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朝7時半にモーニングコールだったが,8時に朝食ということなので自主的に6時に起床した。朝食はさすがに中華料理ではなく洋食のバイキング。コーヒーが美味しかったが,出発9時ということで,これまたゆっくりしている暇もなく,ちょっとつらい。さすが?パック旅行だ。
集合場所は,昨夜解散したクリスマスツリーのあるロビー。昨夜は気が付かなかったベランダへ出てみると,中庭も中国らしい?風情があって思わずシャッターを切る。ちょっと冷え込んでいるけど思ったほど寒くはないようだ。
最初の目的地の寒山寺へ向かう途中,太陽の下初めて見る中国の街並みは,車と人と自転車で騒然としていた。市民が住んでいると思われる団地は,古いのから新しいのまで色々あるけど,共通しているのは高層団地が多いということ。人口が多いせいだろうな?
蘇州周辺は運河が多く,あちらこちらに水路があって行き交う船が見えるのも特徴だ。水上で生活する人もいるらしい。水路にはあちらこちらに橋がかかっており,小さな水路に懸かる橋は,真ん中が大きく膨らんだ太鼓橋になっていて可愛らしい。寒山寺の入り口近くの太鼓橋の上では屋台の焼き芋屋が店開きしていて,日本語で「焼き芋ー!」「買ってー!」と叫んでおり,商魂たくましくも焼き芋を持って追いかけてきた。ちなみに焼き芋の値段は20元(260円)。日本の相場は知らないけれど,安いのかしら?
やがて延々と続く黄色い壁が見え,寒山寺(かんざんじ)に到着。中国のお寺は外塀を黄色く塗っていて,すぐに判るようになっているのだ。入り口には狛犬。日本では狛犬というと神社にいるものだけど,お寺にもいるのね?
確か静岡県の浜名湖のほとりにも館山寺(かんざんじ)があったよなぁと,ぼんやり思ったが,実は縁があるらしい。ガイドさんの日本語が聞き取りにくかったのと,私が他のことに気を取られていたのとで聞き損なってしまって残念。まぁ自分で調べればいいんだけど(^^;。
ガイドさんの説明もいいのだが,説明にないところに思わぬ面白い物があったりするもので,私はツアー団体から少し外れ,常にキョロキョロしながらシャッターを切りまくっていた。屋根の上の龍や塀から顔を突き出す龍,本堂の前のハスの花の形をした支柱,日本では見たことのない電灯。トイレの案内の看板も中国らしくて新鮮だ。窓には一つずつ模様が入っていて綺麗。説明を現地のガイドさんに任せて後ろからついてきていた賀さんは,そんな私の行動を面白そうに見ている。私と正反対に,常にガイドの近くにいて一番質問をしまくっているのが私の母のようだった。
まず気になったのは,寺内のあちこちに置かれている陶器の狛犬。可愛らしいデザインなのだが,狛犬なら一組いれば十分だろうに点在しているところが不思議だ。賀さんに尋ねてみると,何とゴミ箱だそうな。風景を壊さない工夫なのだろう。随分素敵なゴミ箱だと感心。
寒山寺の目玉の一つに1回叩くと10歳若返るという鐘があり,ツアーの人たちはだいたい一人3回ほど叩いていた。鐘をつくには,寒山寺の入場料とは別料金が必要らしく,私たちはツアー代金に含まれていたようだったが,外にはお金が無くて追い返されている人もいた。若返るのもお金なのだろうか。
寺内に専用の土産物屋があったが,墨とか色紙とか地味で高価な物ばかり。私を含むツアー客のほとんどが興味を示していなかったが,唯一私の母だけが,掛け軸を買っていた。
焼き芋屋が追いかけてくる寒山寺を出て,次に向かったのは虎丘(こきゅう)斜塔。虎丘の斜塔はレンガと泥で作った塔なのだが,地盤沈下のため傾いてしまったものらしい。蘇州では地震がないため,傾いていても危なくないのだろう。
斜塔以外に大きな目玉はないものの,剣を試す試剣石があったり小舟の浮かぶ小さな運河があったりして,広々とした公園の散歩が楽しい。ここかしこに“龍のヒゲ”という植物が生えていて,辰年を祝っているようだった。もっとも,中国って随分と龍が好きなお国柄みたいで,どこに行っても龍の姿をみかけたけれど。
中国の植生は日本とそんなに違っていないのか,公園の印象は,日本のどこかの公園だと言われても納得してしまうほど違和感がなかった。公園内をかなり歩いて裏通りに出ると,土産物屋も大勢居たが,道路で新聞を読むおじいさんがいたりして,ちょっと和む風景だった。
最後に,まぁまぁ美しい無料トイレへ寄ってバスに乗る。寒山寺では冷え込んでいて寒かったけれど,少しずつ身体が暖まってきた。
今度の観光は,公営のシルク博物館。
大昔の絹の着物や,蚕の養殖から繭を煮立てて絹糸を作り,それを紡いで布を織るところまでを実演していて見応えがある。繭がネズミの害に遭わないように猫を飼っていたそうで,ネズミよけの猫の剥製まであった。いるか座の和名となった機織り道具“杼”も展示してあって,私は大喜び。もちろん,そういった展示物はすべて本物で,非常に見応えがある博物館だ。ゆっくり見られたら,さぞかし面白かったことだろう。
そう,博物館の人が説明しながら案内してくれているものの,すごく足早に先へ先へと進んでいくので,納得できるまで見ている暇がなかったことが非常に心残りな観光だった。時間が無いから仕方がないのかと思ったが,最後の土産物売場での商品説明だけはうんざりするほど長く,「このためだったのか〜」とがっかり。もうその時は展示館内を出てしまっていたので後戻りもできず,退屈しながら土産物の説明を聞くしかなかった。展示物の説明より土産物の商品説明の方が長く熱が入っているとは,ちょっとひどいんじゃない?
だが,土産物売場に並ぶシルクの直売品は,確かに立派な物が多かったも事実。ちょっとムッときたけれど,シルク製刺繍のハンカチをお土産に買う。日本で買ったら2000円は下らないだろうと思われる製品なのに1枚50元(約500円)で格安だ。
その後,またバスで少しばかり移動して,世界文化遺産にもなっているという拙政園(せっせいえん)という庭園の見学。私はどちらかというと通りのパン屋さんなどが気になっていたのだが,観光地巡りのスケジュールはそんな暇を許さない。
変わった形をした様々な岩と,水際に建つ建築物のハーモニーが美しい。
池に懸かった九曲橋というジグザグの橋が面白かったのと,下に敷き詰めた卵石という丸い形の石が可愛らしかったのが印象に残っている。卵石は太湖で採れるのだそうだ。寒山寺で見たような幾何学模様が入っている窓や美しい屋根,道に敷き詰めた石の中の模様も面白いが,それだけかもしれない。
ここでも陶器のゴミ箱がおいてあって,狛犬のほか,カエルのデザインのものがあった。また,丸や四角などの形をとった入り口が多いのも特徴だろうか?
拙政園を出た後,ツアーの他の人たちはオプショナルツアーで大運河の遊覧船観光へ出かけたが,我々二人のみ残って別行動をとった。遊覧船の一人100元(約1000円)はちょっと高い気がしたし,それにとにかく街を歩いてみたくてうずうずしていたのだ。私たちが残るというと,遊覧船観光を現地のガイドさんに任せた賀さんが一緒に来てくれ,ちょっと心強い。特に目標があったわけでもないので,とりあえず,近くの蘇州駅を目指して広い歩道を歩き始めた。
やがて,道端に公衆電話が見えてくる。早速近づいて写真を撮ると,賀さんがICカードの公衆電話機なのだと説明してくれる。中国では,少し前までは磁気カード式の電話機だったが,今ではほとんどがICカードになったとのこと。今までの私たちの行動から興味がありそうだと思ったのか,賀さんは,わざわざ自分のICカードを出して見せてくれた。最近は,携帯電話もかなり普及してきたとのことだ。
さて,蘇州駅に到着。といっても,駅は片側3車線+自転車道の広い道路の向こう側だ。もちろん?信号などなく,車はクラクションを鳴らしながら荒っぽい運転で雑然と通り過ぎていく。「これを渡るのか!」と驚愕の想いだ。
幸いにして賀さんが一緒なので,賀さんにぴったり寄り添って車の合間をかいくぐりながら横断した。恐がりの私は,とても一人でなんて渡れそうにない。
渡り終えると,すぐ目の前が駅の大きな広場になっていた。広場の周辺にはお弁当屋も並んでいる。認可されていない業者らしい。私たちがカメラなどを持って如何にも観光客風だったため,早速物売りが近づいてきて,賀さんが一々追い払ってくれる。
蘇州駅は,中国ではごく普通の駅だそうで,賀さんは「あまり綺麗ではない」と言うが,日本と比較してもそうひどくはない駅だった。
駅舎の入り口で見ていると,中へ入るには,どうも切符を見せてX線による荷物検査を受けなくてはならない様子。しかし賀さんに「中に入ってみたい」と頼むと,何やら先に駅の中へ入っていき,やがて戻ってきて「入ってよい」という。私たちは切符もなく,荷物検査もしないまま中に入ることができたのだった。賀さんが,交渉してくれたのかもしれない。
私たちが入ったのは,中国人用の待合室。外国人用には別のコーナーが設けられていて,そちらの方が綺麗なのだそうだ。中には,行き先別に左右二つの待合室(候車室)があり,そこへ数百脚の椅子が並んでいて,その様はまさに圧巻。日本の駅にこれだけの椅子が並ぶところは無いだろう。電光掲示板には,行き先と時間を示す文字が並んでおり,上海−南京を3時間ほどで移動できることがわかった。ちょっと前までは6時間もかかっていたのだと賀さんが説明してくれる。最近は時速100kmは出るようになり速くなったが,それでも北京までは12時間ほどかかるらしい。壁には路線図も貼ってあった。
向こうの方に見えるプラットホームに,列車が停車しているのが見えた。
また道路を渡って船着き場へ戻ると,ほどなく遊覧船が帰ってきて,他のツアー客たちが降りてきた。遊覧船観光を楽しんだ母は,「日本の昔みたいに人糞を運んでいる船がいたりして,すごく面白かった」と言っていたが,ツアーの他の男性は私に「食欲がなくなりました。昼食前に行かなくて正解でしたよ。」と感想をもらした。同じ物を見ても,感想は180度違っているのが面白い。
皆がバスへ乗ったところで,蘇州のガイドさんとお別れだった。ガイドさんは,最後の挨拶をして降りていった。ハードな半日の観光でしたが,ありがとう。
昼食は蘇州料理。沢山歩いてお腹が空いていたので,中国へ来て初めて美味しく食べられた。特に美味しく,みんなに評判がよかったのは“お焦げ”。まさしくご飯を焦がしたものを味付けした物で,代表的な蘇州の田舎料理なのだそうだ。
この後高速道路で移動だと思うと,トイレが心配でお茶やビールをあまり飲めないのがちょっと残念かつつらい。
食後少し時間があったので,賀さんが白檀扇子工場へ連れていってくれた。ここはツアーの予定には入っていない。如何にも町工場といった感じで,販売している店先以外は観光客の来るところではなさそうだった。行ってみると正月休みの最中だったようだが,賀さんが工場長?と交渉し入れることになる。
そんな事情だったので,中で数人働いている人もいたけれど,中国のごく普通の工場の風景を見学することができて貴重な体験だった。白檀のプレートに模様の原形が描いてあり,そこを手早く彫っていく様は正しく職人芸で面白かったが,申し訳ないけど白檀の扇子は高価すぎて,とても買う気になれなかった。
白檀扇子工場を後にし,昨夜降りたインターチェンジから高速道路に乗って無錫(むしゃく,ウーシー)へ移動。今度は昼の移動なので,思い切り風景が楽しめる。面白かったのは,一戸建ての家の窓硝子が青いこと。たまに透明のガラスの家もあるが大抵が青硝子だ。直射日光が差し込むのをを避けるためらしい。日本だったら,レースのカーテンをつけたりブラインドをつけたりするところだろう。何故よりによって青なのか,不思議だった。
途中,パーキングで1回トイレ休憩をしたが,できたばかりのパーキングだそうで,トイレも綺麗だった。高速道路は昼間も非常に空いているのだが,管理がアバウトなのか,人が歩いていたので驚いた。
車のナンバーは,まず頭に省の名前がついて,この辺りの車は江蘇省の“蘇”。次に来るのがアルファベットで,省の中の大きな都市から順番に与えられ,江蘇省の場合,南京がA,無錫がB,蘇州がEとなる。ほとんどの車が江蘇省のナンバーだった。
無錫に着くと,ストレートヘアで小さなリュックを背負ったのお洒落な若い女性のガイドさんが合流。すぐに太湖(たいこ)の遊覧船乗り場へ連れて行かれた。予定では明日観光することになっていた筈なのだが?
よくわからないまま乗せられた遊覧船の窓硝子は青で,景色が青くなってしまうのはちょっといただけない気分。写真を沢山撮ったけど,後で青の色調補正が必要だ。中国では住宅に使うくらいだから,青い硝子ごしの風景に違和感がないのだろう。
乗るとすぐにお茶が出てきたことが船の中の唯一のサービス。太湖は琵琶湖の3倍くらいある湖で,中国の湖の中では大きい方から3番目とのことだが,遊覧の方は湖の一部をちょっと廻るだけで,大きさを堪能する暇もなくすぐに終わってしまった。船の中から見る風景は,日本のどこかの湖だと言っても疑いを持たないくらい日本と似た感じで,同じ東洋の国なんだなぁということを痛感する。途中の岸辺に大きな孔子の像が座っていたことが,一つ中国らしい風景だったのかもしれない。
遊覧船を降りた後は,現地の旅行会社の契約らしい太湖の淡水真珠の直売店に連れて行かれた。ガイドさんの話では,淡水真珠は海水真珠と違って球状をしているものが少なく,光に当たっても紫外線で焼けないのが特徴だとのこと。
しかし,直売所は商魂たくましすぎてひどい。欲しくもないのに「ちょっとつけるだけ→似合う→安い→買って」のサイクルに巻き込まれてうんざり。かえって「何も買うまい」と決心させられてしまう。気に入った商品もなく,ここでも国民性と好みに違いがあるのかなぁと首を傾げた。真珠だけで形作って編んだネクタイなんて,日本人の男性はするかしら? 真珠だけで形作った豚の置物とか,日本人だったら部屋に飾るかしら?
何か買わないと店から出さないというつもりなのか,店の戸は締め切られしばらく土産物屋に監禁状態。その間にも日が傾いていき,時間がもったいないと残念だった。
ようやく淡水真珠の土産物屋から解放されると,もう辺りはすっかり夕刻の佇まい。予定外の太湖遊覧が入ったのでホテルへ帰るのかと思っていたら,何とこれから錫恵公園(しゃっけいこうえん)へ観光に行くという。もう暗くなりかけているというのに!
本来の予定では,無錫に着いたらこの錫恵公園の観光をし太湖遊覧は明日の予定だったので,無錫のガイドが明日の仕事を楽にするために今日私たちの観光を全部終わらせてしまおうとしているのでは,と疑ってしまった。暗くなってからの観光では写真も撮れないのだから,疑いたくもなる。
錫恵公園とは,錫山と恵山の間にあるからついた名前だという。恵山でとれる粘度の高い良質な泥で作った泥人形が,この無錫の有名なお土産だそうだ。泥人形って可愛くないと思っていたが,説明を聞くと一つ欲しくなってしまった。(結局買う機会もなかったが)
錫恵公園にあったものは,龍と木齢600年のイチョウの木。暗くなってきて,寒くなってきて,最後の方は何だかつらくて,龍の脚の指は普通は3本から4本で,帝王の龍には5本あるのだということしか分からなかくて,ちょっと心残りの観光だった。さすがにあちらこちらに龍がいて,龍の顔が突き出た橋や龍を象った建物など,是非とも明るいところで見たかった。
それなのにこの後行った夕食のレストランの中も寒い。無錫料理で,スペアリブや白魚の卵綴じが有名だそうだ。夕食後ホテルに戻って,そこで無錫のガイドさんとお別れだった。
無錫のホテルも昨夜に引き続き豪華なシェラトンホテル。フロントには日本人のスタッフもいて,日本人客の用事を聞いてくれるようになている。部屋も豪華で,やっぱり果物の籠などがおいてある。
しかし,私たちは部屋に荷物が届のを待って,すぐに百貨店へ買い物に出た。両親は妹や妹の子ども達へのお土産を,私は中国茶セットを買いたかったし,街を歩きたかったのだった。
百貨店の店内は,日本と違って照明が暗く,ショーケースの中も,いちいち照明をつけたりしていなかった。日本が過剰に明るいんだなぁと気づかされる。
まず,母が妹に頼まれた中国料理の素を探そうとしたのだが見つからず,代わりにバラ売りしていた,見たこともないお菓子を買うことに。まず,その見たこともないものがお菓子なのかどうかを知りたかったが,売り子さんは日本語は勿論,英語も全く通じない。困っていたら,近くにいた英語を喋れる男性が「英語はわかるか?」と聞いてきて,商品の説明から買い物のシステムまで世話をしてくれた。品物を買うときは,まず別の場所でお金を払い,その領収書を呈示して品物を受け取るシステムになっていて,彼が教えてくれなかったらわからないところだった。
その男性は,私たちが買い物を終えた後もずっとそこの売場で女性の店員さんと楽しそうに話をしていて,母は,きっとその店員さんの恋人で,彼女の仕事が終わるのをそこで待っているのではないかと言っていた。
その後,念願の中国茶器を買いに行く。ここでも店員さんが英語を理解せず,苦労していた。中国人しか買い物に来ない店のようで,どうやら「yes」「no」が関の山のようだ。最初は茶色の龍の模様のセットを買おうとしていたが,その後,スイカを象ったイメージ通りのものを見つけて交換しようとしたのだが,これもまた一苦労。スイカの方が値段が安かったのでなかなか応じてくれようとせず,母が欲しがっていた急須も合わせ,こちらの方が高くなるからと言ってようやく納得してもらったらしい。
茶器セットコーナーには他の客は全くおらず,どうも,滅多に誰も買わない高級品を買ってしまったようで,買うときの店員さんの堅い緊張した表情や,買った後の店員さんたちの厳重な包装には驚いた。
値段は554元と,日本円にして6000円あまりだったのだが,多分,日本で買ったら2〜3万円する品物だったのだろう。丁度買ったところで,賀さんがブラブラと歩いてきたので品物を見て確認してもらうと,「良い品物だ」と太鼓判を押してくれ,ご機嫌でホテルに帰ったのだった。
濃くてハードな日だったけど,満足な2日目の旅だった。