※当ページの転載・複製は,一切お断り致します。 |
そう,私は,変光星というものにほとんど興味を持っていなかった。
観測して天体の変化を追い求めるということに関してだったら,多分,私は世の中の人の平均以上には興味を持っていたのだと思う。高校大学では7年間太陽観測に精を出し,毎日少しの晴れ間をねらって太陽黒点を追いかけた。太陽は,故郷を千キロも隔てた街で下宿生活を送る大学生の私にとって,孤独を慰める恋人のようなものだった。膨大なデータを前に,関数電卓(パソコンはまだ高嶺の花だった)をたたきまくって夜を徹したこともある。太陽を追いかけている限り仕合せだった。それから少しだけど,木星のスケッチ観測にも手を出してみた。2シーズンで50枚弱のスケッチしかとらなかったけれど,人皆寝静まった午前2時頃に起きだして,かすかな深夜ラジオをBGMにスケッチの筆を滑らせる瞬間は,まさに至福のひとときだった。それを味わうためならば,重い機材を運ぶことも,会社で睡魔と戦うことも,十分耐える価値があると思えたものだ。やがて,以前見えなかったはずの模様が少しずつわかりはじめ,やっととってみた大赤斑のCMTが,他の観測者のそれとほとんど一致したりした時には,回帰黒点を同定した瞬間や,黒点相対数の個人補正値が観測年数を重ねる毎に小さく安定していくことを数値で確認した時のような喜びがあった。
どちらも決して,嫌になって止めたわけではなかったのだった。太陽は,就職と同時に観られる環境がなくなって,切ないまでの苦しみを味わいながら諦めたのだったし,木星は,住環境変化に加え望遠鏡を手放したことも重なって,たまたま観ていないだけだった。それらの観測と共通する楽しみが変光星観測にあるだろうということは,容易に想像できることだった。
最初の記憶は1993年秋。ニフティサーブFSPACEのフリートークの会議室で,太陽の話をしていた時に,そこから他の観測分野との楽しみの共通点の話に発展していった。その時,そこで知り合ったあらいぐまさん(当時のニフティでのハンドル)と,しばらくメールを交わし,初めて変光星観測という分野の話を聞く機会に恵まれた。彼の話や,彼に紹介してもらった変光星会議室のログを読み,私は変光星観測が非常に面白い分野の一つであることを確信するほかないと思った。
それから半年後,だめ押しのように?私は変光星観測にのめり込んだばかりの Ntoさんと知り合うことになる。私たちは出会った日から気が合って様々な話をしたのだったが,その中には変光星の話も含まれていた。あらいぐまさんとのメール交換のおかげで,私は何の違和感もなく変光星の話を聞くことができたのだったが,多分そのせいもあって,その後,Ntoさんはごく自然に生活の一部として変光星の話も聞かせてくれた。そうしてやがて,オフライン・ミーティングで一緒に食変光星を観測しようと誘ってくれるようになる。そういう時のNtoさんは,必ず事前に面白そうな食変光星を調べてきてくれていた。見る見る間に明るさを変えていく食変光星というものの存在を,私はNtoさんから聞くまで知らなかった。しかし,それなら,ただ見ているだけでも十分宇宙の息吹を感じられて楽しいかもしれない。そう思って一緒に観測する気になり,少しばかり楽しみにもしていたものだったが,残念ながら,たまのオフライン・ミーティングの日に運良く晴れて食変光星を観測できた例しは終ぞ無かった。
面白そうかもしれないけれど,よくわからないし難しそうだから観測する気にもならない変光星。そうして変光星観測は,ここ数年,私の近くで存在を主張しながらも,いつまでも遠い存在だったのだった。