静寂の中で

 部屋の中で音楽もかけずに静かな時間が流れていた今朝,ふと思い出した。

 こんな時間が続くと,突然「ベリーちゃん」とベリーの声が聞こえたものだ。
 ベリーを見ると,だいたい目が合って,ベリーは私の顔を見ながら嬉しそうに片足を上げてにぎにぎ動作をする。そして「ピッピッピッピッ」と4回言い,続けて更に速く「ピピピピピピピ」と言い,更に《フニクリ・フニクラ》などを歌い出すのだった。

2019-05-20(月)08:17
2019-05-20(月)08:17

 あの,静寂の中の「ベリーちゃん」は何だったのだろう。
 静かでつまらないよ,静寂に耐えられないよということか,かまってちゃんだったのか?
 そんなときの「ベリーちゃん」の言い方はいつも同じだったし,目が合うととても嬉しそうだった。あの声を聞きたいなと切実に思う。

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11年前の今日の

 過去の同じ日付のベリーをNASのアルバムから探し出す。
 これは11年前の今日を過ごしたベリー。

 嬉しいときのベリーはいつも,こうして後ろ向きになって,得意気に振り返った。
 ちょっとしか写っていないけれど,足は嬉しい時や得意な時のにぎにぎポーズだったはず。

 ぶらさがっている布はベリーのお気に入りのおしゃぶりだった。
 はみはみしたり,何かの合図にちょっと囓ってみせたり,嬉しい時は背中に乗せて歌ったり,色々な用途で感情表現に使われていたお気に入りの布。

 ベリーが最後に使っていた布は,ベリーとお別れするときに一緒に持っていってもらった。大好きな布と一緒でベリーが安心して眠ってくれますようにって。

(2013-03-28 13:56:20)
(2013-03-28 13:56:20)

 ほんとうにとてもベリーっぽい写真。
 ベリーと会えなくなってもうすぐ1年9ヶ月になるけれど,未だやっぱり信じられないのだ。もう会えないってことが。オカメインコの存在は絶大で絶大で,彼がいなくなった空白は私自身が死ぬまで埋まることなく抱え続けていくものなのだと思う。

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音楽が好きだった

 ベリーがいなくなってからずっと辛くて出せなかったキーボード。
 1年9カ月ぶりに出してみた。

 このキーボードはソファーの下に仕舞われていて,ソファーの下からこれを引き出すとベリーはいつもちょっと怖がって止まり木の上を走り回っていた。大きな物がにゅっと出てくるのが怖かったのだと思う。
 でも弾き始めると喜んで音楽に合わせてピヨピヨ言っていた。

 特に好きだったのは《猫踏んじゃった》。
 これを弾き始めると,ベリーは音楽に合わせて「ピッピッピッピッ」と歌い出し,どんどんペースを上げて速く弾いていくと,楽しそうに曲に合わせ「ピピピピピッ!」と早口で歌い合わせていた。
 弾き終わるとベリーも歌い終わり,嬉しそうにこちらを見て片足を上げ,にぎっと指を結ぶ動作をする。

 たまらなく愛おしい時間だった。

(2024-03-06)
(2024-03-06)

 その思い出があまりにも強烈だったので,キーボードを見ることすら辛く,ずっとソファーの下で眠らせたままだったのだった。

 しかし,これではキーボードさんがあまりに不憫だ。
 何とか使ってあげたいと思ってようやく引っ張り出してみたが,やっぱ見ると辛くて,本当にめちゃ辛くて涙が出てきてどうしようもない。今もこれを書きながらどうしようもなく苦しい。涙が流れるだけ,ベリーを失った直後よりマシになったのだと思うけれど。あの時は涙の流し方すらわからなかった。
 ベリーの存在が大きすぎたから。

 ベリーとの楽しかった時間を思い出しながら穏やかな気持ちで弾ける日は来るのだろうか。
 でも,何とかこのキーボード使ってあげたい。

(2022-03-17)
(2022-03-17)

 ベリーを見送るために歌った讃美歌だけは,バイオリンで弾くことができている。
 讃美歌を弾いてみると良いのかもしれない…。

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