予想通り,私がミラを見ないと言うと亮介は悲しんだ。
しかし,その選択で一番悲しみ苦しんだのは,他ならぬ私自身だったのかもしれない。それから数日間,ほとんどずっと,私はミラを忘れることができなかった。見なかったミラの明るさを想像し,8月に見たミラのことを思い出し,その時ミラを見て如何に嬉しかったかを思い出し,それなのに亮介にミラを見ないと宣言したことを思い出し,この先ミラを見ることがないのだろうかと考えて,いたたまれぬ気持ちのやり場に困り果てた。
何だって,私はこんなに面倒な性格なのだろう! 下手な美学など追求しなければ,今頃ミラの観測データが一つ増えているところだったのに。それどころか,もう二度と増えないかもしれない選択をしてしまった。どうして好きこのんで,そんな選択をするのだろうか。
だが星図を見ながらの導入は,どう考えても私向きとは言えない仕事だった。視野の中に入ってくる星といえば,ただでさえ識別不能と思える見知らぬ暗い星々なのだ。それなのに,星図を頭の中で反転させながら,拡大された空の中から配列を探し出さねばならないなんて。そんな面倒な作業,1度やそこらやってみたところで絶対長続きはしないだろう。星図嫌いの私には,事態打開の手だてなど無いに等しい。そうして数日過ごしたところで,思わぬ救いの手に出会ったのだった。
通勤途中の車の中で読んでいた,東亜天文学会の会報『天界』10月号。そのほとんど終わりのページに紹介されていた“クリスマスにミラを見よう”キャンペーンの記事がそれだった。以前,ニフティサーブの変光星会議室でも,ちょっとばかりこの話題を見かけたことがある。ベツレヘムの星とも言われるミラが,今年は12月に極大を迎える。これを機会にキャンペーンをしてミラを見てもらおう。確かそういった内容だった。
ベツレヘムの星というのは,イエス・キリスト誕生の日に,宝物を持った東の国の3人の博士をイエスの生まれた厩に導いた星のこと。クリスチャン・ホームに育った私には幼い頃からおなじみの星だ。私は単なる神話だと思って気にもとめていなかった話だったが,これが実在の星なのか調べている人たちがいるということも知っていた。古くはヨハン・ケプラーが,その師ティコ・ブラーエが見たカシオペア座超新星をベツレヘムの星ではないかと発表し,後に訂正して木星と土星の会合を新たな説として発表している。そしてこの惑星会合説は,今でもかなり有力な説として論議されているのを聞いたことがある。木星と土星,あるいは木星と金星。イエス誕生時代の星空を,多くの人々がシミュレートしては怪しい現象をピックアップしている。現在クリスマスは12月25日に祝われるけれど,もともと聖書にはイエス誕生の日付や季節に関する記述がないのだから,紀元前7世紀から4世紀あたりの天文現象は,どれもこれも疑ってみる価値があるというわけだ。
当然彗星や新星も疑われていて,ハレー彗星探査機の名前となった14世紀の画家ジオットは,三人の博士がイエスを訪ねてきたシーンで,厩の上に尾を引いた彗星を描いている。だが,それをミラだという説があることは,このキャンペーンを聞くまで知らなかった。ベツレヘムの星がミラだったという説は,『SKY WATCHER』誌1989年11月号で紹介されたもので,読んでみると,なるほど説得力がある。
実は,惑星の会合にしろ彗星にしろ超新星にしろ,そういった誰の目をも釘付けにしてしまいそうな派手な天文現象は,三人の博士だけが密かに気づいたという聖書の設定と少しばかり矛盾する。また聖書に出てくるベツレヘムの星が単数形であるという事実は,惑星会合説にとってかなり不利だし,超新星だとしたら必ず残骸が見つかるはずだ。
そういうわけで,もしミラをベツレヘムの星だとすると,単数形であること,明るくなっても跡が残らないこと,たまにとても明るくなるが,かといってそれほど目立つわけでもなく,学識のある博士たちだけが気づくことができるなどの点で有利になるらしい。ともかく,偶然にも,ミラで悩んでいる私の前に,ミラキャンペーンなるものが登場したのだ。『天界』の紹介記事を読むと,観測は肉眼でも双眼鏡でもよいと書いてある。まるで,天から降りてくる一条の光を見たような気がした。そうか,明るくなったミラなら肉眼でも十分見えるのだ!
しかも,キャンペーンというからには,変光星のことを何も知らない初心者を対象にしている企画であるはずだ。“ミラキャンペーン係”へ問い合わせると,折り返し『ミラ観測ハンドブック』を送ってくれると書いてある。きっとこのハンドブックなら,私にもわかる言葉で,私にも観測できるようにミラのことが紹介してあるに違いない。何も迷うことはなかった。
ミラへの自分の決意を測るように,亮介には一言も告げぬまま,私はすぐさま問い合わせ先にメールを送った。