ケージさんありがとう

 ずっと逃げてきた。
 けれど,そろそろちゃんとベリーのケージを片付けなければならない。

 だが,ケージとお別れすると思うと,ベリーの記憶が次々と頭の中に流れ出す。

 ケージの上で箱を囓って楽しそうにしていたベリー。
 ケージの上ですっかり寛いで眠ったり毛繕いをしていたベリー。
 ケージの扉に上って得意げだったベリー。
 カンカンカンと音を立てながらケージの壁を移動するベリー。
 美味しそうにご飯を食べたり水を飲んだりするベリー。

 ケージに抱きついておいおいと泣いてしまった。

 ベリーベリーベリー。
 ここが大好きだったじゃないの。
 いつもここで遊んでたじゃないの。
 何でいないの?何で?
 ベリーどこへ行ったの?
 どこにいるの?!

 どれだけでも涙が溢れてくる。

 ベリーと別れ,このベリーとの最大の思い出であるケージとも別れなければならないの?

 そうだ。そうしなければならない。
 空になったケージ,もう二度と小鳥が入ることのないケージを置いておくのは良くない。

 さんざん泣いた後,心を堅く堅く立て直し,作業に取りかかった。

 まず,災害時の避難用に買ったキャリングケース。
 普段はベリーグッズを収納する場所になっていた。

 避難所に行くことはなかったし,病院に持って行くには大きすぎるので,結局あまり使わなかった。ケージの丸洗いの間たまにベリーに入ってもらったが,こんなところに入れられるなんて沽券に関わるらしく,ここに入れられるとベリーは私が近くを通りかかるたびに「フッ!」と言って怒りを表明したものだった。

東日本大震災の後に買ったキャリングケース(2022-07-17 15:10)
東日本大震災の後に買ったキャリングケース(2022-07-17 15:10)

 毎晩ケージにかけていた黄色いおやすみカバーは,解いてただの布に戻そう。
 キャリングケース自体は蓋を取って廃棄し,籠部分は綺麗に洗って洗濯籠として使うことにした。

ベリーのお休みカバー(2022-07-17 15:10)
ベリーのお休みカバー(2022-07-17 15:10)

 ベリーをお迎えしたときに挿し餌用に買った給餌器具と,餌や水が少しずつ出てくる給餌器。
 挿し餌用は買ったけれど結局ほどんど使わなかった。ベリーはこの器具から食べるのは好まず,挿し餌はスプーンを使って行った。流石に捨てましょう。
 紫の底がついた給餌器は,ベリーが亡くなる直前に抜けて何となくとってあった尾羽根を入れるのに丁度良い長さだったので,ベリーの最後の抜け羽根を入れて飾っておくことにした。

幼鳥時の挿し絵用とお出かけ用の餌やり器(2022-07-17 15:17)
幼鳥時の挿し絵用とお出かけ用の餌やり器(2022-07-17 15:17)

 今年に入ってベリーの換羽は一度しかなかった。
 最近は少しずつ抜けるという感じだったのだが,たまたま6月後半に見かけた長い羽を捨てずに棚の上に置いていたのだ。

 最後にケージに残っていた大きめな羽根と棚の上に残っていた長い尾羽根を,ベリーの最後の置き土産として飾った。

ベリーの最後の抜け羽根(2022-07-17)
ベリーの最後の抜け羽根(2022-07-17)

 周囲のものからとりかかったが,とうとうケージ本体だ。
 棚から出して,最後にベリーがいた時のままになっている様子を眺めた。

 亡くなって帰ってきたベリーはほんの一時,この新聞紙の上に帰った。
 10年以上ベリーが暮らした部屋。
 ありがとう。ありがとう。ありがとう。
 そして,さようなら…。

ケージを片付ける決心(2022-07-17 15:33)
ケージを片付ける決心(2022-07-17 15:33)

 左の壁にはベリーが最後の発作で吐き出したシードが,まだくっついていた。

最期にベリーが吐き戻したシードが…(2002-07-17 15:36)
最期にベリーが吐き戻したシードが…(2002-07-17 15:36)

 役目を果たすことができずに残された新聞紙たちを片付ける。

ケージに残った敷き紙(2022-07-17 15:46)
ケージに残った敷き紙(2022-07-17 15:46)

 そしてケージ本体をばらす。

 ケージは1ヶ月半〜2ヶ月に一度の頻度で丸洗いしていた。
 ベリーが亡くなる2週間前,6月18日の土曜日に丸洗いしたところだったので,ケージはあまり汚れていなくて綺麗な状態だった。

 この6月の丸洗いの日は,ベリーはキャリングケースに入れられず外で自由に待っていた。
 ベリーは人間が作業をするところを見るのが大好きだったので,部屋の中を飛び回りながら楽しそうに見ていたものだった。でも時間がかかると家に帰りたくなるらしく,最後の方は「未だなの?」とせっつくようにギャーギャー言い始めた。
 最後のケージ丸洗い,ベリーをキャリングケースに閉じ込めなくて良かった。ベリーに楽しんでもらえて良かった。

 ベリーはきれい好きで,ケージの丸洗いをした日はいつもご機嫌だった。
 最期の2週間を綺麗な状態で過ごしてもらえたことも,本当に良かった。

 ベリーが亡くなったときにケージが汚かったら,きっとさだめし後悔したことだろう。
 普段からやるべきことをやっていて良かった。

(2021-09-16)
ケージ大掃除の後(2021-09-16)
ケージさんありがとう(2022-07-17 15:50)
ケージさんありがとう(2022-07-17 15:50)

 東京23区のゴミの規定では,プラスティックは燃えるゴミ,埋め立てゴミは30cm以下なら袋に入れて回収ということになっている。
 粗大ごみにすると,札をつけたままマンションのゴミ捨て場に回収の日まで置いておかれ,ゴミ捨て場に行く度に自分が廃棄した粗大ごみを見かけることになってしまう。

 ベリーのケージをゴミ捨て場で見続けるのは辛すぎると思われ,頑張って一辺30cm以下になるようケージをばらし,感謝を捧げて袋に入れて廃棄した。

ベランダでケージ解体(2022-07-17 16:20)
ベランダでケージ解体(2022-07-17 16:20)
ベランダでケージ解体(2022-07-17 16:31)

 あぁ本当に,今日までありがとう。


 ベリーを保温してくれたヒーター。
 これはベリーをお迎えした時に買った19年近く前のものだ。中のヒヨコ電球は数年前にベリーが肺炎になった時に買ったもの。

 分解すると,ベリーのフケがバラバラとたくさん出てきた。
 このフケの一片一片が愛おしくてたまらない。

 こんなところに残っているベリーの名残と別れなければならないのがとても辛い。

 バカじゃないの,私頭がおかしいんじゃないの。
 そう思いながら,大きめでピンセットでつまめるフケをベリーの最後を集めた壜に収集した。

保温器具解体(2022-07-18 10:26)
保温器具解体(2022-07-18 10:26)

 ベリーの食べ殻入れ。
 さすがにこれはそのまま廃棄…。

ベリーの食べ殻入れ(2022-07-18 11:35)
ベリーの食べ殻入れ(2022-07-18 11:35)

 ベリーは赤いペレットばかり選んで食べていたので,オレンジと黄色,黄緑はほぼ捨てることになっていてもったいなかったな。

ベリちゃんご飯美味しかったね(2022-07-21)
ベリちゃんご飯美味しかったね(2022-07-21)

 洗ってベランダに干したベリーの思い出たち。
 ケージは扉だけ外してとっておいた。何かに使おう。
 ベリーの玩具たちは部屋に飾ろう。

形見を洗って干す(2022-07-18 13:09)
形見を洗って干す(2022-07-18 13:09)

 ケージを置いていた棚全体を大掃除。
 ベリーがよく寄り添っていたスピーカーの後ろがダウンだらけだった。
 このダウンも,できるだけベリーの最後の壜に回収。

 だって,ベリーのダウンは常に家の中を舞っているのが普通だった。なのに,もう二度と見られないのだ。
 ぜんぶベリーが製造したもの。あぁすごいエネルギーで生きていたんだなとよくわかる。

ベリーのダウンがいっぱい(2022-07-18 14:12)
ベリーのダウンがいっぱい(2022-07-18 14:12)

 破壊して遊ぶ用に与えたクリーニング丸には,最後まで興味を示してくれなかった。

 ベリーとはそういう奴だ。与えられた物より,人が困る物を囓って「してやったり」と自慢そうにするのだ。あと5年生きていてくれてたら,気が変わってクリーニング丸を破壊する日も来たかもしれなかったけど,残念。
 ベリーがいなくなって用済みになったクリーニング丸も廃棄。

ベリーに見向きもされなかったクリーニング丸(2022-07-18 16:08)
ベリーに見向きもされなかったクリーニング丸(2022-07-18 16:08)

 こうして,ベリーを見送って2週間以上経った7月17日〜18日にかけて,私達はベリーのケージを片付け心に一つ区切りをつけたのだった。

 辛かったし,今思い出してもケージとのお別れは辛くて泣けてくる。
 そしてケージとお別れしてもベリーを失った辛さが消えるわけではない。
 けれど,確かにベリーがいない生活の第一歩にはなったと思う。

 ベリーはここにいる。
 私の心の中に。この家の空気の中に。
 心の中に片時も離れずいてくれるベリーに慣れていかなければ。

(2022-05-07)
(2022-05-07)
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2ヶ月が経って

 最初の1ヶ月は毎日気を確かに生活するだけでやっとだった。
 その後,忘れたくない最期の日のことや見送った日のこと,それに続く7月のこと等々を思い返して記録を始めた。

 だが,1ヶ月前の気持ちを正確に思い出すのは難しい。
 その時々でその時にしか分からない心のありようがあり,時間が過ぎればその機微は心の深淵に沈み込んで手が届かなくなる。
 今日の私のことは今日の私にしかわからないのだ。

 なので,今日は今のことを書いておく。


 ベリーがいないこと,二度とベリーに会えないことを,私はまだ理解したくない。
 それを思い出すと,未だ「信じられない!」と思って泣き崩れそうになってしまう。だってだってだって,逝く直前まであんなに元気で綺麗でやんちゃに楽しく暮らしていたのに,突然何が起こったの。何だったの…。

 ベリーが生きていたときにそうだったように,毎日,一日中ことあるごとにベリーの名前を呼んで話しかけている。ベリーを思い出していない瞬間などないのではないかと思う。
 姿は見えなくても,ベリーは私と一緒にいるのだ。見えなくても話しかければ聞いていてくれる,そう思って過ごしている。

 この状態がこれからもずっと続いていくのではないかという気がしている。

(2022-05-12)
(2022-05-12)

 ベリーがいなくなって家の中が汚れなくなった。ベリーの毛やベリーのフンやベリーの粉で家が汚れないことがとても寂しい。家の中をフワフワ漂うベリーのダウンが見えないのが寂しい。
 私が何のために一日中音楽をかけていたかといえば,ベリーが小さくピヨピヨと合いの手を入れながら一緒に音楽を聞いてくれるからだった。だから一緒に聞いてくれるベリーがいないのに音楽を聞くのが寂しくて辛い。
 一緒に楽しんでくれるベリーがいないから,この2ヶ月,電子ピアノも電子バイオリンも触る気持ちになれずにいる。

 ベリーがいなくなって数日した頃からだったと思う。
 頭の中でずっと,種とも子さんの「It Must Be Love」という楽曲が流れている。

 なるほど,私の毎日は全部ベリーへの愛のせいだったのだ。それが分かった。
 ご飯を食べるのも眠るのも洗濯するのも買い物に行くのもレジで並ぶのもトイレに行くのも,何もかもベリーへの愛のせいだったらしい。
 全てから色が消えた。待っているベリーがいない日常への色の付け方がわからない。


 悲しみと向き合うとき,誰かに聞いて欲しい人と,放っておいて欲しい人といるようだ。
 私はどちらだろうか。

 考えるだけで悲しいし,ベリーのことを誰かに話そうとすると苦しくて悲しくてそれだけで辛い。だから基本的には放っておいてほしいと思う。心配してもらっているのは分かるけれど,「落ち着いた?」みないなことを言われたら,落ち着くわけないじゃないか!放っておいて!と思ってしまう。
 でも,鳥がどれほど心のより所になる存在かを知っている方とは話ができる気がしている。

 ベリーは私が私で或ることの一部だったし,これからもそうなのだと思う。

(2022-02-08)
(2022-02-08)

 ベリーを失ってこの方,ちょっと感じた違和感のこと。

 鳥に限らず,亡くなったペットのことを「星になった」と表現する方が多いのは何故なのだろう。私は「違う!ベリーは星なんかになってない!」と思ってしまう。宇宙の最初からあった水素やヘリウム,ベリリウムやリチウムなどを除いた重たい元素はみんな星から生まれたし,太陽が終焉を迎える50億年後には太陽系の構成材料はみんな宇宙へ散らばり,やがてそれらが集まって新たな星になる日もやって来るかもしれない。けれど,亡くなったことを「お星様になった」と言われるのにはめちゃ違和感を感じる。
 この表現,人間にも使う? 使うこともあるのかもしれないけれど,ほぼ聞かない気がするのだが,どうなのだろう。だとしたら,何故ペットには頻繁に使われるのだろう。

 「お星様になる」ほどではないけれど,「虹の橋を渡る」という表現も何だか馴染めない。人間だと「三途の川を渡る」と表現するところが,対象が人間以外の動物だとこちらの表現が多用されるようになるような印象だ。単純に天国へ渡っていくイメージだろうか。
 虹は,旧約聖書のノアの箱舟の物語では,神様からの契約の贈り物,神の愛の印ということになっている。この世から旅立つ命に与えられた神様からの祝福と考えれば,少なくとも「お星様になった」よりは納得しやすい気もする。

 色々と理屈っぽくごちゃごちゃと考えてしまう。
 この面倒くさい私にベリーはほんと優しくしてくれたと思う。

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ベリーがいた場所

 ベリーが逝って2週間が経とうとしていた。

辛くてなかなか片付けられないケージ(2022-07-14 13:49)
辛くてなかなか片付けられないケージ(2022-07-14 13:49)

 空になったケージを見ながら私が毎日していたことは,19年近くの間に撮りためたベリーの写真に「berry」のタグをつけることだった。

 毎日毎日,時間さえあればパソコンに向かい,NASに保存された2003年からの写真を何度も見返し,ベリーが写っている写真や動画,ベリーに関係がある写真を探しては悉くタグをつけ,その頃のベリーと私達の生活を思い出し懐かしんでいた。そういった作業に没頭していれば,二度と再びベリーと会えないという事実を考えないで済んだ。

 タグをつけておけば,ベリーのアルバムが完成する。
 是非ともやっておかねばならない作業だ。そして,ベリーがいない今,その作業を続けている限りベリーと一緒の時間が続いているような安心感もあった。

 私が毎日ベリーの写真に明け暮れている間,夫はベリーの動画の抽出を行っていた。
 ケージの上に設置していたベリー用監視カメラの中に奇跡的に残っていた,1年半くらい前の日常動画のサルベージ作業だった。

 監視カメラはもともと留守中に外出先からベリーの様子を確認するために設けたもの。録画はしていなかった。
 だが,試験的に録画した動画が少し残っていた。古くて壊れかかったファイルだった上に,ファイルは1分刻みに分かれており,確認作業はかなり根気を要するものだった。だが,朝起きてから夜寝るまでのベリーの定点観測。ベリーとの何気ない日常が記された貴重な動画だ。
 私達はベリーとの日常の思い出を可能な限り救い出したかったのだった。

 日常というものは,失った後に初めて真価を知るものだ。
 その最中にいるときは雑事に紛れて流れてしまうし,普通のこと過ぎてわざわざ撮ったりしない。
 それが自動的に記録されていたのだ。何てありがたいことだろう。


 そうしてまた巡ってきた金曜日。
 ベリーが逝って2週間。ほぼ半月が過ぎた。
 分かっている。そろそろ,このケージを何とかしなければならないのだ。

 さまざまな思い出の角度でケージを眺める。

ソファーから見たケージ(2022-07-15 05:53)
ソファーから見たケージ(2022-07-15 05:53)

 ソファーから。

 私がソファーで読書を始めると,ベリーは出てきて私のすぐ横のソファーの袖で寛ぎ始めたものだった。ベリーがそばに来てくれるのが嬉しくて,私はソファーで読書をしていたのだった。


 ケージの扉を開いてみる。

 毎日の掃除の時,この状態になると,ベリーは開いた扉によじ登った。最初はなかなか上手にできなかったが,そのうちさっさとよじ登れるようになり,扉の上からケージの上に出る過程を楽しんでいた。ほぼ趣味といった感じだった。

 ケージの扉を開けて,私が小松菜を洗ったり水を交換するために小松菜を入れた容器を出して台所で作業をしている間に,ベリーは扉の上によじ登る。
 私が台所の作業を終えてケージへ戻る頃には,ベリーは扉の上かケージの上で満足そうにしているのだった。

 そんなベリーに毎度私は声をかけた。
 「ベリーまた趣味やってるの?」
  ベリーは得意げな顔をして,ちょっと翼を広げてぐるぐる回る。

 今も,この扉の上に,あの時のベリーの満足そうな顔が見えるようだ。

掃除の時ベリーはよく扉に上った(2022-07-16 09:57)
掃除の時ベリーはよく扉に上った(2022-07-16 09:57)

 このケージは2番目のケージだった。
 ベリーを迎えた時に買ったケージを,2010年にこれに買い換えた。

 ベリーはケージを買い換えても,引越前後にケージのサイズを変えても,全く気にせずに同じように過ごしてくれる子で,本当に助かったものだった。

 親馬鹿なので,ベリーはとても賢く,ケージは変わってもケージである事に変わりはなく,自分の居場所であると理解してくれていたのだと思っている。

ケージの買い換え(2010-10-31)
ケージの買い換え(2010-10-31)
(2021-12-12)
(2021-12-12)
(2021-01-17)
(2021-01-17)
(2021-02-15)
(2021-02-15)

 ベリーはケージを自分のテリトリー(部屋)の中のコアだと認識していたのだと思う。
 いつもケージの周辺で寛いでいたし,外に出ていても最後には自らケージに帰って行っていた。ケージこそがベリーの居場所だった。

 あぁしかし,そのベリーの最愛の居場所を処分しなければならないだろう。
 そろそろ…この週末くらいには。

 ずっと考えないように他の作業に逃げてきたが,そろそろ逃げてばかりもいられない。客観的に考えて,そろそろケージとお別れすべき時だと思う。
 ベリーはどう頑張っても戻ってきてくれないのだから。
 それは自然の摂理で確定していることだから…。

 そんな気持ちの中,7月16日〜18日の三連休を迎えようとしていた。

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