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★参考文献
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ロンドン交通博物館を出た私たちは,周辺の店を覗きながらチャリング・クロス駅へ向かうことにした。駅の前にはチャリング・クロスの名前の由来となったエリナー・クロスと,三越のライオンで有名な?トラファルガー広場がある。
博物館前の Henrietta Street にはロンドン交通博物館に比べると随分チープなロンドンのキーホルダーや,その他ごちゃごちゃした土産物が並ぶ店が数軒並んでいて賑わっている。中にはロンドンとは何の関係もなさそうなマリリン・モンローのポスターとか,南米のワインの看板なども売られていた。
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Henrietta Street and Southampton Street Panasonic LUMIX DMC-FX33
Nikon D200 Fujifilm FinePix S2 Pro | ||
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Southampton Street という落ち着いた感じの通りを曲がり,チャリング・クロスまで続く通りストランド(Strand)へ出ると,何台ものバスが連なる大通りだった。Strandとは「岸辺」という意味で,かつてこの辺りに,テムズ川で遊ぶ貴族たちの大きな社交場があったのだという。
ストランドは人通りも多く,バス停には次々と2階建てのロンドンバスが止まって視界が悪いくらいだ。ピザ・ハットの前のバス停の名は「St James', Bedford Street」。
通りを西へ進むと真っ直ぐチャリング・クロス駅の正面へ続き,その先のアドミラルティ・アーチがストランドの終点となる。アーチをくぐると道はザ・マルと名を変え,バッキンガム宮殿の正門まで続くのだ。
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Strand Panasonic LUMIX DMC-FX33
Nikon D200 Fujifilm FinePix S2 Pro | ||
やがて,灰色の非常に地味な塔が現れた。そう,これが目指すエリナー・クロス。
あまりにも目立たない。なるほど多くの観光案内本でスルーされる筈である。
エリナー・クロスは,プランタジネット朝エドワード1世(Edward I, 1239-1307,在位1272-1307)の王妃でエドワード2世の母親であるエリナー・オブ・カスティル(Eleanor of Castile, 1241-1290)の死を悼むために建造されたゴシック様式の十字架塔である。
地名の由来にもなった塔なのだが,特に注目されることもなくチャリング・クロスの駅前にひっそりと立っている。
イングランド国王エドワード1世とエリナー・オブ・カスティルは16人の子をなした仲睦まじい夫婦だったが,1290年,スコットランドへ向かう途上,エリナーはイングランド中部リンカン近郊のハービーで病没。
王妃の死を悲しんだエドワード1世はスコットランドへの旅を直ちに中止し,王妃をウエストミンスター寺院へ埋葬するため,遺体に防腐処置を施してロンドンへ引き返した。
後になって王は,ロンドンへ向かう葬列が泊まった12箇所にエリナーを追悼するための十字架塔を建てたが,最後に棺が下ろされた場所がここ,チャリングだった。13日目にようやく王妃の遺体はウエストミンスター寺院へ埋葬され,以降,チャリングはチャリング・クロスと呼ばれるようになったのだという。
当初のエリナー・クロスは1647年に破壊され,現在駅前に立っているクロスは1863年に再建されたもの。場所も変わっていて,オリジナルのエリナー・クロスは,トラファルガー広場の前のチャールズ1世騎馬像の位置に立っていたそうだ。
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Eleanor Cross Nikon D200
Fujifilm FinePix S2 Pro | ||
外部リンク
・チャリング・クロス - Wikipedia
・エドワード1世 (イングランド王) - Wikipedia
・エリナー・オブ・カスティル - Wikipedia
ロンドン旅行記 index シティ・オブ・ウエストミンスター index