しし座流星群

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 しし座流星群は、公転周期33.2年のテンペル・タットル(Tempel-Tuttle)彗星を母彗星とする流星群で、獅子の首根っこに当たるγ星付近を放射点として、毎年11月中旬から下旬にかけて現れる。33年に一度、母彗星が回帰した後の2年間くらいは、特に活動が活発になることが知られている。この流星群は、地球の進む方角からやってくるために高速度で流れることが有名だが、しっかりとした痕を残す明るい流星群で火球が多いことでも知られる。

 20世紀になって3回あった大流星雨のうち2回はジャコビニ群だが、残る1回はこのしし座流星群。ジャコビニ群が100歳ほどの若い流星群なのに対し、こちらは西暦902年の初観測以降20回もの大出現の記録を繰り返し残している大御所で、著名人が見た記録も残っている。1799年の時には、ヨーロッパと南米で見られ、フンボルト海流に名を残した地理学者フンボルトが、南米でこの流星群の大出現を見かけたようだ。彼は、空が火球と流星で覆い尽くされたことを書き記している。このときはHR1000000流れたとか。

しし座流星群の火球

 前世紀には、1933年と1866年の2回帰連続で、一晩20万個とも言われる大出現を見せた。この1833年の夜を描いたというスケッチが、1972年のジャコビニ群を前に、流星群というものを思い描く小学校三年生の私の目にとまったものだった。誰が描いたものかもわからないが、非常に有名なスケッチで、星の本を何冊かめくってみると大抵見つけることができる。19世紀の田園風景といった町並みの中、人々が家の外に寄り集まって空を見上げ、そして、その空という空は隙間もないほど流星で埋め尽くされているのだ。このスケッチの流星には、この流星群の特徴である痕までしっかり描かれている。
 ちなみに、このとき初めて、流星が特定の場所から放射状に飛び出していることが発見され、“放射点”とか“流星群”という概念が誕生したらしい。

 前回の回帰(1965年)の時は、日本でも1965年1966年と、2年連続でHR200ほどの流星が見られ、またアメリカ西部のキットピーク天文台では1966年に大流星雨が観測された。1分間に1000個以上の流星が45分間に渡って流れ続けたそうである。どうやって数えたのかと不思議に思うが、最大時は1分間に2500個流れたというのだから、想像を絶する壮大さだ。まるで放射点に吸い込まれていくような感じだというから、もしかして、三半規管の弱い人だと酔って気分が悪くなってしまうのではないだろうか。

 奇しくも13年ぶりにジャコビニ・ヂンナー彗星が帰る今年(1998年)、テンペル・タットル彗星も33年ぶりの回帰を迎えた。
 ジャコビニ群は、月も明るく悪条件の夜になっているが、しし座流星群の方は、ほとんど新月という最良の条件だ。加えて、軌道計算から中国や日本で高いHRが観測される確率が高いというから、平日の夜ながら目が離せない。前回より彗星の軌道が離れていることから大出現までは期待できないという話だが、それでも十分見応えある光景を期待できるだろう。明るい流星が多いことから、曇った空でも火球が見られる可能性もある。33年に一度の夜だけど、月の無い、さらに日本の条件が良いしし座群となると、これはもう一生一度のチャンスだと思う。
 11月17日、18日は、是非とも有給休暇をとってでも、どこか暗い空を見上げていたいと思っている。

(1998-09-12)


●参考資料: 吉田誠一のホームページ(流星群カタログ)


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