静寂の朝
2022年7月2日。
ひたすら胸が苦しく眠れない夜が明けた。薄明の中で野鳥たちの囀りが聞こえ始めるまで,私は一晩中ベリーのことを考え続けていた。隣の部屋でベリーが眠っていないことを受け入れることは,とてつもなく不可能と思われた。考えても考えなくても押し寄せる耐えがたい苦しさに抗う方法が分からなかった。
未来永劫ベリーがいない世界に自分が存在しているという,耐えがたい精神的苦痛に苛まされ続ける夜だった。
ベリーのケージは私が眠るベッドから3mも離れていない場所にあって,夜中にトイレに起きると,よく「ポトン」とベリーがフンを落とす音が聞こえたり,「ア」とベリーが短く声をかけてくれたりしたものだ。そんな気配が全て消えてしまった。
夜が明けても「おはよう」を言うベリーがいないのに,起き上がって寝室を出る意味があるのだろうか。ベリーがいないケージに朝日が差し込む光景を見て正気でいられるのだろうか。
あぁ私は何か決定的に間違って,ベリーはそのせいで逝ってしまったのではないか?? 自分を責める理由ばかり次々と思い付き,一晩中治まらぬ動悸に胸が痛み続けた。そして相変わらず涙は一滴も流れてこないのだった。
カーテンを開ける。
低空に雲があるせいか,奇しくも昨日と同時刻に日の出が見られた。
昨日は新しい一日が始まる清々しい日の出だったのに,今日の太陽にはベリーが1日分遠ざかってゆくという悲しみがあるだけだった。
24時間前に日の出を撮った時,ベリーは生きていた。元気だった。まさか数時間後に逝ってしまうだなんて想像もしなかった。
もう覆い布をとって起こしてあげる必要もなくなった,静かな空っぽのケージを見る。昨日の朝はここにベリーがいた。昨日のままのケージ。
信じられない。信じられない。信じられない。
19年近くもここにいたベリーが,何故いないの? 24時間前は元気に朝ご飯を食べていたベリーが,何故突然いなくなってしまったの。何故昨日ベリーにあんな出来事が起こったの。
キリキリと胸が痛む。
あまりのことに私の心は涙にもたどり着けない。高鳴り続ける心臓が,ただひたすら非常事態を告げ続けていた。
ベリーが使っていた物たちがまだそのままになっている室内を見渡し,一つ一つを愛おしく眺める。これは朝食の後や午後の寛ぎの時間にベリーが日課のように囓っていた木箱。私のPCデスクの横の棚の上に置いてあり,私の机の上には,いつもここから落ちてくる木屑がたくさん落ちていた。
この木箱は,10年くらい前のお正月にとったお節の重箱で,ベリーは長い時間をかけてここまで破壊したのだ。木箱の縁のベリーの嘴の跡すべてが愛おしかった。
ケージの上の棚には,昨日ケージから取り外した,ベリーが最後まで遊んでいた玩具たちが並んでいた。
革に紙紐をつけた玩具は数年前に買ってあげたもの。長く伸びていた紐はあっというまに噛みちぎられてなくなって興味をなくしていたが,最近になって革の部分を噛んでほぐすことを思い付いたようで再び遊ぶようになっていた。
ピンクの布と茶色い紐は,いつもセットでケージの天井から釣り下げられていた。
ピンクの布は嬉しい時に足で掴んだり,歌う時に頭や背中に乗せたり,おやすみの挨拶の時に嘴で掴んで動かしたりして使っていたお気に入り。何年も使っていた。私がこの布を揺らすとベリーは歌い出し,夫がこの布を揺らすと茶色い紐で綱引きをを始めるのが常だった。夫が揺らしても歌わないし,私が揺らすと綱引きをしてくれない。ベリーは誰と何して遊ぶか決めていた。
白と灰色の紐はほぐし遊び用で,ピンクのミニマンチボールも毎日破壊して楽しんでいた。マンチボールは私の妹からベリーへのプレゼントで,まだ新しいのが数個残っている。なのにベリーは逝ってしまうの…?
どの玩具と遊んでいたのもつい昨日や一昨日のことなのに,もう二度とベリーがこれらを使う姿は見られないのだ。どうして信じられようか。
何故? 1日前は普通に元気だったのにありえない。本当にどうしたって信じられない。そんなことがあって良いはずがない…。
どうすればベリーという存在がこの世から消えたことを受け入れられるのか,私は分からなかった。
永遠の見送り
心がいくら理解を拒んでも,この日はベリーの亡骸に別れを告げなければならなかった。
個性の塊だったベリーの意識が去ってしまった,しかし変わらず可愛らしく愛おしくてたまらないベリーの亡骸。ベリーの心がいた場所を,きちんと見送ってあげなければならない。
彼を迎えた日に決まった私達の最後の義務でもある。
ペットの火葬を引き受けてくれる区の清掃局に電話をしてみると,この日は土曜日だったがやっていた。お昼の時間帯を避けて16時くらいまでに来て欲しいということで,12時45分くらい行くことになった。
料金の中に遺体の引き取り出張も含まれているのか,戸口まで引き取りに来てもらうのが普通なのか,何度も「引き取りに行かなくて良いのですか」と確認されたが断った。確かにオカメインコなら自家用車を持たない都心の住民でも運べるが,犬や猫だったら難しいだろう。
引き取りに来ていただいて玄関口でベリーを見送るのは何だか違う気がしたし,自分たちで事務所までベリーを連れて行ってお別れしたかった。この家からベリーが出て最後の場所に辿り着くまで,出来る限り一緒にいたかったし,ベリーがまずどんな施設に引き取られるのかも知っておきたかった。
ベリーはしっかりと自尊心を持った誇り高いオカメインコだったのだから,精一杯の哀悼と敬意をこめて見送ろう。
私は眠れない夜の間にベリーのためのセレモニーを考えた。
簡単にではあるが,歌が好きだったベリーのために讃美歌を歌い,聖書を読んで神様にお祈りし,この家から,私達の元からベリーを送り出そう。
家を出る時刻から逆算し,終わったらすぐに出発できるタイミングでセレモニーを始めた。
テーブルの上にタオルを敷いて,ベリーの亡骸を中央に置き,周辺に昨日ベリーが食べる予定だったシードのお皿,ベリーが愛用したピンクの布と茶色い紐,毎日囓ったカトルボーンと囓りかけのピンクのミニマンチボールを配置した。毎日ベリーが寄り添っていた加藤恵ドールも連れてきて列席させた。
そして蝋燭に火を灯し,取り急ぎ作った式次第に沿ってセレモニーを行った。
讃美歌は私がふさわしいと思った歌,聖書はどこがふさわしいかわからなかったので,思い付いた箇所。
私はベリーのために式次第に沿って歌い読み祈った。未だ泣けるほど心が熟していなかったので,思いのほかきちんと歌い祈ることができた。泣いてボロボロにならずにセレモニーを行えたことは幸いだったのかもしれない。
歌が大好きだったベリーの魂がその場にいたならば,きっと足をにぎにぎしながら一緒に歌ってくれていただろう。
ベリーを見送ったセレモニー(2022-07-02 11:44)
加藤恵ドールに寄り添うベリー(2022-06-21 07:25)
普段の私はセレモニーなどあまり重視しない。
でもこの時だけは,セレモニーが心の区切りをつけるために如何に意味がある行為であるかよくわかった。
セレモニーは,跳び箱の前に置かれたロイター板のように,心を次のステップへ運ぶ手助けをしてくれる。これを行うことで,否が応でもベリーを送り出し見送る決意が生まれたような気がしたのだった。
よく晴れた暑い7月の午後
セレモニーが終わると,とうとうベリーの亡骸の見納めだった。
可愛いベリー。美しいベリー。愛して止まないベリー。19年近く共に過ごしたベリーが永遠に視界から消える。
くよくよしていては切りが無いので,できるだけ心を空っぽにして淡々とベリーの旅立ちの準備をした。
布で包むのはOKということだったので,セレモニーの時にベリーを横たえていたタオルにベリーの体をくるむ。いつもベリーのために使ってきたタオルだった。そしてタオルの両端を,私達とベリーが数知れぬほど一緒に楽しんだピンクの布と茶色い紐で結わえた。
この布と紐が一緒ならベリーは安心するだろう。
ベリーちゃん,最後まで大好きな布と紐が一緒で良かったね!
ベリーを連れて外へ出ると,前日と同じ暑い暑い7月の日差しが明るく照りつけていた。
ベリーの亡骸を引き取ってくれる区の清掃事務所は地下鉄の駅から少々遠く,駅から歩く間,少しだけ猶予をもらった気がしたが,とうとう清掃事務所が見えてきた。
如何にも公務を行う質素な建物で,中に入るとすぐに電話で連絡をとった職員さんが出てきて,二人がかりで対応して下さった。
火葬の日まで黒い袋に入れて冷凍されること。次回の火葬は7月5日火曜日になること。
それらを承諾して料金を支払うと,領収書と共に埋葬される霊園のパンフレットを下さった。
清掃局でもらったパンフレット
清掃局でもらったパンフレット
職員さんたちの対応がたいへん心のこもったものだったので,随分と慰められたし,ベリーをここに託すことにして良かったと思えた。
このような公共サービスがあることを知らなかったが,感謝したいと思う。
都内清掃事務所にご依頼された方 | 【公式】ペット火葬・葬儀・霊園なら横浜市の平和会ペットメモリアルパーク
ベリーが埋葬される霊園は川崎市にあり,東京都の動物園の動物たちも供養されている施設であるとのことだ。
まさかベリーが一人で川崎市に行くとは夢にも思わなかった。
園内を散歩できるようなので,そのうち行ってみようと思う。
また会う日まで
全てが終わり,区の清掃事務所を出た。
信じられないけれど,ベリーの体も私達から去ってしまった。
さっきベリーのために歌った讃美歌の一節が頭の中に流れる。いつかあの世でまた会う日まで,どうか神様がベリーの魂を守ってくださいますように。
明るい7月の空に向かって声に出して言った。
「ベリー,いつか分子になってまた会おう。」
ベリーも私も酸素と炭素と水素と窒素でできている。いつか地球の循環の中で,私を作っていた元素とベリーを作っていた元素が出会って何かの分子を作るかもしれない。水になったりアミノ酸になったり核酸になったりして。私もベリーも認識できないだろうけれど,それはベリーとの再会の一つの形だ。
そもそも私もベリーも地球もみんな,どこかの恒星が作ってくれた元素でできているし,いつかまた宇宙を漂う星間物質になる。
どんな形でもいいからまた会いたい。会いたいな。
ね,ベリー。
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