表紙に古鷹型の二人が並んでいる『吹雪、がんばります!』7巻に興味深いことが書いてあった。
「加古・改二」は、改装前にしていたふたつの髪留めがなくなっている。
「古鷹・改二」は髪に、「卯月・改」は胸に、「加古」と同じデザインのピンが留められている。
これは、「加古」が「第一次ソロモン海戦」の帰還中、敵潜水艦に捕捉され撃沈されており、
その救助に当たったのが「卯月」だったことに由来するのかもしれない。(P.69)
勿論,加古が第一次ソロモン海戦で活躍し帰途で沈んだことは知っていた。何しろ加古は我が鎮守府にやってきた最初の重巡だったので当時めちゃ調べたのだ。そして加古が着任の挨拶で明るく喋る「行きはよいよい帰りは怖い」にぞっとしたものだ。
古鷹型重巡洋艦の2番艦,加古だよぉ。第一次ソロモン海戦で大活躍したんだからね。
あ,帰り道? ほんと行きはよいよい帰りは怖いーってね!
だが,加古のずぼらな性格ゆえ私と馬が合わず,重巡ラブな我が鎮守府としては珍しく青葉と共に放置気味にされてきて,改二になっても大して注意を払ってあげることもなかった。言われて見ればヘアピンは加古のトレードマークだったような。改二ではなくなっていたような。
たまたま加古と古鷹が次々とドロップし,とどめにレアな卯月までドロップしたので,これらの艦の改造前と改造後を比較してみた。
第一次ソロモン海戦に参加し大勝利をおさめた第六戦隊(青葉・加古・衣笠・古鷹)は,第八艦隊旗艦の鳥海率いる天龍・夕張・夕凪と別れ,4隻のみでニューギニア島カビエンへ向かっていた。勝利の後だったけれど各艦ともに疲労困憊状態。第1小隊(青葉・加古)と第2小隊(衣笠・古鷹)の並陣で,青葉の水上偵察機が前路哨戒を行っていたが対潜警戒はしていなかった。
そんな状態で加古は米潜水艦S-44に捕捉され,発射された4本の魚雷中3本もしくは4本が命中し沈没。加古には718名が乗艦していたが,このうち68名が戦死した。青葉・古鷹・衣笠は爆雷投射と装載艇放出の後カビエンへ向かった。加古の生存者650名は艦載艇に分乗し,翌日に卯月と舟艇3隻にてカビエンへ到着。先に到着していた姉妹艦に収容された。
そもそも加古は三川艦隊で最初に沈んだ船。改二にするのに設計図は要らなかったけれど,加古改二は沈んでヘアピンをなくしたあとの,歴史上存在しなかった姿ということか。
ヘアピンを古鷹と卯月両方が持っているのは謎だが,加古が沈んだ時に古鷹が受け継ぎ,それを助けてくれた卯月に贈ったのだろうか。古鷹が小破したとき「加古は大丈夫?」と心配するのがいつも痛々しい。加古は古鷹の心配をしない。先に沈んだから心配する機会がなかったと思うとそれも悲しい。
睦月型は睦月も弥生も沈んだ後ずっと「卯月型」と呼ばれ,艦これ未実装の夕月と共に卯月は最後まで残った睦月型の功労艦だった。最後まで加古の形見をつけていたのは卯月なのかもしれない。
加古
発注:1922年6月
起工:1922年11月17日
進水:1925年4月10日
就役:1926年7月20日
沈没:1942年8月10日米潜水艦の雷撃により沈没
除籍:1942年9月15日
古鷹
発注:1922年6月
起工:1922年12月5日
進水:1925年2月25日
就役:1926年3月31日
沈没:1942年10月12日米艦隊の砲撃により沈没
除籍:1942年11月10日
卯月
起工:1924年1月11日
進水:1925年10月15日
竣工:1926年9月14日(第二十五号駆逐艦)
沈没:1944年12月12日
除籍:1945年1月10日
艦これには史実が練り込まれていてほんとブラックだ。というか史実がブラックすぎる。
今日は坊ノ岬沖海戦の日。矢矧に大和,霞に磯風,浜風と艦娘たちの顔が思い浮かんで辛い。でも艦娘にならなければ,これらの艦の名前を覚えられなかったし海戦の順番や参加した船の名前なんて覚えられなかった。