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2009年3月13日金曜日。
午後からいっそう激しく降り始めた雨の中,熊本駅へ到着すると,「あと0日」になってしまったお馴染みの撮影ブースの隣に特設販売所ができていて,さよならバウムクーヘンや,記念切手などが売られていた。そこで「ちょっと高いな」と思いつつも,「さよなら九州ブルトレ チョロQ」を購入。
改札からホームへ入ると,「はやぶさ」の歴代ヘッドマークをはじめ,「みずほ」や一年前にお別れした「なは」と「あかつき」のヘッドマークが並んでいてお別れムードを演出している。向かいのホームには人だかりができていて,出発式が行われているもよう。
はやぶさの出発はいつもの3番ホームから5番ホームに変更され,ホームの前の方で出発式が行われていたが,とても近付けたものではない。私は出発式を見ることは早々に諦め,ホームの後ろへ移動し最後の駅入りの動画を撮ることにした。
激しい雨の中,「はやぶさ」はいつもより早めの15時32分に駅入り。多くの乗客やファンが思い思いに撮影を始めた。
機関車の前まで行ってヘッドマークを撮影したいと誰もが思ったと思うが,一番前の客車の乗り口の先にロープが張られ,駅員さんが立って見張っている。どうやら機関車の前や横へ行けるのはマスコミ及び関係者だけのようだった。
後の報道によると,お見送りのために熊本駅に集まったファンは1000人。
タレントのスザンヌさんの妹のマーガリンさんが一日駅長を務め運転士と機関士の二人に花束贈呈を行ったそうだが,最後のそんなセレモニーに近付けたのはマスコミの面々だけだったのではないかと思う。
5番ホームにいたのではヘッドマーク入りの動画を撮ることはできそうにないと判断し,私は早々にまだ人の少ない1番ホームへ移動して端の方に陣取った。
雨は益々激しく風も吹く。コートもカメラもどんどん濡れていく。だが,そんなことに構ってはいられなかった。
とうとう長い警笛が鳴り響き,ゆっくりゆっくり,機関車のヘッドライトが見えてきた。惜別の涙が雨となって激しく降り注ぐ,嵐の中の旅立ちだ。
列車の中の乗客はみな窓際から外へ向かって手を振って,ホームの見送り客も列車に向かって手を振っている。恐らくそこに集った多くの人に「はやぶさ」にまつわる特別な思い出があったのではないだろうか。
列車の姿が視界から消えても,しばらく動くことができなかった。
見送り前はみんな気持ちが落ち着かなかったのだろう。改札へ向かうと,さきほどまでは閑散としていたヘッドマークの展示の前に人だかりができていた。改札前の写真展示の前にも大勢の人。
何も知らずに今日の熊本駅へ降り立った乗客は,きっと驚いたことだろう。
何となく,最初に買った記念チョロQを出して,本日の入場券と一緒に記念撮影し,改札を出る。改札前にはまだ記念切手を売る臨時郵便局が開いており,その向かいでは本や勇退記念バームを売っていたが,もう何も買わず,チョロQを握りしめて帰途についた。
「さよなら九州ブルトレ チョロQ」は,残念ながら(そして当然だろうが)本州を走る「富士・はやぶさ」。九州を走る赤い機関車の,ただの「はやぶさ」ではなかった。
でも,まぁ,赤い機関車の「はやぶさ」は,沢山撮って沢山見送って,しっかり心に残っている。良しとしよう。
「富士」は,九州山地の西に生まれた私にとって,決して乗ることのない寝台特急,けれど,よく知っている寝台特急だった。長い歴史を持つ「富士」に敬意を表し,最後に軌跡を書いておこう。(参照:ありがとう九州を走る寝台列車(JR九州)