★参考文献
|
ホワイト・ホールはチャリングクロスのトラファルガー広場(Trafalgar Square)からビッグベンのあるウエストミンスターのパーラメント広場(Parliament Square)まで南北に続く大通りの北半分の呼び名である。南半分は Parliament Streetと名前を変え,この大通りの両側には政府庁舎が並んでいる。ホワイト・ホールという名が,かつてここにあったホワイト・ホール宮殿にちなんでいることは,ここを訪れるにあたり押さえておくべき知識だろう。
ホワイト・ホール宮殿は,もともとヨーク大司教トマス・ウルジー(Thomas Wolsey,1475-1530)の御殿だったものをヘンリー8世(在位1509-47)が没収し自らの宮殿として拡張したもので,最初の建物は1619年に火災に遭い焼失している。その後,時の国王ジェイムズ1世(在位1603-25)がイニゴー・ジョーンズ(Inigo Jones,1573-1652)に命じて再建したものの,この新しい宮殿も再び襲った1698年の火災でほぼ全焼してしまった。
そして,宮殿が焼失して久しい今も,ここは英国を動かす心臓部として機能し続けている。
ホースガーズを出ると,目の前に走る大きな道がホワイト・ホールである。ホースガーズはホワイト・ホール宮殿の守備隊があった位置にあるのだ。
ホースガーズの向かいのビルは旧陸軍省で,その前には英国陸軍の最高司令官だったケンブリッジ公(1819-1904)の騎馬像が佇んでいる。また,ホースガーズの真向かい,旧陸軍省と隣のバンケティングハウスとの間でホワイト・ホールと直角に交わる道 Horse Guards Avenue との交差点には8代デヴォンシャー公スペンサー・カンプトンの銅像がある。国を守ってきた偉人たちの銅像が至る所に配置され,見守っている感じだ。
ホワイト・ホールで私が見逃したくなかったのは,このデヴォンシャー公の銅像の隣にあるバンケティングハウスだった。
バンケティングハウスは1698年のホワイト・ホール宮殿の火災で唯一難を逃れた建物で,今となっては17世紀の宮廷を忍ぶことのできる唯一の建物となっている。banquet(宴会・晩餐会)をする家ということで,その名の通りホワイト・ホール宮殿の晩餐会場だった場所だ。
設計者のイニゴー・ジョーンズは,イタリアで学びパラディオ様式をイングランドへ紹介した人物として知られ,その優雅で端正なデザインにはファンが多いと聞く。
ホースガーズの前でホワイト・ホールを渡り,バンケティングハウスの前まで行くと,入り口に銘板が立っていた。
「バンケティングハウスは1698年のホワイト・ホール宮殿の火災で唯一残った建物で,1619年に,イニゴ・ジョーンズによってラディカルな新クラシック様式で設計されている,イギリスで最も歴史ある古典的建物の一つである。1635年(※)にチャールズ1世はルーベンスにメインホールの天井画を依頼したが,それより14年後,チャールズ1世は,ここの1階の窓の処刑台で首を斬られた。」
という説明書きである。
そう,バンケティングハウスといえば,建築を依頼したジェームズ1世より,チャールズ1世のことが思い浮かぶ。英国の歴史上ただ一人処刑された王である彼は,1649年1月30日,このバンケティングハウスの前で首を斬られたのだ。バンケティングハウスの入り口の上に,処刑の位置を正確に示すチャールズ1世の胸像がある。銘板には「Charles I was to step from a first floor window onto the scaffold」と書かれているが,イギリスで言う first floor は日本で言う2階のことなので,この説明とも一致する。2階の窓の高さに組まれたステージの上で,大勢の市民が見物する中,王は首を斬られたのだった。
芸術を愛したチャールズ1世がロンドンを訪れていたルーベンスに注文した大広間の大天井画は,今もバンケティングハウスの見所で,その大広間でチャールズ1世の息子チャールズ2世は王政復古を成し遂げた。後にはオレンジ公ウイリアムの戴冠式もここで行われており,その控え目な大きさとは裏腹に,ここはイギリス史の大舞台となった建物なのだ。
しかし残念なことに,この日,バンケティングハウスには「Closed」の札がかかていた。月〜土の10時〜17時,£4.5で中を見学できる筈なのだが予告無しで閉館することがあるそうで,たまたま非常に運が悪かったようである。
仕方がないので私たちはウエストミンスター方面へ向かって歩き始めた。
※ 手持ちの『地球の歩き方ロンドン'09-'09』には,「1629年に外交使節としてロンドンに来ていたルーベンスに注文した」と書かれていて,6年ずれている。こちらの年号は天井画完成時か何かだろうか?
※写真をクリックすると解像度の高い写真の全体像が見られます。一部のサムネイルは切り取ってあります。
Panasonic LUMIX DMC-FX33
Nikon D200 Fujifilm FinePix S2 Pro | ||
バンケティングハウス前から通りの南端に位置するウエストミンスターのパーラメント広場までの道のりは約400m。北を振り返ってみると,トラファルガー広場のネルソン記念柱とナショナルギャラリーが見えていて,典型的ロンドンの風景といった感じである。ホワイト・ホールに並ぶ数ある偉人たちの銅像の更に上空から,トラファルガーの海戦で勝利し英国を守ったネルソン提督がこちらを見下ろしている。こんな風景を見ると思わずそこへ向かって歩いていきそうになってしまうが,今はウエストミンスターへ向かうのだ。トラファルガー広場は,後に必ず訪れよう。
バンケティングハウスの横を抜け,私たちはホワイト・ホールを南へと歩き始めた。
道すがら,次々と銅像が現れる。バンケティングハウスの背後には国防省(Ministry of Defence)があり,その前には陸軍元帥(Field Marshal) Viscount Alanbrooke (1883-1963) の銅像が,中央分離帯には陸軍元帥 Earl Haig (1861-1928) の騎馬像が立っている。
この先の道路は Parliament Street と名を変え,向かい側には大きな外務省(Foreigin Office)のビルがあり,中央分離帯には黒々とした第二次大戦の女性たち(The Women of world war II)の記念碑が,その更に南にシンプルな戦没者記念碑が見えている。
国防省の前の緑で,また日本では見掛けない野鳥を見つけた。セント・ジェームズパークに立っていた野鳥の案内図と比べると,どうやら「starling」がこの鳥の名前のようで,辞書を調べると「ムクドリ」と出てくる。日本のムクドリとは羽毛の色や模様など違っているが,大きさと短い尾羽,嘴が黄色いところは似ている。(11. セント・ジェームズ・パーク )
通りの西側はずっと工事中になっていて,その中にひときわ警備の厳しそうな箇所が1箇所。おそらくここが,10 Downing Street(ダウニング街10番地),首相官邸であろう。
※写真をクリックすると解像度の高い写真の全体像が見られます。一部のサムネイルは切り取ってあります。
Parliament Street Panasonic LUMIX DMC-FX33
Nikon D200 Fujifilm FinePix S2 Pro | ||
国防省を過ぎると,私たちが歩いている通りの東側には「リッチモンド・ハウス」なるちょっとお洒落な雰囲気の茶色いビルが建っていて,この界隈でこれだけが政府とは関係ない建物のようだった。
リッチモンド・ハウスの向かいには屋根に彫像をあしらった外務省ビルが続いており,その前に国旗に彩られた碑が見える。おそらくこれが戦没兵士記念碑だ。刻まれた「To the Glorious Dead」の文字を見ることができなかったのは少々残念である。
外務省の隣にもうひとつ政府庁舎のビルがあり,このビルの先がウエストミンスターの交差点になる。交差点手前のバス停には路線バスや観光バスが停車し少々混雑していた。マーブルアーチ駅で見掛けた「The Big Bus」の観光バスも止まっていたが,正しくここは,観光客にとっては外せない場所だろう。
そしていよいよ交差点に辿り着き,横断歩道を渡る。
あぁ,これぞ待ち望んだロンドンの風景!
ビッグベンと国会議事堂だった。
外部リンク
・デヴォンシャー公 (Wikipedia)
・Historic Royal Palaces home (Banqueting House)
ロンドン旅行記 index シティ・オブ・ウエストミンスター index