朝起きた瞬間から,「今日は7月1日だ」と思う。
あの日と同じ角度で陽光が部屋に差し込む。
いまこれを書いている10時20分頃,3年前は駅へ急いでいた。

苦しかったねベリー。
最後の瞬間,できれば掌で包んでいてあげたかった。
今も都営新宿線の神保町駅のホームに降り立つと,2022年7月1日のことが鮮明に蘇る。
神保町に着いたとき,ベリーはまだ生きていた。そして都営新宿線の座席の上,私の膝の上のケージの中でベリーは息を引き取った。帰りの電車で神保町駅に降り立ったとき,私はベリーの亡骸が入ったケージを抱え,抜け殻のように自分自身が他人事だった。
都営新宿線の神保町駅の本の壁紙は,私の中でベリーと繋がる通路の一つになった。

遺品を片付けたこと,家中に落ちているベリーの羽毛を必死で集めたこと,そんな日々は今も苦しくて思い出せない。今も一日に何度もベリーを呼んで一緒に過ごしている。
ベリーがいなくなって自分がとても軽くなったような気がしたけれど,それはベリーの存在が如何に重かったかということを示している。
7月1日はベリーの日。
だけど,本当のことを言って一年中がベリーの日なのだ。今でもそうだから,たぶん私が死ぬまでそうなのだろうと思う。
ベリーベリーベリー。
あなたは凄いね。いなくなって3年経っても変わらず存在しているなんて。
7月1日だから,いつもよりもっともっとベリーを思い出して過ごすだろう。
ベリー,2022年のように今年の7月1日は暑いんだよ。


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