群れるのは苦手

 子供の頃から今に至るまで,女性が苦手だ。いや,これはちょっと語弊があるか。一般的に女性の特質と言われる部分に私と相容れないものが多い。
 学校時代など,必ず決まった相手と一緒にトイレに行き教室を移動し下校するようなことはとてもできず,いつも一人で行動していた。かといって当時はそれほど強くなかったので,いつも一人でいるばかりに「変わり者」という冷たい視線を感じることも辛かった。どちらにしろ針のむしろ,生きていることが酷く不幸で,変わり者の自分を呪ったものだった。
 それからかなりの時間が経って年を取ったから,その時間だけ強くなった。今では仲間はずれなんて辛いと思わないが,誘いを断るのは相変わらず辛いし,かといって女性の集まりの中にいても何をしたらよいか分からず話題にも興味が持てないことが多く,ひどく居心地が悪い。

 しかし,世の女性は「女ばかり」で群れるのが好きらしい。
 「ガールズトーク」なんて言葉があるし,昨今は「女子会」なるものが盛んらしいが,何がそんなに良いのだろう? 女性同士ならではの気楽さがあるらしいのだが,女性が3人以上集まると,私は大抵の場合ダメだ。居心地悪いし,何だか興味が持てない話が多くて退屈で,ひたすら異分子の自分を感じながら時間をやり過ごすことになる。早く一人でどこかへ行きたくなって,時計ばかり見てしまう。
 別に私は人間嫌いではないのだ。人と話すのは好き。魅力を感じる人と一対一で話すのなら楽しいと思う。でも集まるのはダメ,群れるのは無理だ。
 女性ばかりで集まって世間話をするのが楽しい人たちが集まるのは文句ないが,女性である限りそういう集まりと完全に無縁でいられないのが世の中というもの。お願いだから私は呼ばないでと思うが,呼ばないのは悪いと思うのが女性なのだろう,たまたま呼ぶべきカテゴリーに含まれて呼ばれてしまう時など,困り果てる。断るのは心苦しいし苦労するが,そんな集まりは私にとって苦痛でしかない。

 以前,1週間の予定である講習会に参加したとき,私は昼休みにそれとは別の通信教育の勉強をする予定で,時間の使い方をきっちり決めていた。昼休みは一人で急いで食事を済ませ勉強にかかる予定だったのに,「一人で食事させては可哀相」と思ったらしき女性グループに声をかけられ,彼女らの善意故に断るに断れず,勉強に割くべき時間が興味のないお喋りに相づちをうつだけの時間に取って代わり,勉強のスケジュールに痛く支障を来した。善意は理解できるが,本当に放っておいて欲しかった。そんなときでも,彼女らの話を楽しいと思うことができれば気も紛れるのだが,如何せん,私には少しも興味が持てないことばかり。故にその時間は我慢大会と相成った。

 ガールズトーク(大人の女性同士の会話がどうして”ガールズ”トークなのか違和感で仕方がないが)に参加するより,私には勉強の方が比較にならないほど楽しいのだということをイヤと言うほど思い知って,その日以降,夏の暑い盛り,私は36℃を越える炎天下に駐車した自分の車の中で食事をし,そこで勉強をしてお昼を過ごした。車の中は40℃を越えているから本当に暑くて体力的にも参ったが,時間が勿体ないと悶々としながら興味のない話題に相づちを打って過ごすより,遙かに気楽で幸せだった。そんな私はたぶん変わっているのだろうが,物心がついた昔から,これが私なのだ。

 思えば「女性は電話が好き(長電話)」とか「女性は買い物が好き」に始まって,「バージンロードは女性の憧れ」なんてものに至るまで,とかく「女性は」と言われるものには不得意なものが多かった。世の中の「女性は」が偏った見解であることには違いないと思うが,傾向が皆無とも言えないだろう。そういうものに興味が持てない私に「女子会」だのが魅力的に思えないのは当然のことなのかも知れない。

 性別はどうでも良い。年齢もどうでもよい。話して楽しい人と話したい。
 例え性別が異なり年齢も離れていようとも,感性が共鳴する言葉を話す人と会話するのが楽しいし,話したいと思う時に話すのが楽しい。
 そして,好きな人と言葉を交わすのに実際に会ったり集まったりすることは,私にとって必須ではない。チャットとかメールとか,好きなときに好きな人と話せるツールが昨今の世の中には目白押しなのだ。私のような性格の人間にはあつらえたような時代の贈り物だと思う。
 お酒だって,高い飲み会代を払って煙草の煙に眉をひそめながらどこかの店で飲むよりも,自宅で寛いだ服装で,時間を気にせずPCを前に飲むのが好き。そしてtwitterなんかでたまたま会えた好きな人と乾杯したり話したりする。至福なひとときだ。

 たぶん,こんな文章を最後まで読んで下さるあなたは,twitterで飲み明かしたい相手なのかも? いつか偶然出会ったら,どうぞ宜しく,ね。

エリーさんの孤独