別れるのは苦手だ。人とも物とも過去とも。
いくら「出会うは別れの始め」が世の理であっても、
現実の別れを目前に少しも慰めにならない。
潔く別れを受け入れられないから、
一縷の希望を見いだそうと「またね」と言って現実から逃避する。
だが一方、
「さようなら」は日本の諦めの美学が結晶した美しい言葉であるとも思う。
そうならねばならぬのなら、左様ならば、別れよう。
長い間そうやって、日本人は自然の流れを受け入れ、
そこへ身をゆだねて暮らしてきたのだ。
英語話者なら、
good-by「神と共にあれ」と言って別れるところだろう。
八百万の神々がそこかしこに存す日本人にとって、
自然も衣食住も産業も何もかもが神々と一体。
神は共にあれと願う存在ではなく共にいる存在で、
出会いも別れも神々が宿る現象だったのだろうか。
ここ数ヶ月、たくさんの別れを立て続けに見送ってちょっと心が折れそうだった。
いま、窓の向こうは現実になった。