twitterは寂しい?

 twitterに登録したのは2007年12月13日。
 その頃はまだ日本語インターフェイスは存在しなかった。故に日本人はほとんどおらず,知った人が誰もいない場所で英語で呟く練習をしようというのが登録の目的だった。それ以前に使っていた ICQ や Google Talk は知らない外国人に話しかけられていきなり英会話でチャットなんてことになりおちおちオンラインにできなかったが,twitter は一方的な呟きだ。各々が発信したい情報を流し,フォロアーはそれを眺める。チキンな私にはあくまで受動態でいられる安心なツールだった。
 が,思惑はすっかり外れ,やがて日本語化されてマスコミが話題にし,フォロアーが続々と増えていった。流れの速さにタイムラインを追いかけることもなくなり,下手な英語で呟くなんて恥ずかしくてやってられなくなってしまった。

 だから,今やたまーに気が向いた時,下らない独り言を日本語で呟くだけ。
 しかし,独り言を言いたいだけの私に twitterはけっこう向いているのだなと思う。話しかけられたり誰かがお返事してくれたりすることもあるけれど,気が向いたらそれに答えてしばし会話するし,そうでないときは,twitterなら無理して返事を返さなくても罪悪感にかられることもない。タイムラインは流れていくものだから。この程度の緩い場所が私には心地よい。

 だが,twitterは寂しいという意見もよく聞く。返事を期待したり,誰かとコミュニケーションをとることを第一の目的にしたい人には,呟いても呟いても見てくれている人がいるかどうかわからない,返事の保証も無い場所は寂しさ増長で虚しいのだろう。そんな要求を満たすのはSNSだ。少なくとも「足跡つけたくせにコメントくれない」なんてSNSで言っているような人たちに twitterは厳しい気がする。
 一方,「踏み逃げ? ばっかじゃねー」と思っている私,SNSは苦手だ。足跡がどうの友達がどうのと面倒くさく感じるし,スタンスが異なる人が多すぎて鬱陶しい。ついつい真面目に「友達」の期待に応えようと努力してしまうので本気で疲れ果ててしまう。

 リアルだろうがネットだろうが「誰とでも仲良く」なんて世界は苦手だし,付き合う人は少数でいい。呟きたいから呟くだけだから誰かが答えてくれる必要もない。それを期待してもいない。
 たまたま風が吹いたら誰かと繋がり会話する,話が終われば一人に戻って静かに淡々と過ごす。twitterはそれができる場所だと思う。

一人旅