ホワイトライ

いいですか

ホワイトデーにお返しされる愛のほとんどは
ホワイトライ(善意のウソ)ですから!

相手の事を思いやった
悪気のないウソのことです

 絶望先生は言う。 (『さよなら絶望先生 第五集』より)

 まぁホワイトデーはどうでも良い。生まれてこの方バレンタインデーを無視し続けている私には関係のない話。ただタイムリーだったので引用してみた。

 できそうにもない人を励ますために「やればできる」と言ってみたり,似合いもしないのに「お似合いです」と言ってみたり,プレゼントをもらって迷惑だったけど「嬉しかった」と言ってみたりする善意の嘘。
 確かにある程度,ホワイトライなるものは必要だ。場を保つために必要なこともあれば,商売に必要なこともある。ほぼ100%が嘘だったとしても,それは人間関係の潤滑油。時と場合によってはマナーになるし,この潤滑油を意識せずとも上手く使いこなせることは生きていく上で重要なスキルだろう。

 しかし,しかしだ。ホワイトライの垂れ流しに心底イライラしている場面がある。
 報道を目的としたニュース番組,例えば19時から始まるNHKのニュース等で,事件や事故の被害者について友人や知人が語る「印象」や「思い出」など。実にイライラする。報道時間の無駄遣いだ。
 事故や事件に巻き込まれて人が亡くなり,周囲の人がそれを無念に思い,悼み悲しむのは当然のこと。死者にむち打つようなことはしないのが日本の文化だから,例え心の中で被害者のことを嫌っていた人であろうと,彼・彼女の美点だけに焦点を当て,またと現れないような素晴らしき人材を亡くしたかのように語る。通常の感性を備えた人ならテレビカメラに向かって被害者の悪口など語るはずないし,よもや語ったところで編集でカットされる。こういうインタビューは,まるで濾過された液体のように混じりけのないホワイトライだ。

 悪いが,そんなもの「報道」ではない。

 被害者の素晴らしき行いや性格が事件や事故に巻き込まれた原因であるなら話は別だが,そうでもない限り,お悔やみの一言がアナウンサーからあれば十分だろう。ホワイトライに使う時間があるなら,ぜひ他の報道に費やして頂きたい。
 もしどうしてもホワイトライの垂れ流しをやりたいというのであれば,ワイドショーが担当すべきだと思う。それなら文句はない。そもそもワイドショーとはそういったものなのだから。歴としたニュース番組でやる内容ではない。ワイドショー的要素でも織り交ぜないとニュース番組を見る視聴者などいなくなるだろうと人を馬鹿にしているのか,テレビ局は。

絶望した!