星,火星の精密な観測,かみのけ座の設定者としても有名ですね。
 このほかα星には“蛇の背骨”“蛇の首”などの呼び名がありましたが,これらの名前は現在の天文学では使われていません。中国では“鳥”又は“朱鳥”,時には“火”と呼び,この星が宵空に見える頃を春の盛りと考えていました。

 うみへび座で一般的に用いられる固有名を持っているのはα星だけですが,中国ではβ(4.3等)とξ(3.5等)を“緑の丘”,ι(3.9等)を“安らかな星”という意味の名前で呼んでいました。また,β(4.3等)・κ(5.1等)・コップ座β(4.5等)はアラビア語で“肋骨”という意味のアル・シャラシフ,σ(4.6等)は,ウルーベグ星表(1437年)で“蛇の鼻”という意味のアル・ミンハル・アル・シュジャーと呼ばれていました。

熊本県民天文台『星屑』2002年4月号掲載

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