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出発の朝,起床は7時。午後5時過ぎの飛行機だというのに,福岡空港の途中にある太宰府での初詣渋滞を警戒して集合時間がやたら早いのだった。
パンとサラダとコーヒーで朝食を済ませ,スーツケースを閉じて準備完了。9時過ぎ,実家で飼っている犬のタカが,ホテルへ連れて行かれるのを見送った。賢いタカは,自分の身に降りかかる不幸を理解して悲しげ。ペットがいると旅行も気軽ではない。熱帯魚の方は週末フードを放り込んでおくだけで安心なのだが。
9時半,迎えをを頼んだ肥後タクシーがやってきて,集合場所の熊本交通センター(バスターミナル)へ向かった。重いスーツケースをトランクに積み上げてくれた運転手さん,どうもありがとう。集合場所に着くとすでにバスが待機していたが,到着は私たちが一番だった。
バスは定刻10時に出発し,国道を通って植木ICから九州自動車道に乗る。途中で席を移動しようとしたとき,スカートをリクライニング用のレバーにひっかけて破いてしまったのが悲しかった。換えの服なんて,Gパン1着しか持ってきてないのにぃ〜。
バスには他のツアーの客も混じっていたようだったが,私たち以外はずっと年輩の夫婦ばかり。みんな大人しく座っていた。私たちも大人しく座っていたが(当たり前(^^;),高いバスの座席から見る九州自動車道の景色にはいっぱい見所があったので,必然的に最初から最後まで喋っていることになり,後から父に「よくそんなに喋ることがあるな」と言われてしまった。よくみんな,喋らないで済むよねぇ?
心配した太宰府ICの混雑は全くなくて,バスは正午頃,無事福岡空港国際線へ到着した。チェックインは15時15分からということなので,何と3時間余りも空港で時間をつぶさなくてはならない。
文句をいっても始まらないので,とりあえずレストランへ行って昼食をとり,その後両親と別行動にして周囲の土産物屋を見て回る。しかし特に面白いというわけでもなく,すぐ飽きてしまった。だが,ともかく空港内を探検するくらいしかすることはないのだ。
福岡空港の国際線は,1999年5月に開港したばかりで実に美しくて気持ちがいい。設計者が関西空港と同じだそうで,造りは関空の縮小版といった雰囲気だ。
ウロウロしていると,やがて国内線ターミナルとの間を往復する無料シャトルバスを発見した。時間つぶしにもってこい。早速私たちはバスに乗り込む。
シャトルバスは15分ほどかけて滑走路の北側をまわり,それだけでも景色を楽しめて得した気分。閑散としていた国際線と違って,国内線の方は沢山の人でごった返していた。これぞ九州の玄関口だよね?
空港へ来たからには飛行機をいっぱい見なくては,ということで,私たちはそのまま送迎デッキへ。まず,無料の部屋の中から飛行機を眺められる場所へ行ってみると,そこで目に飛び込んできたのは,ポケモンジェット。本物を見たのは初めてだ。何てラッキー!
その後,有料(一人100円)の屋上デッキへ。途中には小さな航空博物館があって,航空機の解説や福岡空港の歴史などが展示してあった。時間がたっぷりある私たちはゆっくり見学。
送迎デッキは大勢の人で賑わっていた。福岡空港のダイヤは非常なる過密ラッシュで,飛行機は次々と降りてきては飛んでいく。私たちは,そこでたっぷり1時間ほど飛行機を眺めて楽しんだ。近くにいた子どもが,飛行機に向かっていちいち「ばいばーい!」「おかえりー!」と叫んでいる。うんうん,その気持ちよくわかるよ。私も頭の中で「いってらっしゃーい!」といって見送っていた。
15時前,国際線ターミナルへ戻りチェックイン。飛行機は,17時15分発,上海行き中国東方航空。中国東方航空は鳥のマークが目印で,上海を起点とした航空会社らしい。
16時45分から搭乗が始まり,私たちは早速中へ入って免税店でウィスキーなどを買う。行く前から荷物を増やすのは気が進まなかったが,帰りには買う場所がないという噂だったので仕方がない。だが,自分たちへのお土産に,ディスカウントショップで6,000円程度のサントリー“山崎”12年ものを,たったの3,800円で入手したのでちょっとご機嫌だ。税金って高いんだな,とつくづく思ってしまう。父もウイスキーを買っていたが,こちらはホテルで飲む予定らしかった。
さて,買い物が終わるといよいよ搭乗だ。飛行機は定刻の17時15分に出発予定。上海までのフライト時間は1時間40分。東京までとほとんど同じだから,とても海外旅行のような気がしない。
シートに座ると,さっそく新聞が配られる。中国のニュースを日本語で紹介してある新聞で,今から訪れる国の一端をのぞき見ることができ興味深い。年始ということで,“2000”の文字をあしらった中国東方航空特製キーホルダーもプレゼントされて,嬉しい離陸となった。
飛行機は,夕陽の雲の上へと上昇する。丁度,今日最後の光が雲の果てへと消えていくところだった。そうして水平飛行に入るやいなや食事の時間になってびっくり。フライト時間が短いのに国際線だから,こんなところで忙しいのだ。メニューは“ライス+ビーフ”と“麺+シーフード”の2種類。麺というのが中華風でよいね! 食事にも“Happy New Year 2000”のカードがついていて何だか嬉しい。
ワインを飲みながら機内食を楽しんでいたが,何と,食べ終わると同時に飛行機は着陸態勢に入り,食後のトイレに行くことすらかなわなかった。あんまり短い国際線って,ちょっと風情がないかも?
上海到着は,現地時間17時47分。時差は1時間だ。
到着後,すぐに入国の列に並ぶ。がまんしていた食後のトイレも,入国手続きが済むまでお預けで苦しい(^^;。
ビザは団体用で,一枚の紙切れに複数名の名前が載っているという形式。中国の場合,個人ピザは面倒でお金もかかるらしい。リストの最初に名前が書いてある私の父が先頭に立って一列に並び,入国審査を受ける。大した質問もされなかったが,パスポートにスタンプを押してもらえず残念だった。
入国を済ませると現地のガイドさん賀さんが待っていて,マイクロバスへ案内される。バスに荷物を積み込む間周囲を見回していると,空港内に日本のファミリーレストラン(?)シャロンを発見。荷物を積み込むと,まさかと思ったがバスでレストランへ直行だった。だって,今,飛行機で食事を済ませたばかりなのに! 機内食をたらふく食べてしまったことに,ちょっと,いや,かなり後悔。今日はすでに3食食べているのだ。
しかし中国に来て初めての食事だし,味見だけはしなくては。
幸いにして中華料理なので,ターンテーブルに乗った料理を各人好きなだけ取って食べる形式だ。お腹が空いていないせいもあってか,魚のフライは脂っこく,シュウマイも思ったほど美味しくない。出てきた料理の中で,唯一チンゲンサイの炒め物だけは美味しく食べられた。ビールは癖のない味で,無くなる度に注いでもらえるジャスミンティーは,なかなか美味しかった。
中国では正月は旧正月で祝うので,まだ年末。レストランの店内はクリスマスツリーの飾り付けがしてあった。ツリーのほか,レストラン内の天井や壁は風船の装飾やキラキラのモールで飾り付けしてあって,日本人は決してやらない装飾だなと思う。レストランのトイレには,トイレットペーパーも入っていたし,ちゃんと個室にドアもついていてまぁまぁ。中国旅行で一番?心配だったのはトイレだったが,この先もこんなものだろうなと思って安心した。
レストランを出て,今度は外灘(バンド)の夜景を見に行った。外灘は,上海市内を流れる黄浦江沿いのビル群で,上海のシンボルとも言われる。
中国経済の中心地である上海の人口は1450万人。東京都の人口が約1200万人だから,半端じゃない大都会である。ビルや高層団地が果てしなく続き,繁華街は煌びやかだ。しかし古い建物も多く,ちょっと昔,そう,高度経済成長時代の日本を思い起こさせる雰囲気だ。ガイドの賀さんが言うには,上海の街は,同じ場所でも数ヶ月も行かないとすっかり変わっていてわからなくなるそうだ。今まさに急成長を遂げている最中なのだろう。
バスは,上海市内の都市高速を走って外灘へ向かうが,この高速道路,ジャンクションがロータリー形式になっていて面白い。
外灘には,それぞれのエピソードを語る銅製の名札をつけた52棟のビルが立ち並び,ビルの博覧会のように各々の趣深い個性を主張する。夜はこれらの織りなすイルミネーションが,絶景の夜景を形作るのだ。
私たちはバスから降りると,黄浦江のほとりの広い歩道へ出て,思い思いに写真を撮ったり,光り輝くビル群を眺めたりした。歩道には写真屋さんがいて,大判カメラで観光客の記念写真を撮っている。こういう風景は,世界各地どこの観光地も同じだなぁと思う。
空を見上げると,夜だというのに広告塔をつけた飛行船が飛んでいて,母が懐かしがっていた。そういえば,日本ではこんな飛行船も最近見なくなった。
上海バンドでひととき過ごした後は,疲れてホテルで休みたい気分だったがもう一踏ん張り,蘇州(そしゅう,スーチョウ)までの移動が待っていた。高速道路で1時間半ほどの道のりだ。
高速道路に入ると,ほどなく辺りは暗闇となった。さすがに大陸の道路である。延々と街灯が続く日本とはぜんぜん違った闇の趣がそこにあった。ところどころの民家から暗い灯りが漏れてくるだけで,インターを除いて道路の照明もない。
高速道路は,まだまだ庶民の足にはなっていないのか驚くほど空いている。バスの最後部座席に座ってキョロキョロと辺りを見回す私たちの後ろから,たまにやって来る車がみんなハイビームなのは,この暗闇と関係しているのだろうか。追い越す時にはパッシングで合図をし,左ウインカーを出す(中国は車は右側通行で左から追い越す)ルールになっていることも日本と違った特徴だ。
上海と蘇州の間はほとんど霧だったが,賀さんによると珍しいことではないらしい。霧のお陰で暗闇なのに星が見えなくて残念だった。
蘇州のインターを降りて,また一般道を走る。
賀さんのガイドによると蘇州は小さな田舎町だということだったが,思わず「どこが?」と声が出た。大きな通りに車が行き交い,その両側には商店街が並び,夜だというのに人の往来も多く,とても“田舎”という言葉が当てはまるとは思えなかった。日本とは人口が違いすぎるのだろう。田舎町といいながらも,450万人ほどいるそうだから桁が違う。
ホテルへ向かう街の幹線道路は片側3車線で,それとは別に自転車専用道路が1車線。自転車用の信号機も設置してあり,さすが自転車が多い国である。
交通マナーは日本とは全然違っていて,突っ込んだ者勝ちのようだ。交差点では人や車が次々と飛び出して,クラクションが鳴り響く。大人しく信号機を待って通ることに慣れている私たちが通るには,随分と勇気が要りそうだ。
バスの運転手も,道がわからなくなると車道の真ん中でもお構いなしに停車し,通行人に道を聞く。上海のドライバーなので蘇州の道は詳しくないらしい。聞かれた歩行者の方も,当然のように立ち止まり道を教えるが,後ろの車も当然とばかりにクラクションを鳴らして車線を変える。そこには,私たちには全くわからない秩序があった。
そうして着いた今夜の宿は,シェラトンホテル。日程表には5つ星ホテルと書いてある。「中国の星は一つくらい減らして考えた方がいい」とどこかで聞いていたが,豪華なサービスは,間違いなく世界に通用する5つ星ホテルだった。きっと最近は,中国のホテルのレベルも上がってきているのだろう。ホテルでは明日お世話になる蘇州のガイドさんが待っていて,挨拶をして帰っていった。
吹き抜けになっているホテルのロビーには,遥か彼方まで見上げるような大きなクリスマスツリー。手続きが終わって部屋に入ったのは22時過ぎだったが,シャワー室のついた洗面所や,開くと灯りが点くクローゼットにアイロンセット,テーブルの上の果物などの設備に一々感動。こんな豪華な部屋なのに,こんな遅い時間に入って寝るだけなんて,何というもったいないことだ。
貧乏性の私たちは,豪華さを少しでも満喫すべく,1日4食も食べてお腹いっぱいだったにもかかわらず,テーブルの上の梨を食べて寝たのであった。そんなことをしていたおかげで,さすがに就寝は午前0時をまわってしまった。翌朝までしばしの休眠。おやすみなさい。