「エコ」と聞けば私の頭は「エコ(笑)」と自動変換してしまう。私の中ではエコはスイーツと一緒なわけだ(?)。
いや,別に資源の無駄遣いを推奨し,生命よ滅びるがいい!などと思っているわけではない。「エコ」だの「地球にやさしい」だのという言葉の裏に,偽善や自己満足,奢り,さらに資本の動きなんかが見え隠れし,無邪気に礼賛する気になれないのだ。
そもそも地球が本当に温暖化しているかどうかも怪しい。50億年の歴史を持つ地球に対し,たかが10年20年のデータでどうのというのはお話にならない。今更温暖化しないと困る人たちに雁字搦めにされ,影響力のありそうな科学者などが温暖化に疑問を示そうものなら,速やかに駅のホームから突き落とされそうな勢いだ。事実,温暖化を否定する論文をマスコミは実に華麗にスルーしている。
今の世の中見ていると,要するにまず温暖化ありき。温暖化が事実であるかどうかを真剣に議論検証する気もない人たちに,寄って集ってエコだの地球に優しいだの言われてもね。そう,たかが人間の分際でよくまぁ恥ずかしげもなく「地球に優しい」なんて言葉が言えるものだというのも感心に値する。烏滸がましいとは思わないのか? 「地球が泣いている」なんて臆面もなく言える人,神経疑うな。地球に聞いたんかよ。地球の代弁をすることに何も感じないのか?
エコ関連商品なんかも実にアホらしくて脱力だ。要するに売りたいだけじゃん。エコって言っておけば喜んで買うバカな消費者がいっぱいいますからね,エコって言っておけば誰もが批判しにくくなりますからね,こんな便利な話はないでしょう。何も作らない,何も買わないのが一番の「エコ」だと思うぞ。ついでに言うなら死ぬのが一番エコでしょう。まぁ流石に「地球のために死にましょう」ってわけにはいかないだろうが,テレビでエコ商品を宣伝をしている暇があったら「テレビなんて消しましょう」というのがエコじゃないのかね。偽善だよ,マスコミの言うエコなんて。いや,「エコ」は「エコノミー」の略だと考えれば非常に納得なわけだがね。
毎年夏至になると,キャンドルナイトなんて騒がれるが,これも思いっきり疑問。参加して「良いことをした」と喜んでいる知人が何人もいて疑問を呈しにくいのだが,私は毎度「何てくだらないの」と思って見ている。
ロウソクの製造だって二酸化炭素を放出するし,市販のパラフィン製ロウソクは燃やせば多くの二酸化炭素を放出する。それに,パラフィンというからには原料は石油ですが? それをみんなで沢山消費すれば化石燃料は無くなるわ,二酸化炭素は放出されるわ,火事の危険まで生まれるわ,煤で家がよごれるわ,マイナス面の多いこと。
単に「電気を消してロウソクをつける」ではぜんぜんエコ(ロジー)ではない。何ワットの蛍光灯1本を何時間点灯した時に使われる二酸化炭素はどれだけで,パラフィン原料の直径何センチのロウソク1本を何時間灯した時に放出される二酸化炭素はどれだけで,蜜ろうロウソクだったらどれだけ,菜種油やヤシ油ロウソクだったらどれだけで,そういうきちんとした裏付けデータを知りもせず,ちょっと数時間蛍光灯を消してロウソクを灯したからって「環境に良いことをした!」と喜ぶとは,ちょっと単純すぎやしないか。
ま,二酸化炭素が本当に温暖化を促進しているものなのかも怪しいわけだし,考えるきっかけとか言っても別にロウソクを燃やさなくともできるわけだし。本当のところこういう運動は突っ込み所が多すぎて黙って傍観するほかなさそうな気がしている。
で,毎年年末になると沸々と湧いてくる禁じ得ない疑問が一つ。いつも何だかんだとうるさい環境保護団体よ,イルミネーションには文句ないのか?! 幾ら発光ダイオード使っていてもかなりの電力になるだろうし,不自然な灯りは動植物らに良いとは言えませぬが?
もちろん私は文句ない。別にいいじゃん,楽しめば。「エコ」だって私には趣味の一つにしか見えないし趣味らしく無邪気なだけならまだ文句はないのだが,「正義の押し売り」と「それに乗じた利権」の香りがプンプン漂ってくるので思わず(笑)になってしまう。商業活動が悪いなんて言わない,金儲けをするのが悪いとも言わない,大いにやってよろしいでしょう,資本主義社会なのだし。ただ,怪しげな正義の押し売りによってそれをやるところが嫌いなのだ。