平和会ペットメモリアルパーク

 9月22日,ベリーの誕生日(25日)にも近くお彼岸でもあったので,ベリーが埋葬された川崎市の平和会ペットメモリアルパークまでお墓参りに行ってみた。

 東急田園都市線のたまプラーザ駅からバスに乗って15分ほど。

 延命地蔵尊バス停で下車。
 延命地蔵尊というのはメモリアルパークの中にある,ペットの延命を願うお地蔵様のようだった。

平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)
平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)

 同じバス停で降りた人たちはみんなここへ向かうようで,皆さんについていった。
 ここが入り口のようだ。

 お彼岸ということで,「秋のお彼岸供養」をやっているようだ。

平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)
平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)

 園内マップを見ると,ベリーが埋葬されたのは動物慰霊碑のところらしい。下記のような案内があった。

 「各清掃事務所にご依頼された方のお参りは、こちらです」

平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)
平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)

 園内に入って歩いてみる。
 入り口近くには供養のための品々を売っている売店と事務所があった。

平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)
平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)


 園内はとても綺麗に整備されていた。
 こざっぱりとした休憩所も準備されている。

平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)
平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)


 何となく園内を歩いて一番高いところまで上ってみた。
 季節柄ヒガンバナが咲いていてお墓らしいと言うかお彼岸らしいと言うか,風情があった。

平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)
平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)


 上り詰めたところからの眺望。
 なかなか良い景色ではないか。

平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)
平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)


 お墓参りに必要な水など自由に使えるように整備されていた。
 凄く整った施設だ。

平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)
平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)


 一番上の一角は,最近の合同墓地になっていた。
 令和3年までの墓碑があり,令和4年は場所だけ確保されている感じ。

平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)
平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)


 園内の方も見てみる。
 随分と広くて,様々な種類のお墓があるようだ。下の方には共同墓地ではなく個別のお墓になっている。

平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)
平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)


 このメモリアルパークの一番高い場所で,連れてきたお人形と,ベリーの冠羽が入った小瓶を並べて記念撮影。

平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)
平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)

 ベリーが埋葬されている動物慰霊碑も,この場所からよく見えた。
 そんなに広い場所ではないのだが,ずっと人が集まっていて動く気配がない。私達も行きたいのだが困ったなぁと思いつつ20分くらい待ったが,場所を空けてもらえそうになかったので,諦めて行ってみることにした。

平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)
平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)

 この階段を上ったところだ。

平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)
平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)


 ここだ。
 ベリー,来たよ。

平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)
平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)

 相変わらず,ずっと慰霊碑の前は,そこにずっとたむろしている人たちに占領されており,随分待ったのに場所を空けてくれる気もなさそう。
 私達は慰霊碑をこの角度から見るのがせいいっぱいだった。
 遠くから時間をかけて来たというのに…。

 ペットとの思い出に浸りたい気持ちはわかるけれど,みんな同じ。遠くから来ているのもみんな同じ。
 公共の場所だし,狭いのだし,もう少し他人のことも考えてくれないかしらと思った。

 この写真だけ撮って,帰るしかなかった。

平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)
平和会ペットメモリアルパーク(2022-09-22)

 ベリーの誕生日だと思って来たけれど,お彼岸だったのもタイミングが悪かったかな。
 何だかとても残念だった。せめて正面からベリーのお墓を見たかった。

 でもベリーはお墓の中になんかいないのだよね。
 それも分かっている。

 「千の風になって」という歌があるけれど,あの歌の歌詞にある通りだと思う。
 ベリーはお墓の中になんていない。
 風になって私の周りを飛んでいる。

 ね,ベリー。
 今日も一緒に過ごすよ。一瞬も忘れてないよ。

(2021-05-21)
(2021-05-21)
にほんブログ村 鳥ブログ 鳥 思い出・ペットロスへ
にほんブログ村 鳥ブログ オカメインコへ
にほんブログ村

白い毛が

 今朝。
 洗面所の鏡の前を小さな白いものがフワフワと飛んでいた。
 懐かしい光景だ。
 ベリー,まだいたのね。

 今朝箪笥から出して着たのは,この秋初めての冬用Tシャツ。
 きっとこの服にベリーのダウンがくっついていたのだ。

 空中の毛をそっと指で確保し,ベリーの毛を集めた壜に収納した。

(2020-10-21)
(2020-10-21)
(2020-08-07)
(2020-08-07)
(2019-05-28)
(2019-05-28)

 ベリーの毛はどこにでもついてきたものだった。
 一度など,羽田から飛行機に乗って席に座ったら,目の前をベリーの毛が飛んでいた。

 こうして,ふとした瞬間にベリーの名残と会える機会も,季節が一巡する来年にはなくなってしまうのだろうな。

 寂しいなあ。

にほんブログ村 鳥ブログ 鳥 思い出・ペットロスへ
にほんブログ村 鳥ブログ オカメインコへ
にほんブログ村

辛い時は感受性が高くなる

 ベリーが去ってから,思考の海に漂って過ごすことが多くなった。
 心をつなぎ止めていた岸を失って,再び這い上がれる場所を探していたのかも知れない。

 そのために必要なことは文学作品を読むことだった。
 先人の知恵や言葉が必要だった。

 久しぶりに色々な作品を読んだ。
 若い頃とは違った心と知識を持って読む文学の世界は,確かに以前より大きく思考に関与し感情に寄り添ってくれた。


移動祝祭日

 「ベリーは私達の移動祝祭日なのだ」と,ある日思った。
 ヘミングウェイの『移動祝祭日』の冒頭に書かれた言葉が記憶に残っていて,それを思い出したのだった。

もしきみが幸運にも青年時代にパリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過そうともパリはきみについてまわる。
なぜならパリは移動祝祭日だからだ。

移動祝祭日』ヘミングウェイ, 福田陸太郎訳


 ベリーは楽しく賑やかで刺激的で愛情細やかで,彼がいた日々は私にとって毎日が人生のお祭りだった。私がこの後どこでどんな人生を過ごそうとも,ベリーは必ずや私の心の中に住んでいる。ベリーはいつも一緒にいるだろう。
 だから,ベリーは私の移動祝祭日なのだ。

(2021-05-21)
(2021-05-21)

 ヘミングウェイが,晩年,死の直前になって若かった頃を思い出して作品。
 そう思って読むと,この先の私の人生の中でのベリーの存在についてヒントが得られる気がした。


土佐日記

 高校の古典の授業以来ずっとご無沙汰で,名前すら記憶の底に沈んでいた紀貫之。彼に,突然シンパシーを抱く日が来ようとは。

 土佐での国司の仕事を終え,帰京の旅の日々を書いた『土佐日記』。
 日本最初の紀行文学とか,かなの散文で綴られた最初の日記とか,そんな話は私にとって単なる知識。心に響いたのは,土佐へ向かう旅では元気だった娘が,京都への帰路の旅では一緒にいない。『土佐日記』が,そのやるせなさを発露する日記であるということだ。

都へと思ふをものの悲しきは帰らぬ人のあればなりけり
有るものと忘れつつ猶亡き人を何処と問ふぞ悲しかりける

『土佐日記』紀貫之



 娘がもういないことなど信じたくない。なのに,ふとした瞬間に,どうしてもその事実に気がついてしまう。そんな瞬間の,どうしようもない喪失感と悲しさが心に染みる。
 これは今の私の姿であり,そして数年後の私の姿だ…。

 この家に引っ越して来た時には元気だったベリー。この家をとても気に入ったベリー。
 この家から去る時に,私はきっとこの和歌を思い出す。
 越してきたのは夏の暑い日だった。暑さと疲れで気を失いそうになりながら,重いケージを抱えて歩いた。ベンチでベリーと一緒に一休みした。新しい家に着くと,ベリーはすぐに理解して寛ぎ,毛繕いを始めた。なのに,この家から去る時ベリーはいないのだ。

 ここがベリーの終焉の地になる可能性が非常に高いとは,引っ越して来た時からわかっていた。なので,引っ越して来た時のベリーのことをよく覚えている。
 そして,ベリーと共に住んだ4軒の家の中で,この家がベリーの一番のお気に入りの家になり,ベリーはここで本当に楽しそうに毎日を過ごしていた。
 この家から去る時,どんなにか悲しい気持ちになることだろう。

 1000年前も今も,人は喪失の悲しみと向き合って生きていく。人によってはこうして言葉を紡いで悲しみと向き合うのだ。

(2018-07-15)
(2018-07-15)
(2018-07-20)
(2018-07-20)

伊勢物語

遂にゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを

『伊勢物語』在原業平


 伊勢物語の最終段に書かれ,古今集にも収録されているこの和歌は,ベリーとの別れの時そのものを詠んだ歌に思われ染み入った。
 前日まで,その日の直前まで,いつもと同じ平穏な時間を過ごしていた。ベリーとの別れはいつか来るとは知っていながら,それは「いつかゆく道」であって,今日のことだとは夢にも思わず当日を迎えた。

 あぁでもやって来るのだ。遂にゆく道が。

(2022-06-25 09:25)
(2022-06-25 09:25)

 ね,ベリー。思いもしなかったよ。
 この写真を撮った時,5日後があなたとの永遠の別れの日になるなんて。

にほんブログ村 鳥ブログ 鳥 思い出・ペットロスへ
にほんブログ村 鳥ブログ オカメインコへ
にほんブログ村