星の停車場 (7)
てんびん座

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 おとめ座とさそり座に挟まれたてんびん座は,黄道12星座の中では比較的目立たない存在です。古代ギリシア人にはサソリの爪と見られ,その後,おとめ座になった正義の女神アストラエアが善悪を測るために使った天秤と見られるようになりました。
 けれど,てんびん座はプトレマイオス以前の古い星座です。2700年〜4300年前,今はおとめ座にある秋分点がこの星座にあったことから,“昼夜の長さを測って等しく分ける天秤”という意味で,紀元前46年にシーザーがユリウス暦を制定した後,てんびん座として独立したのだそうです。
 昼夜を等しくわけていたことが転じて,ギリシア・ローマ時代のてんびん座は,収穫の季節を知る大切な星座とも考えられていました。

 てんびん座の星々の名前にはこうした星座の歴史が秘められており,サソリに関連した名前が多く見られます。

 まず,2.8等のα2と5.2等のα1から成るα星,ズベン・エル・ゲヌビ(南の爪)。その名の通り,さそり座の爪と見られていた時代の名残です。
 この星にはキファ・アウストラリスという別名がありますが,こちらは“南の皿”という意味で,天秤の皿を表しています。“キファ”はアラビア語,“アウストラリス”はラテン語ですが,このように,星名には南・北・中などの位置を表す語のみがラテン語になっている例が多く見られます。
 アラビアでは,アル・ワズン・アル・ジャヌービヤーという名も知られ,これは天秤の“南の重り”という意味。

 β星(2.6等)も,αと全く同じ様に,さそりの爪として“北の爪”と呼ばれたり,天秤の“北の皿”として呼ばれたり。前者の名前がズベン・エル・シェマリ,後者の名前がキファ・ボレアリスです。ズベン・エル・シェマリは,ズベン・エス・カマリ,ズベネシュ,ズベネルグなどと呼ぶこともありますが,全てアラビア語の北の爪:アル・ズバーン・アル・シュマーリヤーが語源になっています。

 この他てんびん座には固有名を持つ星がたくさんありますが,実はてんびん座の星名というのは資料によって記述がバラバラで,非常にややこしくなっています。おそらく手書きの時代の誤記など様々な理由で幾つもの間違いが混在し,現在市販されている本も,その著者が用いた資料によって記述が異なるという結果になったのでしょう。
 ここでは,私が調査可能な範囲で知り得た名前全てを列挙してみることにします。

 ●γ(3.9等):ズベン・エル・ハクラビ(南の爪),ズベン・エル・アクラブ
 ●δ(4.9等):ズベン・エラクリビ(南の爪)
 ●η(5.4等):ズベン・ハクラビ(蟹の爪)
 ●ξ2(5.5等),ξ1(5.8等):グラフィアス(かに)
 ●σ=20(3.3等):ズベン・エル・ハクラビ(南の爪)
 ●υ(3.6等):ズベン・ハクラビ(蟹の爪)

 以上が,市販の日本語の本数冊から引っ張ってきた名前です。
 γ・η・σ・υに,同じズベン・ハクラビという名がついていますが,これは,元々さそり座γの名前でした。当時のさそり座γは,現在てんびん座σと呼ばれています。また,現在のさそり座にはγ星が存在しません。
 そんなわけで,てんびん座σが元祖ズベン・ハクラビ。故意か誤記かは不明ながらも,とにかく“γ”のよしみでズベン・ハクラビの名をもらったのが,てんびん座γ。てんびん座γ=ズベン・ハクラビの最初の記述はボーデの『フラムスティード星図』(1782)ということですから,この名も既に200年以上の歴史を持っています。
 さらに,アメリカのバリットが『天空地理学』(1835)でγの隣にあるてんびん座ηに,間違えてズベン・ハクラビの名を与えたことから,ηもこの名で知られるようになりました。υの名も間違いが重なって生まれたもので,γをνと取り違えたヨーロッパの文献を見た日本人が,さらにνとυを取り違え,日本だけにてんびん座υ=ズベン・ハクラビという名が見られるそうです。
 ズベン・ハクラビの意味も,蟹の爪,南の爪などの訳が混在していますが,正しくは“サソリの爪”。アラビア語でサソリのことをアル・アクラブと呼び,これが語源と考えられます。アクラブはさそり座β星の固有名にもなっています。

 δのズベン・エラクリビは比較的新しい名で,『ベクヴァル星表』(1964)に記述があるようですが,それ以前の文献については不明。意味は,おそらくズベン・エル・ハクラビと同じく“サソリの爪”ではないでしょうか。

 ξの名とされているグラフィアスは,蟹という意味のギリシア語で,正しくはさそり座βの名前です(アクラブとグラフィアス共にさそり座βの固有名)。古代ギリシア語では,“サソリ”と“蟹”は同義語だったのです。
 ところが先述のバリットは,さそり座βではなくさそり座ξ(4.2等)をグラフィアスとし,しかもさそり座ξの位置をてんびん座48番星(4.9等)と間違えて書いていたのだそうです。てんびん座ξは,さそり座β,さそり座ξのどちらからも離れていますが,結局同じξの名を持つことからグラフィアスと呼ばれることになったのでしょうか。

 何とも複雑怪奇な糸のもつれに絡まり埋もれた,てんびん座の星々です。

熊本県民天文台『星屑』2001年7月号掲載

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