11.膨れて縮んで真空で

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 「今,ミラは,すごい勢いで収縮しているんだね。」
 10月下旬のある日の夕食時,ワインを片手に亮介が言った。
 収縮? そうだ,ミラは縮みながら明るくなっていくのだ。

 8月下旬に見たミラは,9.0等。色々読んでみて,それがほとんど極小の暗さだったことがよくわかった。ミラは,極大の明るさはまちまちだけど,極小の暗さはそれほど変わらない。だいたい常に9等から10等の範囲で落ち着いているようだ。まさにあのとき見た光度がそれだった。
 その暗さが私を途方に暮れさせたのだったが,今ミラを観測したいと思い始めてみると,ただ一度だけかもしれないけれど,極小のミラを自分の目で見たことは,実に有意義なことと思われた。あの暗い星が短期間で肉眼で見えるほど明るくなる? 想像するのも難しいが,多分確実に,それは現実となっていく。
 10月中旬のジャコビニ流星群の夜に亮介が見たミラは,まだ8.9等だった。それが,2ヶ月たらずで極大に達する。4等の暗い極大を想定しても,ミラはたった2ヶ月間で100倍明るくなる計算だ。そう,少なく見積もっても100倍。単純にすごい増光だ。ミラのように大きな星が,どうしてそんな短期間でそこまで変化できるのだろう。亮介の言う通り,すごい勢いで収縮しているに違いない。
 知れば知るほど,ミラは不思議な星に見えてくる。

ミラの変光

 ミラは,地球からかなり近い部類の赤色巨星だ。本によって,220光年とか95光年とか書いてあり正確な距離は分からないが,どちらにしてもアンタレスやベテルギウスに比べたら遙かに近い。そんな近く?の空間で,ミラは膨張収縮を繰り返しながら,生涯最後の時を送る。そう,ミラは,長い長い恒星の生涯がいよいよ終焉の時を迎えた,大きく膨らんだ老星なのだ。きっと水素はほとんど燃えつきかけて,圧縮された内部では,最終段階を迎えた核融合反応が重い元素を生産している。
 だけど,その重く熱い中心核とは裏腹に,膨れた表面はおそろしく希薄で低温。
 ミラの直径は,膨張時ともなると太陽の500倍にも達するらしいが,重さはたったの2倍程度。こう聞くだけで密度がひどく小さいことは想像できるが,それは,何と,人間が実験室内で作り出す“真空”とほぼ同レベルの希薄さらしい。何でそんな真空の大きな物体?が,光ったり膨れたり縮んだりできるのだろう! 恒星の物理に疎い私にとって,それはひたすら驚異に値する事実だったし,また,ミラのような真空に近い空間が温度を持つということそのものも,私にとって理解の範疇を越えていた。

 温度って何? 恒星のような気体なら,それは分子が大きな運動エネルギーを持っている状態だろう。でも,肝心の分子が単位空間あたりほんのちょっとしか存在しないのだ。しかも,収縮しようにも膨張しようにもミラはやたらと大きい。
 太陽みたいに小さな星だって,中心部のエネルギーが表面にたどり着くには,一人の人間がというよりも,人間という種族が生き残れるかどうかというくらい長い時間を必要とするのだ。ミラほどの大きさがあれば,時間のかかり方はこの比ではないだろう。それにもかかわらず,ほんの2ヶ月で100倍も明るく輝くとはどういったことか。中心部のエネルギーが浮かび上がってくるには圧倒的に時間が足りない。当然,その変化は星の内部ではなく,星の表面近くで起こっているということだろう。
 ミラ脈動の原因は,あまり深くない部分にある水素電離領域の戯れによるものらしく,星から出ようとするエネルギーの流れが狂うのだと本には書いてある。
 ミラの内部では,そしてミラの表面では,いったい何が起こっているというのだろう。

 ミラの表面温度は,低いときで2000K以下。それは,我々の太陽の表面のうちで,最も低温な黒点暗部の半分でしかない。収縮している高温時でさえも,3000Kを越えることがない。その低温ゆえに,ミラは赤い赤い光を放つ。
 どうやらこういった赤い星の場合,可視光よりも赤外線が主たる放射エネルギーとなるらしく,星の本当の変化は赤外線も含めて測らなくては正確な値とならないらしい。そして,赤外線を含めた広範囲の波長でミラの放射エネルギーを調べると,可視光で見たミラが100倍明るくなった時でも,その変動はずっと小さくなるという。
 ミラは,その変動の中でも最も劇的な電磁波を私達の目に届けているのだ。

 膨れて縮んで,まるで,膨れた赤い風船のように弾む冷たい真空の星ミラ。
 1998年10月,まさに想像を絶するスピードでミラは収縮しようとしていた。もしミラの伴星あたりからそれを眺めたら,私たちはいったい何を見るのだろうか。


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