夏の終わりが近づき釣瓶落としのように日没が早くなっていく頃,薄明が終わった南の空には夏の名残を惜しむように,いて座付近の銀河がひときわ明るく輝いています。この方向には私たちの銀河系の中心があり,そのため沢山の星が見えるのです。
いて座には1等星はありませんが,六つの星が象る北斗七星とよく似た柄杓の形が目につきます。中国ではこれを南斗六星と呼び,死を司る北斗七星に対し,生を司る神として崇められていました。人が生まれるとき,北斗七星と南斗六星が話し合って寿命を決めるのだといいます。
同じ星列が,西洋ではミルク・ディパー(the Milk Dipper:乳さじ)として親しまれてきました。ミルク・ディパーとは,赤ちゃんにミルクを与えるときに使う小さなスプーンのことで,ミルキー・ウェイ(銀河)のミルクをすくうように空に懸かっています。
弓矢を持った射手は,ギリシャ神話では半人半馬のケンタウルス族,ケイロンの姿。ケンタウルス族は粗野な種族として知られますが,ケイロンは,ゼウスの父クロノスとニンフのピリュラの間に生まれた善良な賢者でした。クロノスが,妻レアの嫉妬から逃れるために馬の姿でピリュラと会ったため,ケイロンは半分馬の姿で生まれたということです。慈悲深いケイロンは,へびつかい座となった名医アスクレピオスらを育てますが,ヘラクレスがケンタウルス族と闘った際に流れ矢に当たって命を落とし,星座となりました。
この星座一番の輝星は弓の南端にあるε星(1.9等)で,α星もβ星も4等星。高度も低く目立たない存在です。
各星座の主な星についているα,β,γ…という符号を“バイエル名”と呼びますが,これは,ドイツのヨハン・バイエルが1603年に出版した『ウラノメトリア』という本の中でつけた符号で,ほぼ明るい順にα,β,γ…の名が与えられています。
バイエルは主な資料としてティコ・ブラーエの星表を用いましたが,ティコのデータにない南の星々については,プトレマイオスの星表やオランダの航海士ペトルス・テオドリ(ラテン語名:ピエトル・ディルクス・ケイザー)の観測資料で補完しました。いて座のαとβは,ティコの星表に載っておらずプトレマイオスの星表で2等星とされていたため,バイエル名の順番と実際の明るさが逆転しているのです。
順番が逆転している星は他の星座にもたくさんあり,このように用いた資料によるものや,星の明るさが本当に変わってしまったものなど,様々な理由があるようです。
α星(4.0等)は,名をルクバトといい,“射手の膝”を意味するアラビア語ルクバト・アル・ラミの“ひざ”の部分が語源。よく似た星名として,はくちょう座ω(ルクバ),カシオペアδ(ルクバー)がありますが,同じくアラビア語の“ひざ”が語源の名前です。昔は“射手の膝”のうち“射手”を意味するアル・ラミと呼ばれていました。
肉眼二重星のβ星アルカブは,α星よりさらに南にあり,熊本でも南中時の高度が12度程度。“射手のアキレス腱”という意味のアル・ウルクブ・アル・ラミが語源です。β1(3.9等)をアルカブ・プリオル(前の腱),β2(4.3等)をアルカブ・ポステリオル(後ろの腱)と呼ぶこともあります。
アラビアでは,二つのβ星とα星を砂漠の鳥と見て,アル・スラダインと呼んだそうですが,どういった鳥なのかは不明です。
弓矢の矢尻に輝くγ星(3.0等)アル・ナスルは,“矢の先端”を意味するアラビア語。訛ってナシュと呼ばれることもあります。
γ星にはアル・ワズルという別名が知られますが,こちらは1225年にイスラム圏で製作されたボルジア天球儀で名付けられた名前。弓と矢と射手の手が出会う場所であるところから,“接合点”という意味です。
γ星は古代ヘブライ人の間ではイスラエル12部族のマナセとエフライムの象徴とみなされ,キリスト教の時代には使徒マタイ(『新約聖書』マタイによる福音書の著者)であるとも考えられていました。
次に,弓を構成している3つの星,δ(2.7等)・ε(1.9等)・λ(2.8等)を見てみましょう。
δ星は弓が矢と交差している部分にある星で,カウス・メディア(弓の中央)又は単にメディア(中央)と呼ばれます。カウスは,“弓”という意味のアラビア語アル・カウスが語源で,メディアはラテン語。カウス・メディウス(弓の中央),カウス・メリディオナリス(南の弓)と呼ぶこともあるようです。アッカドでは,δ・γ・εの3星をツバメの姿と見ていました。
弓の南端に位置するε星と,弓の北端に位置し,南斗六星の柄杓の柄の真ん中の星でもあるλ星は,各々カウス・アウストラリス(弓の南の部分),カウス・ボレアリス(弓の北の部分)といいます。δ星と同じくアラビア語のアル・カウスと“南の”“北の”というラテン語が合成されてできた名前です。
さてここで,古代アラビアの,星座をご紹介しましょう。古代アラビアでは,いて座の銀河付近の星たちを二つのダチョウのグループに見立てていました。
西側にあるグループ(γ・δ・ε・η・μ)をアル・ナッアーム・アル・ワーリド:(天の川へ)出かけていくダチョウ。これに対し,東側にあるグループ(σ・ζ・φ・χ・τ)をアル・ナッアーム・アル・サーディラー:(天の川から)帰ってくるダチョウとし,λをダチョウの飼い主(ラーイ・アル・ナッアーイーム)と見ます。
ダチョウたちは川へ何をしに出かけているのでしょう?
“水を飲みに”と考えるのが自然ですが,ダチョウは水を飲まないと思われていたため,この星座の解釈には異論があったようです。実際には,ダチョウは多汁質の植物や種子などの食物から水分をとるほか,水を求めて遠くまで移動することもあるそうですから,やはり,水を求めて行ったり来たりしているのかもしれません。それとも単なる水遊びでしょうか?
そんなことを考えながら天の川周辺の星々を,川辺を歩くダチョウの姿に想像してみると,いて座の星々が生き生きと見えてきますね。
弓矢から離れて,今度は射手ケイロンの姿を見てみましょう。ケイロンの胸あたりに輝く南斗六星の一つζ星(2.6等)には,ラテン語で“わきの下”という意味のアスケラという名がついています。この名は『アルマゲスト』のラテン語版(1515年)で初めて紹介されている比較的新しい星名だそうです。
可愛らしい二重星のν1(4.8等)とν2(5.0等)は,アラビアで“射手の目”を意味するアイン・アル・ラミ。しかし,この名は伝統的な星の固有名として使われていないため,日本の書物にはほとんど記載されていないようです。プトレマイオスは,ν1・ν2を「雲のような二重星」として紹介しています。
中国では,この2星と近くのο(3.8等),ξ1(5.0等),ξ2(3.5等)を合わせて旗竿と見ていました。空が暗かった時代の人々は,こんな小さな星の一つ一つに注目し,名前をつけて呼んでいたのです。
同じように,固有名として一般化しなかったアラビア名を持つ星として,π(2.9等)のアル・ナーッイルがあり,アラビア第21星宿(Al Baldah)における最も明るい星という意味です。
ところでこの“星宿”という言葉ですが,本当は中国の天文学で用いられる言葉で,アラビアでは正確には“月宿”という表現をしています。
さて,いて座で一番気になる名前を持っているのは,射手の右手に輝くσ(2.0等),ヌンキでしょう。
ヌンキは“海が始まるしるし”という意味あいのシュメール語に由来するそうで,ユーフラテス地方で見つかった銘板に記されていた名前だそうです。古代のこの地方の人々は,いて座の東側を空の海と考え,みずがめ座,やぎ座,いるか座,うお座,みなみのうお座,くじら座などの水の星座を配置し,いて座を水の星座の前ぶれであると考えていたのではないか,と考察されています。
しかし,シュメール星座ヌンキは,現在ではアルゴ座(とも・ほ・りゅうこつ・らしんばん座)からみなみじゅうじ座にかけてであると同定する研究が多いようで,ヌンキという名についても,今後まったく違った解明がなされていくのかもしれません。シュメール語のヌンキは,もともとペルシア湾の港町として栄えた世界でも最も古い“神聖都市”のことだそうで,この名がいて座σの固有名として定着した理由など詳しいことはわかっていません。
今度は射手のお尻の方を見てみましょう。
弓矢には多くの星々が集まってにぎやかでしたが,このあたりには明るい星が全くなく,寂しい領域にかすかな4つの星,ω(4.7等),59番(4.5等),62番(4.6等),60番(4.8等)が不等辺四角形を作っています。
バイエルはこれらの星をテレベルムと書いており,これは,穴を掘るための道具:スコップのこと。かつて,いて座のお尻からやぎ座,けんびきょう座のあたりにあったという“スコップ座”が関係していると考えられますが,“スコップ座”についての詳細は何も知られておらず,テレベルムという名も固有名として一般に認められているものではなく,けんびきょう座の原形であるという見方もあるようです。
星の名前とはちょっと離れますが,最後に,ティースプーン&ティーポットとして親しまれているいて座の結び方を紹介しましょう。これらは数年前に米国天文誌『Sky & Telescope』で紹介されており,最近になって欧米で広まった見方ではないかと思いますが,日本でもメジャーになってきたようです。
ポットの上に5.1等で輝く球状星団M22を,スプーンからポットへ落ちていく角砂糖に見立てると雰囲気も格別ですね!