プロロォグ

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(C) 1983 Snowy Yuki. All rights reserved.
『天界』1999年3月号掲載


 1968年から69年。アポロ宇宙船が月へ降りるのを楽しみに待っていた。まだ幼かったけれど,私にもそれが凄いことなのだとよくわかった。
 遥かな世界に想いをはせて,露で曇った窓ガラスに宇宙ロケットの絵を落書きして,母に叱られた冬の日。それでもガラスに描いたロケットは,まるで空を飛んでいるようで私をわくわくさせたものだった。

 1971年8月12日,火星大接近。その日,夕方東の空に昇ってきた赤く明るい星を指して「今日は火星が地球に一番近づく日だ」と父が教えてくれたのをはっきりと記憶している。まだ薄明るい東の空,隣家の屋根の上にようやく昇った不気味に赤い星・・・。私は小学校二年生になっていた。

冬のダイヤモンド

 1972年10月8日。ジャコビニ・ヂンナー彗星の流星群が脚光を浴びた。私は百科事典を開き,有名な1833年11月の獅子座大流星雨のスケッチを眺めては,きっとこのように見えるのだろうと胸をはずませた。
 結局,悪天と不発だったことも重なって,ジャコビニ流星群を見ることはできなかったが,私の星への興味は確かなものへと変わっていった。

 これが私と星たちとの交際の暁である。
 小学校三年生から四年生にあがる春休みだっただろうか。母が,H.A.レイさんの絵本『星座を見つけよう』を買ってきてくれた。それをきっかけに,私はどんどん星の世界へ引き込まれていったと思う。
 その年の夏休みには,『星座を見つけよう』を頼りに日本から見える全ての一等星の名と距離を明るい順に暗記し,また,『天文学への招待』を読んで,シリウスの伴星の話,白色矮星・中性子星など不思議な星の話を知って戦慄した。すでに,星は離れ難き友となっていた。
 星は移りて人かはり−−私の母校の生徒歌の一節。あの幼い日から,幾何星は昇り,惑星は星座を渡り歩いただろう。それとともに幾何の人とすれ違ったのだろう。惑星は移り,人は変った。住む土地すら変わってしまった。それでも尚,故郷にいた時と同じように親しげな顔を見せてくれる星たち。当然のこととわかっていても,それが嬉しい。

 星を見て十年以上になる。その私の唯一の財産は,私の生きてきた二十年の半分以上をかけて培ってきた星たちへの想い。それを少しずつ書きためたものを,ここに『星愁』と名づけた。

1983年霜月 記

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