3.私は面倒臭がり観測ミーハー

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 よくわからないし,難しそう。
 そもそも,光度を見積もるという行為がそうだった。高校や大学時代に流星のグループ観測をやったものだが,私は流星の光度を見積もることが非常に苦手で,いつも困った。ほとんど他人と一致したためしがなかった。また,星図を見ながら今日の細微光は何等かと調べるのも,とても面倒臭くて嫌いだった。
 そう,私は星図を見るのが嫌いなのだ!
 暗い闇の中,赤い懐中電灯で星図を照らし,手袋をつけた凍える手で不器用にページをめくり,星と見比べる。何を好き好んでそんな面倒なことをやらねばならないのだろう? 別にわざわざ探さなくたって,そこに見えてるどれかの星を楽しめばいいではないか? 

 私にとって,星図を見るという行為は面倒以外の何ものでもなく,従って,ほぼ30年という人生の大半において天文を趣味としながらも,星図なる物は一枚も持っていなかったし,星図を必要とするような天体を自ら導入したこともほとんど無かった。学生時代,年に何度か一般の人を対象とした観望会をやって望遠鏡を担当したりしたものだったが,そんな時に私が導入して見せる天体といえば,惑星か,適当にファインダーを振り回していれば入ってくる散開星団か,もしくはM57みたいに星図無しで導入できるわかりやすいものに限られていた。

 卵が先か鶏が先かは知らないが,私は遙か遠くから淡い光を投げかける星雲星団たちにそれほど興味を持つこともなく,また,かすかな光で自己主張する小惑星や彗星たちにもあまり思い入れを感じてこなかった。従って,星図を見るのが嫌いでも大して困ったはめに陥ることもなく,今に至っていたのだった。
 変光星といえば,素人目に見ても,星図と無縁でいられない分野であることは明白だ。それを思うと,太陽や木星は何と私向きの観測対象だったことだろう。何しろ,何の苦もなく導入できて,机上で楽しめるデータが集められるのだ。それに比べたら,星図を使わなければならない上に光度を見積もらなくては観測が成立しない変光星は,ことのほか私に向かない観測対象であると断言できた。確かに面白そうかもしれないし,観てみたい気持ちも少なからずあったけど,だからといって,私が変光星を観測するなんてことはまずあり得ないことだろう。


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