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★参考文献
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ロンドン博物館を出た私たちは,まず博物館の窓から見えていたロンドン城壁(London Wall)を目指した。
ロンドン博物館を含むビル群「バービカン」の名は,城壁外に置かれた防護陣地を意味するのだそうで,ここには,紀元200年頃にローマ人によって建てられた 240×220m ほどの巨大な城砦が立っていた。
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London Wall in Barbican Fujifilm FinePix S2 Pro
Nikon D200 | ||
まずは,バービカンのビルとビルを繋ぐ陸橋の上から城壁を眺め,それから壁の横へ下りてみる。
高層ビルの間に埋もれた壁は遠目には小さく見えるが,実際に横へ降り立つとやはり巨大。モダンなビルと廃墟と化した煉瓦造りの壁の対比が不思議な印象を醸し出している。
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London Wall in Barbican Panasonic LUMIX DMC-FX33
Nikon D200 Fujifilm FinePix S2 Pro | ||
バービカンに残されたロンドン城壁はロンドン博物館の窓から見えた部分が全てではなく,周囲に途切れ途切れ残骸が続いている。芝生が植えられ,小さな公園のように整備されている壁の横を行き止まりまで歩いてみた。
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Inside of Museum of London Panasonic LUMIX DMC-FX33
Nikon D200 Fujifilm FinePix S2 Pro | ||
途中,「THE LONDON WALL WALK」なる案内図があり,どうやらここは,数あるロンドン城壁巡りスポットの15番目であるらしいことが分かった。
ロンドン城壁を巡るハイキングは,ロンドン塔の麓からロンドン博物館まで続く。城壁は,西暦200年頃,ローマ人によって彼らの呼ぶ「ロンディニウム」(Londinium)の周囲を囲むように作られた。その後壁は崩壊したが,12世紀〜17世紀にかけて再建された。けれど時代が流れると防衛のための壁は必要なくなり,18世紀に入ると壁の一部が取り壊され始め,19世紀には殆どが解体されてしまった。現代の私たちが見ることができるのは,ここを含むほんの一部の残骸のみなのだ。
説明によると,この地には St.Giles Ctipplegate,Tower があって,ローマ時代及び中世の防護施設の北西角に位置していた。殆どのローマの城壁は1211-13年にかけて再建され,壁の外側には新しい溝も掘られ,そしてすぐにその西の端の塔も再建された。再建された塔はオリジナルの2/3の高さで,床は木製。
平和な時代には,塔は貸し出され,防護以外の様々な用途に用いられた。一時期は修道士たちに占められたこともあり,すぐ隣にセント・ジェームズの修道院も建てられた。そして1872年,地域の再開発が始まると,修道院は現在の Mark Lane へ移動したとのことだった。
壁の横には池があって畔で鴨が昼寝をしていたが,これは城壁の外側に掘られた溝の名残ということだろうか。壁は行き止まりの柵の向こうにも,黙々とした存在感で続いている。
ベンチで一休みしたあと道を引き返すと,芝生の上に黒い鳥が1羽。ヨーロッパの民話によく出てくる,声の美しいツグミの仲間,クロウタドリだった。地面で餌をあさっていたようで,囀り声を聞くことはできずにちょっと残念。
名残の尽きない Londinium の城壁を後にし,私たちは次の目的地ギルド・ホールへ向かって出発した。バービカンを振り返ると,ビルとビルを繋ぐ橋の下には「MUSEUM OF LONDON」と書いた白い文字が読め,ロンドン城壁の後ろのビルには「140 LONDON WALL」と書いてあった。
外部リンク
・シティ・オブ・ロンドン - Wikipedia
・Museum of London - English
・London Wall - Wikipedia, the free encyclopedia
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