誕生日の憂鬱

 何と言うか、年は日々とっているし、その名称が変わったところである日突然に老化するわけでもない。しかし、自分の寿命というより自分の親の寿命が近づいていると思うと自分の誕生日すらありがたくないもののように思えて顔を背けたくなるここ数年。
 そんなこんなで誕生日が近づくとただでさえ気持ちが沈みがちだというのに、それに追い打ちをかけるようにやって来るのが「ねんきん定期便」だ。誕生日が嬉しいにしても辛いにしても、どちらにしても誕生日に見事に水を差す。お前こそKYと呼んでやろう!

 そもそも人様から預かったお金をキチンと管理するのは預かった側の責任ではないか? それなのに、自分に管理する能力が無いからといってこのような数値を並べただけの分厚い封書を強制的に人に送りつけ、責任を逃れようとは何事か。

 最初の年は、腹が立つと思いながらも新社会人として初めて厚生年金を納めたときからの給与明細を引っ張り出して、丸一日つぶして数値を照合し、細かな金額の違いをリストアップし、おかしい部分を書き送った。それなりに長い年月を生きてきたのだから、この作業はすごく時間がかかって大変なものである。
 ところが苦労して作ったそのレポートの数値の不一致について一言の説明もなく、「問題はない。文句があるなら裁判しろ」という紙切れ1枚の返信が届いた。「怒り心頭に発する」とはどのようなことか、わかった気がした。これだけ明確に指摘した数値の相違について、問題がない理由も説明しないのだから、要するにねんきん定期便なんて、出す側の自己満足と自己弁解のためのものでしかないわけだ。

 二年目以降、この最悪的にくだらなく腹立たしい「ねんきん定期便」は、確認しても労力と時間の無駄だと理解し、無視することにしているが、届くことだけは避けられない。水色の封筒を見る度に気分が悪くなるのだが、そのまま捨てるわけにもいかず、家庭にある手回しのシュレッダーにかけるのはかなり面倒臭い。
 こんな迷惑千万なねんきん定期便など早く廃止して、さっさとまともなシステムを築いてくれ。

水無月