夢で会えた

 ベリーの一周忌だった7月1日〜7月2日の夜,ベリーが逝って初めてベリーが夢に出てきてくれた。楽しそうに歩き回って遊んでいて,幸せな夢だった。

 この一年,ベリーではない他のオカメインコや他の種類のインコや鳥が夢に出てきたことは何度もあった。実に度々あった。だけど,ベリーは一度も出てこなかったのだった。
 たぶん,私の心がベリーがいないことを受け入れるために必死だったからだろう。

 ベリーはいない。ベリーはいない。もう二度とベリーには会えない。
 常に自分に言い聞かせていた。だから夢に生きているベリーが出てくることもなかったのだと思う。

 一年経った日に初めて出てきてくれたのは,一つの区切りを心が認識したのかもしれない。
 天国のベリーはその日を待って夢の中に会いに来てくれたのかもしれない。

 目が覚めて,とても嬉しくてとても悲しくてとても切なかったのだった。

(2019-05-29)
(2019-05-29)
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半夏雨が降る一年目

 あの暑かった日。
 黄色い太陽が容赦ない日差しを投げかけ,朝日の中でベリーが金色に輝いた朝。

 突然ベリーが苦しみ始め,あっというまに逝ってしまった悪夢のようだった日。
 2022年7月1日から一年が過ぎた。

 多分私はほぼ一瞬もベリーを忘れずに一年を過ごしたと思う。ベリーがいないことが常に喉に引っかかっているようだった。

 大袈裟なようだが,私の生活は常にベリーが中心だったのだ。
 今やっている○○が終わったらベリーのところへ帰る。ベリーの顔を見に行く。ベリーに話しかける。いつも今やっていることのあとにベリーがいた。ベリーの為に「今」を過ごしていた。どんな「今」もそうだった。
 ベリーがいなくなって,心が帰る場所を失って宙ぶらりんになってしまったのだ。

 行き先を失った心が痛むから,ベリーがいない事実と常に向き合うことになっていた。
 でも悲しみとの付き合い方は少しずつ学んだと思う。

(2022-06-20 06:45)
(2022-06-20 06:45)
(2022-06-28 06:44)
(2022-06-28 06:44)
(2022-06-25 09:25)
(2022-06-25 09:25)

 会いたいなぁ。ベリー,会いたいな。
 何という大きな存在だったことだろう。
 オカメインコとは何と大きな存在になり得るのだろう。
 日々,ベリーと過ごした19年の時を振り返って過ごしている。

 毎年7月1日〜2日に地球は半夏生を迎える。
 ベリーの魂が逝ってしまった7月1日と,ベリーの身体とお別れした7月2日。
 ベリーの命日は半夏忌と呼ぼう。

(2021-05-21)
(2021-05-21)
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一緒にお出かけ

 昨日は私の誕生日。
 去年の誕生日には1週間後にベリーとの別れが来るなど思いもせずにベリーの写真を撮ったりしていたのだったと,1年前に撮った写真を思い出していた。

(2022-06-24 07:31)
(2022-06-24 07:31)
(2022-06-24 07:31)
(2022-06-24 07:31)

 ベリーがいた頃はほとんどお出かけもしなかったので,昨日はベリーの冠羽を連れてお食事に行ってきた。

ベリーとお出かけ(2023-06-24)
ベリーとお出かけ(2023-06-24)
ベリーとお出かけ(2023-06-24)
ベリーとお出かけ(2023-06-24)

 最近,マンションの入り口にヤマモモの木があって,この季節はたわわに実が生っていて下に落ちていることに気がついた。木は去年も一昨年もその前もずっとあったのに,何故私は今年まで気づかずにいたのだろう?

 去年まではベリーがいたからだ,と思う。
 エントランスまで帰ってくると,一刻も早くベリーに会いたくて,周囲の風景に注意を払うこともなく急いでマンションに入り家に直行していたのだと思う。それくらいベリーとの時間を大切にしていたし,ベリーを可愛がっていたのだった。

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