カレンダーのパンチ

 2022年7月4日。
 ベリーがいない3回目の朝がきた。

 早朝の静かすぎる部屋で,カレンダーを見つめた。

 このカレンダーを貼ったとき,まさか2022年の後半はベリーがいなくなるなんて想像もしていなかった。

 ふとみると,カレンダーの下の方に,ベリーが嘴でパンチを入れた跡がたくさん。
 あぁベリーが生きた証だ。
 私達の目を盗んでここでパンチを入れながら,ベリーはさぞかし楽しかったことだろう。目に浮かぶようだ。

 新しい物を見つけるとすぐに嬉々としてパンチを入れにやってきたベリー。
 「こら!」って言われることを含めて彼は楽しんでいた。

 あぁもうそれも見られないし,パンチを入れられることもないのだ。
 たまらなく寂しく,ベリーが生きていた1月とベリーがいなくなった7月が並んだカレンダーが悲しかった。

ベリーがパンチを入れた今年のカレンダー(2022-07-04 06:17)
ベリーがパンチを入れた今年のカレンダー(2022-07-04 06:17)

 今年の元日。
 2022年もベリーがいて,新しいカレンダーの前にいるベリーを撮れたことを喜んだ。なのに,これが新しいカレンダーの前でベリーを撮る最後になってしまったのだ。

 カレンダーの前にベリーがいるのを見つけると,その年にベリーが一緒であった記念に写真を撮るようにしていたのだった。

(2022-01-01)
(2022-01-01)
(2018-06-19)
(2018-06-19)
(2017-12-27)
(2017-12-27)

 何をしても頭の中はベリーでいっぱい。
 一瞬もベリーを忘れて過ごすことができない。苦しすぎた。
 なぜあんなことが起こってしまったのか。
 私がもっと上手に的確に行動すればベリーを救えたのではないか。
 いや,そもそも私の世話が良くなかったから,ベリーは某かの問題を抱えていたのではないだろうか。

 自分を責める材料なら事欠かない。
 ベリーにもう会えないという現実に加え,自分を責めることまでしてしまうため,心はボロボロ。何をしても楽しい気持ちになれそうにないし,楽しい気持ちになれる日が来る自信もない。

 私が悲しそうにしているとベリーはいつも心配してくれた。きっとベリーは最期まで私を信頼してくれていたはずだ。そう思ってみても,とても気持ちは晴れなかった。


ベリーを忍んで飾ろう(2022-07-04 09:16)
ベリーを忍んで飾ろう(2022-07-04 09:16)

 いなくなったベリーの代わりにベリーの思い出を飾ろう。

 ベリーと一緒に過ごした羊毛フェルトのオカメインコを,先月作ったばかりのお人形に抱かせた。ベリーが生きている時間に作った最後のお人形になってしまった。お人形が出来上がった時に,もっとちゃんとベリーに見せてあげれば良かった。ベリーに見せた写真を撮っておけばよかったと,またしても後悔がつのる。ベリーは私がこのお人形の顔を描くところをずっと見ていた筈なのに。

おやつを食べるベリー(2018-02-02,14歳)
おやつを食べるベリー(2018-02-02,14歳)
羊毛フェルトのオカメとベリー(2018-12-29,15歳)
羊毛フェルトのオカメとベリー(2018-12-29,15歳)

 ベリーは新しい物を見せてもらうのが大好きなオカメインコだった。
 新しいお人形が来る度に見に来たし,宅配便で荷物が届けば,中身を見せろとギャーギャー言ってケージの端にへばりついて私の目を見て訴えていたものだ。

 母が送ってくれた新しいクリスマス飾りも,わざわざケージから出てきて熱心に眺めていた。

クリスマス飾りを熱心に眺めるベリー(2018-12-07,15歳)
クリスマス飾りを熱心に眺めるベリー(2018-12-07,15歳)

 まだまだベリーに見せたい新しい物はいくらでもあったのに。
 あぁこの先私が生きている限り,新しい物を買う度にベリーに見せたかったと思うのだろう。


 この日の私にできたのは,昔の写真を眺めてベリーを思い,くよくよすることだけだった。
 ベリーは戻らないのだから,色々片付けなければならないのは分かっていたが,辛すぎて無理だった。

 ピヨと答える声を聞けないのは分かっていても,一日中ベリーの名前を呼んでいた。
 ベリーがいた時と同じように,ことある毎にベリーを呼び続けていた。


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悲しみが届いた日

静寂が染み渡る部屋

 2022年7月3日。
 ベリーの気配が消えた静かすぎる家の中で迎えた2回目の朝。

 ベリーのケージに向かって話しかける。
 ベリーのことを忘れるなんて無理だから,今まで通り,概念になったベリーに話しかける。
 「ベリっちゃんおはよ」

 何故いないの?
 心に鋭い痛みが走る。

 居たたまれず,朝食を食べ終わったベリーが毎朝必ず寛いでいた場所にオカメインコのフィギュアを置いた。
 ベリーベリーベリーどうして? あんなにもここが好きだったのに,毎朝ここにいたのに,どうしてここにいないの? ねぇ理解できない。信じられないよ。何故急に逝ってしまったの? 何であんなことが起こらなければならなかったの!?

ベリーがいた場所(2022-07-03 07:06)
ベリーがいた場所(2022-07-03 07:06)
(2022-06-23 07:21)
(2022-06-23 07:21)

 ベリーがいたら聞こえる筈の毛繕いの音や嘴のギシギシいう音,音楽に合わせて静かに出すピヨという声。
 それらが消えた静寂が私を包む。

 そうしてこの朝,私は初めて泣くことができた。

 このお人形に寄り添っているベリーがいない。あの可愛いベリーに,あの元気で賢くてお茶目なベリーにもう二度と会えない。
 分かりたくなかった事実がとうとう心に届いてしまった。

 しばらく声を出して泣いた。この2日間凍結されていた涙がようやく沢山流れ出た。

 ベリーは私の一部だった。ベリーは私達の家族だった。ベリーを中心に輪になって過ごしていたのが我が家だった。ベリーは毎日24時間家にして,私達を待っていてくれた。ベリーほど重要な存在は無かった。
 私達はオカメインコを飼っていたんじゃない,ベリーを飼っていたんじゃない,ベリーと暮らしていた。その大きな大きな存在だった家族が突然欠けてしまったのだ。
 心臓が握りつぶされるように痛い。

 沢山泣けばベリーが帰ってきてくれるならどれだけでも泣くのに!
 でももう私がどれほどベリーを愛していたかをベリーに届けることはできない。3日前なら何の支障もなくできたことだったのに!


思い出集め

 ケージの上にはベリーが少しずつ囓って楽しんでいたキムワイプの箱が乗ったままだ。
 ベリーはこの箱に寄り添って居眠りをしたり,この箱を引きずり出してケージから落とそうとしたり,破って楽しんだりしていた。1個目の箱がボロボロになったので,新しく空いた箱を見せて「ベリー要る?」と尋ねたら「ピヨ!」(要る!)と元気よく答えたので,2個の箱が二重になって置かれていた。

 ベリーが囓ったり寄り添ったりしていたというだけで,このボロボロの箱は私にとって宝だった。

ベリーが長く遊んだキムワイプの箱(2022-07-03 14:34)
ベリーが長く遊んだキムワイプの箱(2022-07-03 14:34)

 私はこの箱の一部,ベリーが破った跡がいっぱいついている場所を切り取って,台所から探してきた調味料の空き瓶に入れた。

 ベリーが生きた証である痕跡は,しばらくしたら家の中から消えてしまうだろう。
 今のうちに,いまそれが残っているうちに,出来うる限りたくさん集めておこう。

 他人にはゴミにしか見えないベリーが噛みちぎって作った木屑や紙くず,ベリーが毛繕いの時に散らしたフケもダウンも,見つけたら片っ端からこの瓶に入れてベリーの最後の思い出として手元に置いておこう。

 気分を紛らわすために,何かやることが必要だった。

ベリーが遊んだ玩具とベリーのダウン(2022-07-03 14:35)
ベリーが遊んだ玩具とベリーのダウン(2022-07-03 14:35)

 ケージの中,ベリーの玩具にダウンがくっついているのを発見!
 さっそくこれもピンセットで回収し,瓶に入れたのだった。


ベリーの御守り

 ベリーのケージには御守りをつけていた。
 地震を怖がるベリーのために,鹿島神宮から地震用の御守り。
 そして江島神社のペット用御守り。

ベリーの御守り(2022-07-03 14:34)
ベリーの御守り(2022-07-03 14:34)

 今までベリーを守って下さってありがとうございました。
 御守りにお礼を言ってケージから外す。ペット守りはそのうち江島神社に返納に行こう。それまでは地震守りと一緒にこのまま私のPCデスクを守ってもらおう。

 二度とベリーは帰って来ないのにベリーの物をそのまま置いておくのは良くないだろうと思うが,この日できたのはこれだけだった。

 ベリーが使った物たちをこれから片付けていかなければならないのだ。
 それは途方もなく辛い作業と思われた。

 今は無理。今は無理だ。
 少しずつ,少しずつ心を整えながらやっていこう。

 ベリーは今も一緒。いつまでも一緒。
 私が生きている限りベリーは心の中に住んでいるし,もし魂があるのなら,この部屋に戻ってきていつも通り過ごしていることだろう。

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見送りの日

静寂の朝

 2022年7月2日。
 ひたすら胸が苦しく眠れない夜が明けた。薄明の中で野鳥たちの囀りが聞こえ始めるまで,私は一晩中ベリーのことを考え続けていた。隣の部屋でベリーが眠っていないことを受け入れることは,とてつもなく不可能と思われた。考えても考えなくても押し寄せる耐えがたい苦しさに抗う方法が分からなかった。
 未来永劫ベリーがいない世界に自分が存在しているという,耐えがたい精神的苦痛に苛まされ続ける夜だった。

 ベリーのケージは私が眠るベッドから3mも離れていない場所にあって,夜中にトイレに起きると,よく「ポトン」とベリーがフンを落とす音が聞こえたり,「ア」とベリーが短く声をかけてくれたりしたものだ。そんな気配が全て消えてしまった。
 夜が明けても「おはよう」を言うベリーがいないのに,起き上がって寝室を出る意味があるのだろうか。ベリーがいないケージに朝日が差し込む光景を見て正気でいられるのだろうか。
 あぁ私は何か決定的に間違って,ベリーはそのせいで逝ってしまったのではないか?? 自分を責める理由ばかり次々と思い付き,一晩中治まらぬ動悸に胸が痛み続けた。そして相変わらず涙は一滴も流れてこないのだった。

 カーテンを開ける。
 低空に雲があるせいか,奇しくも昨日と同時刻に日の出が見られた。
 昨日は新しい一日が始まる清々しい日の出だったのに,今日の太陽にはベリーが1日分遠ざかってゆくという悲しみがあるだけだった。
 24時間前に日の出を撮った時,ベリーは生きていた。元気だった。まさか数時間後に逝ってしまうだなんて想像もしなかった。

日の出(2022-07-02 04:33)
日の出(2022-07-02 04:33)


 もう覆い布をとって起こしてあげる必要もなくなった,静かな空っぽのケージを見る。昨日の朝はここにベリーがいた。昨日のままのケージ。

24時間前は元気なベリーがいたケージ(2022-07-02 07:24)
24時間前は元気なベリーがいたケージ(2022-07-02 07:24)

 信じられない。信じられない。信じられない。
 19年近くもここにいたベリーが,何故いないの? 24時間前は元気に朝ご飯を食べていたベリーが,何故突然いなくなってしまったの。何故昨日ベリーにあんな出来事が起こったの。

 キリキリと胸が痛む。
 あまりのことに私の心は涙にもたどり着けない。高鳴り続ける心臓が,ただひたすら非常事態を告げ続けていた。

ベリーが毎日囓るのを日課にしていた木箱(2022-07-02 07:24)
ベリーが日課で囓っていた木箱(2022-07-02 07:24)

 ベリーが使っていた物たちがまだそのままになっている室内を見渡し,一つ一つを愛おしく眺める。これは朝食の後や午後の寛ぎの時間にベリーが日課のように囓っていた木箱。私のPCデスクの横の棚の上に置いてあり,私の机の上には,いつもここから落ちてくる木屑がたくさん落ちていた。
 この木箱は,10年くらい前のお正月にとったお節の重箱で,ベリーは長い時間をかけてここまで破壊したのだ。木箱の縁のベリーの嘴の跡すべてが愛おしかった。

ベリーが最後まで楽しく遊んでいた玩具たち(2022-07-02 07:25)
ベリーが最後まで楽しく遊んでいた玩具たち(2022-07-02 07:25)

 ケージの上の棚には,昨日ケージから取り外した,ベリーが最後まで遊んでいた玩具たちが並んでいた。

 革に紙紐をつけた玩具は数年前に買ってあげたもの。長く伸びていた紐はあっというまに噛みちぎられてなくなって興味をなくしていたが,最近になって革の部分を噛んでほぐすことを思い付いたようで再び遊ぶようになっていた。

 ピンクの布と茶色い紐は,いつもセットでケージの天井から釣り下げられていた。
 ピンクの布は嬉しい時に足で掴んだり,歌う時に頭や背中に乗せたり,おやすみの挨拶の時に嘴で掴んで動かしたりして使っていたお気に入り。何年も使っていた。私がこの布を揺らすとベリーは歌い出し,夫がこの布を揺らすと茶色い紐で綱引きをを始めるのが常だった。夫が揺らしても歌わないし,私が揺らすと綱引きをしてくれない。ベリーは誰と何して遊ぶか決めていた。

 白と灰色の紐はほぐし遊び用で,ピンクのミニマンチボールも毎日破壊して楽しんでいた。マンチボールは私の妹からベリーへのプレゼントで,まだ新しいのが数個残っている。なのにベリーは逝ってしまうの…?

 どの玩具と遊んでいたのもつい昨日や一昨日のことなのに,もう二度とベリーがこれらを使う姿は見られないのだ。どうして信じられようか。
 何故? 1日前は普通に元気だったのにありえない。本当にどうしたって信じられない。そんなことがあって良いはずがない…。

 どうすればベリーという存在がこの世から消えたことを受け入れられるのか,私は分からなかった。


永遠の見送り

 心がいくら理解を拒んでも,この日はベリーの亡骸に別れを告げなければならなかった。
 個性の塊だったベリーの意識が去ってしまった,しかし変わらず可愛らしく愛おしくてたまらないベリーの亡骸。ベリーの心がいた場所を,きちんと見送ってあげなければならない。
 彼を迎えた日に決まった私達の最後の義務でもある。

 ペットの火葬を引き受けてくれる区の清掃局に電話をしてみると,この日は土曜日だったがやっていた。お昼の時間帯を避けて16時くらいまでに来て欲しいということで,12時45分くらい行くことになった。
 料金の中に遺体の引き取り出張も含まれているのか,戸口まで引き取りに来てもらうのが普通なのか,何度も「引き取りに行かなくて良いのですか」と確認されたが断った。確かにオカメインコなら自家用車を持たない都心の住民でも運べるが,犬や猫だったら難しいだろう。

 引き取りに来ていただいて玄関口でベリーを見送るのは何だか違う気がしたし,自分たちで事務所までベリーを連れて行ってお別れしたかった。この家からベリーが出て最後の場所に辿り着くまで,出来る限り一緒にいたかったし,ベリーがまずどんな施設に引き取られるのかも知っておきたかった。


 ベリーはしっかりと自尊心を持った誇り高いオカメインコだったのだから,精一杯の哀悼と敬意をこめて見送ろう。

 私は眠れない夜の間にベリーのためのセレモニーを考えた。
 簡単にではあるが,歌が好きだったベリーのために讃美歌を歌い,聖書を読んで神様にお祈りし,この家から,私達の元からベリーを送り出そう。

 家を出る時刻から逆算し,終わったらすぐに出発できるタイミングでセレモニーを始めた。

 テーブルの上にタオルを敷いて,ベリーの亡骸を中央に置き,周辺に昨日ベリーが食べる予定だったシードのお皿,ベリーが愛用したピンクの布と茶色い紐,毎日囓ったカトルボーンと囓りかけのピンクのミニマンチボールを配置した。毎日ベリーが寄り添っていた加藤恵ドールも連れてきて列席させた。

 そして蝋燭に火を灯し,取り急ぎ作った式次第に沿ってセレモニーを行った。
 讃美歌は私がふさわしいと思った歌,聖書はどこがふさわしいかわからなかったので,思い付いた箇所。

 私はベリーのために式次第に沿って歌い読み祈った。未だ泣けるほど心が熟していなかったので,思いのほかきちんと歌い祈ることができた。泣いてボロボロにならずにセレモニーを行えたことは幸いだったのかもしれない。
 歌が大好きだったベリーの魂がその場にいたならば,きっと足をにぎにぎしながら一緒に歌ってくれていただろう。

 普段の私はセレモニーなどあまり重視しない。
 でもこの時だけは,セレモニーが心の区切りをつけるために如何に意味がある行為であるかよくわかった。

 セレモニーは,跳び箱の前に置かれたロイター板のように,心を次のステップへ運ぶ手助けをしてくれる。これを行うことで,否が応でもベリーを送り出し見送る決意が生まれたような気がしたのだった。


よく晴れた暑い7月の午後

 セレモニーが終わると,とうとうベリーの亡骸の見納めだった。
 可愛いベリー。美しいベリー。愛して止まないベリー。19年近く共に過ごしたベリーが永遠に視界から消える。

 くよくよしていては切りが無いので,できるだけ心を空っぽにして淡々とベリーの旅立ちの準備をした。
 布で包むのはOKということだったので,セレモニーの時にベリーを横たえていたタオルにベリーの体をくるむ。いつもベリーのために使ってきたタオルだった。そしてタオルの両端を,私達とベリーが数知れぬほど一緒に楽しんだピンクの布と茶色い紐で結わえた。

 この布と紐が一緒ならベリーは安心するだろう。
 ベリーちゃん,最後まで大好きな布と紐が一緒で良かったね!


 ベリーを連れて外へ出ると,前日と同じ暑い暑い7月の日差しが明るく照りつけていた。
 ベリーの亡骸を引き取ってくれる区の清掃事務所は地下鉄の駅から少々遠く,駅から歩く間,少しだけ猶予をもらった気がしたが,とうとう清掃事務所が見えてきた。

 如何にも公務を行う質素な建物で,中に入るとすぐに電話で連絡をとった職員さんが出てきて,二人がかりで対応して下さった。

 火葬の日まで黒い袋に入れて冷凍されること。次回の火葬は7月5日火曜日になること。
 それらを承諾して料金を支払うと,領収書と共に埋葬される霊園のパンフレットを下さった。

 職員さんたちの対応がたいへん心のこもったものだったので,随分と慰められたし,ベリーをここに託すことにして良かったと思えた。
 このような公共サービスがあることを知らなかったが,感謝したいと思う。

都内清掃事務所にご依頼された方 | 【公式】ペット火葬・葬儀・霊園なら横浜市の平和会ペットメモリアルパーク

 ベリーが埋葬される霊園は川崎市にあり,東京都の動物園の動物たちも供養されている施設であるとのことだ。
 まさかベリーが一人で川崎市に行くとは夢にも思わなかった。
 園内を散歩できるようなので,そのうち行ってみようと思う。


また会う日まで

 全てが終わり,区の清掃事務所を出た。
 信じられないけれど,ベリーの体も私達から去ってしまった。

 さっきベリーのために歌った讃美歌の一節が頭の中に流れる。いつかあの世でまた会う日まで,どうか神様がベリーの魂を守ってくださいますように。

 明るい7月の空に向かって声に出して言った。
 「ベリー,いつか分子になってまた会おう。」

 ベリーも私も酸素と炭素と水素と窒素でできている。いつか地球の循環の中で,私を作っていた元素とベリーを作っていた元素が出会って何かの分子を作るかもしれない。水になったりアミノ酸になったり核酸になったりして。私もベリーも認識できないだろうけれど,それはベリーとの再会の一つの形だ。

 そもそも私もベリーも地球もみんな,どこかの恒星が作ってくれた元素でできているし,いつかまた宇宙を漂う星間物質になる。
 どんな形でもいいからまた会いたい。会いたいな。
 ね,ベリー。


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