星の停車場 (6)
おとめ座

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 黄道12星座として,また春の大曲線の一員として有名ながら,おとめ座は春霞や菜種梅雨の最中に見頃を迎え,梅雨入りする6月上旬に子午線を通過。大気の向こうに,奥ゆかしく姿を隠していることが多い星座です。
 乙女に見立てるのは難しいと言われるおとめ座ですが,この星座は古くから世界各地で女神の姿と見られていました。エジプトでは母性の神イシス,バビロニアでは愛と金星の神イシュタル,インドではクシュナ神の母カニア。星座になった女性は,麦の穂を持っていることから,農業神デメテルかその娘で冥界の女王かつ豊作の神であるペルセフォネであるとも言われますが,正義の女神アストラエアだという説が有力です。

 “星の女”という名を持つアストラエア(Astraea:astr=星の)は,ゼウスと秩序の女神テーミスの娘。
 昔,地上が平和だった頃,神々は人間と一緒に地上で暮らしていましたが,四季が生まれ,人間たちが食物を得るために働き争うようになると,神々は一人また一人と天上へ去ってゆきました。その中でアストラエアだけは人間の正義を信じ地上に留まりましたが,いよいよ醜い時代がやってくると,さすがの彼女も人間を見限り,慈悲の女神である妹アイドスと共に天上へ去って,その名の通り星になったのだといいます。アストラエアが善悪を計るために使った天秤は,てんびん座になっておとめ座の隣に輝いています。

 乙女の手に輝くこの星座唯一の輝星α(1.0等)は,ラテン語で“麦の穂”とう意味のスピカ。“Spic-”は“とげとげしいもの”という意味で麦の穂の尖った様子を表しており,靴やタイヤなどの“スパイク”と語源を同じくします。
 スピカは各国で固有名を付けられている星で,アラビアでは“武器を持たないもの”という意味のアシメク。コプト語では“孤独なもの”という意味のコリトス。これらは,近くに目立つ星がないために付いた名前のようです。ソグド語では“この星座の重要な点”と讃えるシャガール,ペルシャ,シリア,トルコでは各々“麦の穂”という意味のツシェ,シェベルタ,サルキムと呼ばれていたそうです。

 また,乙女の頭に輝くβ(3.6等)は,ザヴィヤヴァ又はザビジャーという名で呼ばれ,アラビア語で“片隅”という意味。何の片隅なのか長年謎とされてきましたが,古代アラビアではβ・η・γ・δ・εを繋いだ曲線が“吠える犬の隠れ家”を象るとされ,βはその“一角”だったのだそうです。このアラビア古星座の名残は,γ星の別名ザウイアト・アル・アウワム(吠える動物の区域)という名にも見ることができます。η(3.9等)のザニアという名も,βと同じく“片隅”というアラビア語が語源だといいます。
 β星にはアララフという別名がありますが,こちらもアラビアの名前で“二つの川”という意味。しし座β(2.1等)とおとめ座βが共に昇る頃,雨期がやってくるのだそうです。しし座βのアラビア星宿名をアル・サファといい,これがアララフの語源と考えられます。

 二重星として有名なγ(2.8等)にはポリマという名が知られていますが,これは女性に崇拝された予言と出産の女神の名前。ポリマはローマ土着のカルメンタという女神が持つ異称の一つだそうです。おとめ座の星に女神の名前ですから,元々おとめ座全体を表した名前がγの固有名になったことが想像できますね。

 δ(3.4等)にはミネラウバという名がありますが,これは『ベクヴァル星表』(1964)で紹介された名前のようで,詳細はわかりません。上述の“吠える犬の隠れ家”5星を呼ぶアラビア星宿名が語源と考えられ,βの名とする人もあると聞きます。  この星は,ユーフラテス流域では雄鹿又は王を意味するル・リム,インドでは湖を意味するアパスという名で呼ばれていました。

 おとめ座の中でαやγと共に目立つε(2.8等)は,葡萄収穫の頃の夜明け前に昇るため,古くから葡萄の収穫を知らせる重要な星とされ,固有名を持っていました。今日では“葡萄を摘む女”という意味のビンデミアトリクスという名で呼ばれています。
 Vindemiatrix の Vin は,英語のワインと語源が同じで,ラテン語の時代には,おとめ座全体を指して男性形の Vindemiator という名で呼ばれていました。中世以降になって,現在の女性形の名前に落ち着いたようです。この星は,ギリシアの天文詩人アラートスの『ファイノメナ』にも“果物収穫の先駆け”という名で登場しており,ワイン好きならぜひ憶えておきたい星名ですね。

 最後に,乙女の衣装の裾に輝くι(4.1等)を見てみましょう。
 暗く目立たない星ではありますが,この星はプトレマイオス以前の古い時代からシュルマという固有名を持っています。“ひきずる”というギリシア語が語源で,乙女がまとう長い衣装の裾を表しています。古くは,この星とκ(4.2等),φ(4.8等)の3星を呼ぶ名でしたが,1515年のラテン語訳のミスで,以降ιのみがこの名で呼ばれるようになりました。
 かすかな3星の並びから女神の衣擦れが聞こえてくるような,美しい名ではありませんか?

熊本県民天文台『星屑』2001年6月号掲載

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