10.不思議と不思議,ミラと私

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 “不思議なるもの”という名で呼ばれるミラは,変光星というものの存在を初めて世に知らしめた星だった。

 最初の発見は,1596年8月。オランダの星好き牧師ファブリティウスが,くじら座に見慣れぬ3等星を発見した。彼はしばらく観察を続けたが,やがて暗く見えなくなってしまったために,この星のことを忘れてしまう。
 次の記録は1603年。ドイツのヨハン・バイエルによる有名な星表『ウラノメトリア』にミラの姿が載っている。バイエルは,各星座の中の星に対して,明るい順に,α,βとギリシア文字の名前をつけていったが,ミラには,4等星としてオミクロンの名を与えた。特に変光の記録は残っていないという。
 そして,さらに30年以上時を下った1638年。オランダのフォキリデス・ホルワルダがこの星を発見する。天文学者だったホルワルダは,ファブリティウスやバイエルの記録を調べた。同じ場所に何度も新星が出現するのは,偶然とは思えない。そうして彼は,この星が,だいたい1年の周期をもって明暗を繰り返す変光星であることをつきとめた。
 当時,変光星は他に知られていなかったこともあり,それから20数年経過した1662年,ヘベリウスによってこの星は“不思議なるもの”“奇跡的なもの”すなわち“ミラ”(ミラクル)と名づけられたのだった。ミラの継続観測を行ってたヘベリウスが出版した,著書『不思議な星についての短文(Historiora Mirae Stellae)』の表題に使われた“Stella Mira”(不思議な星)を短縮し,その形容詞だけをとってミラ(Mira)という固有名詞が生まれたのだ。

見える年見えない年

 ミラの変光周期は,平均331日。変光範囲は,だいたい2等から9等くらい。明るい時だと1等くらいになることもあるらしい。
 ミラが不思議なるものとして注目を浴びたのも,きっと,この長い変光周期と大きな光度差に一因があったに違いない。同じ明るい変光星でも,アルゴルのように,常に見える範囲で変光していれば,せいぜい悪魔の星にされる程度?だ。
 けれどミラは,1年のうちのほとんどの間,肉眼で見えなくなるまで光度を落とし姿をひそめる。そして突然見え始め,ぐんぐん明るくなるが,すぐに再び見えなくなっていく。また,変光周期が1年に1カ月だけ足りない11ヶ月という自然のいたずらのため,ミラの極大時期は1年に1ヶ月ずつずれていくが,それは,ミラを肉眼で見ることのできない年が数年間続けて訪れるということを意味している。くじら座が昼間に昇る季節とミラの光度極大期が同時に訪れ始めると,肉眼でミラを見るためには,ミラの極大期が1年に1ヶ月ずつずれていき,数年経って季節を追い越してしまうまで待たなくてはならないのだ。
 ただでさえ1年に2〜3ヶ月しか見えないミラなのに,さらに数年間見えない年が続く上,やっと極大が夜に訪れるようになっても,時にミラの極大光度は4等とか5等程度で終わってしまう。丁度よい時間帯に明るいミラを肉眼で確かめる機会は,人の一生のうちにそう何度も訪れるものではないということだろう。

 それを思うと,私がミラを意識した1998年が,たまたま12月という最も観測しやすい季節に極大を迎える年だったなんて,全く素晴らしい偶然だった。ミラキャンペーンの記事を読んだ時,私はベツレヘムの星とも言われるミラが12月に極大を迎えることが,せいぜい11年に1回しかやって来ない希少な事象だとを知らなかったが,確かにそれは,キャンペーン思いつくほど素敵なことだったのだ。
 ミラを意識した年が,11年に一度のミラが12月に明るくなる年で,たまたま初心者を対象にしたキャンペーンをキャッチした。不思議な星との不思議な縁。こんな偶然一つだけれど,私は自分がミラに招かれたような気がして嬉しかった。


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